舞台 「幸子というんだほんとはね」 観劇レビュー 2025/03/01


公演タイトル:「幸子というんだほんとはね」
劇場:本多劇場
劇団・企画:はえぎわ
脚本・演出:ノゾエ征爾
出演:町田水城、高田聖子、串田十二夜、山本圭祐、鳥島明、笠木泉、柴田鷹雄、踊り子あり、東野良平、富川一人、竹口龍茶、山口航太、ノゾエ征爾、下田昌克
公演期間:2/26〜3/2(東京)
上演時間:約1時間55分(途中休憩なし)
作品キーワード:群像劇、合唱、ライブペインティング、日常
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
劇作家・演出家のノゾエ征爾さんが主宰する劇団「はえぎわ」の25周年記念公演を観劇。
「はえぎわ」は、1999年に旗揚げし2001年に劇団化しており、劇団公式HPには「卓越した発想力とユーモア、独特の奇想天外な世界観。この完璧ではない世の中で一生懸命に生きる人々を、愛情一杯につづる。独自の‘嘆きの喜劇’とも言えるそこには、常に福音的なメッセージが見え隠れしている。」と書かれている。
ノゾエさん自身は、演劇の専門学校とも呼べるENBUゼミナールの第1期生であり、松尾スズキさんに師事している。
また2012年には『〇〇トアル風景』で第56回岸田國士戯曲賞を受賞している。
私自身、ノゾエさん演出の演劇作品は『ロボット』(2024年11月)、『物理学者たち』(2021年9月)で拝見しているが、「はえぎわ」の作品自体は初観劇となる。
物語は演劇の街である下北沢を舞台に、様々な人々の人間ドラマを複数同時進行で描きながら、「幸せ」とは何かについて迫る演劇である。
ステージ上にはほとんど何も仕込まれていない素舞台に、出演者たちが全員立っている。
彼らは本多劇場の見学に来たようだった。
主夫(町田水城)だけは、客席からステージに上がり他の人々に向けて本多劇場の構造を案内する。
そして舞台裏に行って楽屋なども案内している。
そこから一同は合唱する、その合唱と共にラクガキの下田昌克が墨絵をライブペインティングして下北沢の街を描いていく。
そこで、婦人(高田聖子)と青年(串田十二夜)の母と息子の物語や、一冊のノートからその書き手に会いに逗子へと向かう拾った女(踊り子あり)や寄り添う人(東野良平)の物語が進んでいくが...というもの。
まず驚かされるのは、ノゾエさんの舞台演出の素晴らしさである。
ステージ上に何もない素の舞台から始まって、そこに徐々に白い巨大なキャンバスに墨絵を描いていくことで世界がどんどん広がっていく。
下北沢の街並みだったり、お店だったり、雑居ビルの隙間だったり、レストランの食事だったり、地球だったり。
そんな墨絵で描かれた世界が変幻自在に現れては消えて現れては消えていく。
その束の間に私たちの何げない日常があって、そこに僕らの幸せはあるんだと気付かせてくれる。
こうして私たちの街が地球上にあって日常を過ごせているのは、泡沫のようでもあると感じた。
劇の序盤で、人類が登場したのは地球が生まれてから今までを1年に例えると、大晦日の23時37分なのだと。
地球からしてみればほんの一瞬で、こうして下北沢に街が栄えている期間なんてちっぽけなものなのだと語っていた。
私たちが毎日に四苦八苦していることなんて本当にちっぽけなもので、風船のようなものなのだと優しく問いかけてくれるように感じられてグッときた。
墨絵によるライブペインティングを始め、演劇としての世界観の見せ方に色々新鮮なものを感じた。
白いキャンバスに墨絵で街を描いていく演出は、本当にこの世界が泡沫で束の間で変化するものであることを物語っているし、合唱を取り入れながら優しく観客に問いかけてくる感じに心も洗われた。
舞台照明もふんわりと斑点の明かりがステージ上に浮かび上がっており、歌と音楽に合わせて心地よく幸せを体現しているかのような演出で素晴らしかった。
物語に関してはよく分からないシーンも多くあって、もう少し普遍的な日常を描いて欲しかったとも感じた。
あのような独特でユーモラスな話だからこそ「はえぎわ」らしいのかもしれないけれど、ありのままの日常をもっと見せてくれたら、もっと作品自体が私たちに寄り添ってくれているように感じられたのかもしれない。
出演者陣は、「はえぎわ」の劇団員も多いのだが、他の舞台作品で観たことある方も多くいらして楽しませてもらえた。
特に婦人役を演じた劇団☆新感線の高田聖子さんの力強い演技が印象に残った。
どこか普通ではなくなってしまったけれど、青年を愛している気持ちは凄く伝わってくる。
そして個人的には、労働者の本山役、猫島役を演じた山本圭祐さん、鳥島明さんのコンビが好きだった。
また、絵本作家笹木役を演じた笠木泉さんの演技からは、創作者が持つ普遍的な苦悩を垣間見られて、これは演劇関係者を始めクリエイターにとって共感も得やすいだろうなとも感じた。
舞台『ロボット』や『物理学者たち』でノゾエさんの演出は拝見していたが、今作を観劇して物凄く舞台演出のセンスが秀逸な方なのだなと痛感した。
あまり他の劇団ではないような独特な演出スタイルでしっかりと確立されている劇団なのだと分かった。
やりたいことはよく分かるので、もう少し脚本で面白さを引き出して欲しかったと感じたが、演劇人大絶賛の演劇作品で3月中旬に配信もあるようなので多くの人に届いて欲しい。

【鑑賞動機】
ノゾエ征爾さんの演出作品は『ロボット』や『物理学者』で拝見しているが、いつぞやの『ガラパコスパコス 〜進化しているのかしていないのか〜』を見逃してしまったので、ノゾエさんの戯曲の上演を観たことがなかった。当然「はえぎわ」も暫く公演がなくて観られていなかった。
そんなタイミングで25周年記念公演が、劇団として初めて本多劇場で上演されるというので観ることにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
本多劇場のステージには、役者たち一同が立っている。客席から主夫(町田水城)がやってきてステージ上に上がる。主夫は本多劇場のステージのバックステージツアーをやるかのように劇場の構造について解説していく。これがバトンでなど。それに呼応して役者たちは「おー」と感嘆したような声を出す。そしてそのまま主夫は人々を舞台裏に案内する。ステージ上には誰もいないが、舞台裏で楽屋を紹介している声が聞こえる。そして戻ってくる。役者たちはステージ背後の搬出用の大扉からステージへ入ってくる。
主夫は言う。ここ本多劇場は、50年前は銭湯で、その前は水田だったと。縄文時代は縄文人たちが歩いていただろうし、1億年前はユーラシア大陸と陸続きだった。そして100億年前は宇宙だったと。
人間が生まれたのは、地球の誕生から今までを1年に例えると大晦日の11時37分だと。人間の歴史は地球の歴史に比べるとほんの一瞬でしかないと言う。
そこから役者たちは合唱を繰り広げる。「Hello baby welcome to 地球」と合唱する。すると、ラクガキ(下田昌克)が白い巨大な半紙のようなキャンバスに墨絵で下北沢の街を描いていく。
婦人(高田聖子)と青年(串田十二夜)が二人で手を繋ぎながら下北沢の街にいる。二人はどうやら親子らしいが、手を繋いだ瞬間手を放すことが出来なくなってしまい、ずっと握ったままになっている。
二人は下北沢一番街の入り口のベンチに腰掛ける。そこで二人は手を握り合いながら下北沢の街を眺めている。
場面転換して、労働者の本山(山本圭祐)と猫島(鳥島明)がいる。二人は、図書館にあった本の話をしていた。それは、人間というのは他の動物と比較して特殊な生き物であるということ。100年間生き続けながら変化し続けるからである。他の動物は生きている間ほとんど変化はしないが、人間はまるで生まれた時と死ぬ時が別の生き物であるかのように姿形が変わり、感性も変わっていく。だから宇宙人は地球にやって来ないのだと。何かの本を引用して話していた。その間、白いキャンバスには人間のほか、様々な動物が描かれていた。
拾った女(踊り子あり)と寄り添う人(東野良平)がいる。拾った女は、一冊のノートを拾う。ノートを開いてみると、このノートを拾った人間に語りかけている。あなたは暇?逗子まで会いにきてと。二人はこのノートの筆者に会いに逗子へと向かう。
下北沢一番街の入り口のベンチに婦人と青年が座っている所へ、片腕を何者かに銃で撃たれた主夫がやってくる。そこへおそらく警察の鳥皮(富川一人)と滝口(竹口龍茶)の二人がやってきて事情聴取をする。そして、犯人と思しきを人を追いかけるために姿を消す。
婦人はまるで風船のように空気が抜けて萎んでいってしまう。青年はずっと手を繋いだまま、婦人のどこから空気が漏れているかを探し、ようやく空気の抜けいている穴を見つけるとそれを塞ごうとして一命を取り留める。
絵本作家の笹木(笠木泉)が現れる。彼女は絵本作家として自分のことを語る。
作業員の本山と猫島は、雑居ビルと雑居ビルの間にいる男性(誰だか忘れた)の相手をしている。雑居ビルの陰はラクガキによって描かれている。
拾った女と寄り添う人は逗子にたどり着く。ノートを読むと、ここにあるレストランに入れと言われているが、どう考えても高級レストランで高そうだと入ることを躊躇している拾った女。しかし寄り添う人は入ろうと女性を誘う。そして度々キスをする。
婦人と青年も別のレストランで食事をしている。白いキャンバスには墨絵でレストランの食事が描かれる。
絵本作家の笹木は、編集者のサシバ(柴田鷹雄)に新作発表を急かされる。笹木は、旦那が自分の代わりに家事とか全部やってくれるのに色々と文句を言ってしまう。早く新作の絵本を出さないとと奮闘する笹木。
逗子で高級レストランに入った二人は、寄り添う人が高級な食事を注文してしまったことで拾った女が怒る。そしてノートの筆者にも怒りはぶつけられる。
白いキャンバスには本多劇場の入り口が描かれ、今作である『幸子というんだほんとはね』のフライヤーが上演演目として描かれている。二人の観客が劇場から外に出てくる。つまらない芝居だったね、旗揚げ公演だというのに4人しか観客がいなくて1人途中で帰ってしまったと。
そこから登場人物たちは緩やかに繋がっていき、再度「Hello baby welcome to 地球」を合唱する。白いキャンバスには地球と沢山の風船が描かれる。そして、婦人と青年は二人がもっと若い頃、青年役は子供役が登場して若返る。
白いキャンバスに大きく四角い枠が描かれる。そこに映像が投影される。老若男女様々な人の「幸せ」とは何かについて一人一人語る。途中に川上友里さんも登場する。
下北沢一番街の入り口に一冊のノートが落ちている。二人の警官がそれを拾う。ここで上演は終了する。
もう少し同時進行で描かれるエピソードが整理されて面白みがあればさらに満足度が上がったので勿体なかった。それによって劇中盤は中弛みしてしまう感じがあった。
しかし、一つ一つの台詞や言葉が非常に哲学的で魅力的なので心惹かれるものがある。描いているものが壮大ではあるのだけれど、ちゃんとパーソナルな「幸せ」というものに帰着出来ているのが素晴らしかった。
絵本作家の話は演劇関係者のようなクリエイターだったら誰しもが共感する部分なのではないかと思う。また、拾った女と寄り添う人の男女のエピソードはカップルの話でもあるし、婦人と青年の話は親子の話でもある。きっと誰もがどこかに共感しながら日常をこの芝居から観てとるんじゃないかと思った。だからこそ、「幸せ」ってなんだろうと自分ごととして捉え考えやすくなっているようにも感じた。
地球、風船などが登場し、私たちの生活や日常がちっぽけで儚いことを教えてくれる戯曲だった。そう考えると、多くの不安ごとや苦しみ、悩みはちっぽけなもので取るに足らないものなのかもしれないと思えてくる。
そんな独創的で優しくて普遍的な戯曲でテーマとして素晴らしかった。

【世界観・演出】(※ネタバレあり)
「はえぎわ」の25周年記念公演ということで、25年の積み上げを感じさせる洗練された舞台美術だったように思う。SNSに投稿されていた「はえぎわ」の過去公演の公演画像を見ても分かるように、ステージの背後にラクガキをして世界観を築き上げるという「はえぎわ」の王道スタイルを踏襲しているんだなと感じた。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
舞台装置といっても今作では具体的なセットは用意されていなくて素の舞台である。そこに12枚の縦長の巨大な白いキャンバスが置かれていて、人間一人で持ち運べるくらいの大きさである。この白いキャンバスにラクガキの下田昌克さんが墨絵を描いていく。
この白いキャンバスの使い方が非常に面白かった。最初は何も描かれていない白いキャンバスしかないのだが、ラクガキの下田さんが一枚一枚墨絵を少しずつ描いていく。12枚あるが裏表あるので合計24枚の墨絵が出来上がる。下北沢の一番街の墨絵、本多劇場の墨絵、どこかのお店の墨絵、色々な生物が描かれた墨絵、沢山の風船が描かれた墨絵、食事が沢山描かれた墨絵、地球が描かれた墨絵など多種多様である。そしてそれらが、ラクガキによって1枚を一気に描くものもあれば、一部だけ描いて後で付け足していく墨絵もあって遊び心がある。そしてラストには全てのキャンバスに裏表なんらかの墨絵が描かれる形で完成する。これがまた素敵だった。
また白いキャンバスは移動させることが出来るので、それらを移動して舞台装置の一部として使われるのも凄く良かった。下北沢の街を表したり、雑居ビルの隙間を表現したりと発想力も素敵だった。そして、そういった空間が白いキャンバスによって次々に移動していくので、その場所自体も一瞬で変化していくのも面白かった。ここに劇冒頭の私たちが暮らす街というのが地球の歴史でいうとほんの一瞬でしかないことと繋がってきて素敵だなと思える。
また、劇序盤でバックステージツアー的に劇場を素の舞台として使えるのも良いなと思った。舞台裏まで使った演出も凄く良い導入だった。
次に映像について。
映像は劇終盤で一度だけ登場する。白いキャンバスをスクリーンにして、そこに四角く枠を墨で描いて映像を投影する。その演出も面白いなと感じたのだが、なんといっても一般の方に「幸せ」とは何かをインタビューして答えてもらう映像を流しているのが素晴らしかった。老若男女様々な人に「幸せ」とは何かを問いかける。そこには色々な答えが返ってくる。別に演劇に限った話ではなく、ごく日常に紐づくものが多かった。
その中に、劇団「はえぎわ」所属の川上友里さんも映っていて客席からは笑いが聞こえた。笑い声もまばらだったので、意外と本多劇場の満員の客席は、大部分が劇団「はえぎわ」のコアのファンやシアターゴーアーではないのかもしれないと思った。一定数若い観客も入っていたので、「はえぎわ」常連客で埋まってしまうほどでもないのかなと笑い声の少なさから感じた(それとも川上さんと気づかない人も多かった?)。あともう一人男性の方で笑い声が聞こえていた方がいたのだが、私が存じ上げなかった(やはり「はえぎわ」の劇団員なのかな?)。
次に舞台照明について。
舞台照明も本当に素敵だった。特に合唱のシーンで音楽がかかっている時の照明が印象的で、ステージ背後に薄く反転模様の照明が照らされていて、まるでカラオケボックスのような感じになっているのがなんとも心地良かった。「幸せ」というものをビジュアルで具現化しているようにも思える照明で、本当に観客を優しい気持ちにさせてくれる。
次に舞台音響について。
まず客入れで、劇団「はえぎわ」の過去作で使用した楽曲が色々と流れていた。マイケル・ジャクソンの『Smooth Criminal』だけはよく分かった。どんな過去作でこの楽曲が使用されたのか気になった。こういう所からも、今作である25周年記念公演は過去の劇団の歴史の積み上げであることを感じさせる。
そしてなんといっても、合唱曲で今作のテーマソングである「Hello baby welcome to 地球」は本当にいつまでも耳に残る良いテーマ曲だった。この曲調べてみたのだが見つからなかったので今作のために書き下ろした楽曲なのだろうか。
まず合唱というのが良い。合唱は学生時代にはよく合唱祭などで聞くことがあるが、大人になると聞く機会なんてほぼないので新鮮だった。やっぱり合唱を聞いていると心も穏やかになるなと改めて思わされた。
最後にその他演出について。
前説を町田水城さんが務めていたが、発声練習をしながら前説をするのは何か意味があったのだろうか。普段であったら前説くらいはふざけずにやって欲しいと思ってしまうものだが、町田さんがやるとそんな感情は1ミリも沸いてこないから凄い。これはこれでありだと認めさせる説得力がある。
青年役の子役が登場したのはびっくりした。子供はどうやってキャスティングしてきたのか気になった。当日パンフレットにも記載がなかったので。
劇終盤のスモークマシーンのような煙が登場したのもびっくりした。私の客席が割と前方だったので煙を少しくらって煙かった。でも全然許容範囲の煙量だった。
最後に、本多劇場のステージ床のタイルを取り外して捌けるというのが印象的だった。ああやって本多劇場は床下に捌けることが出来るのだと驚いた。
あとは、踊り子ありさんと東野良平さんがめちゃキスをリアルにしまくっていて凄いなと思った。

【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
劇団「はえぎわ」の劇団員を含め小劇場演劇界隈で活躍されている役者ばかりで大変見応えがあった。
特に印象に残った役者について見ていく。
まずは、主夫役を演じていた劇団「はえぎわ」所属の町田水城さん。町田さんの演技は『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』(2024年8月)で演技を拝見したことがある。
まず前説でのインパクトから素晴らしかった。発声練習をしながら本多劇場という大きな劇場に響き渡るくらいの声で前説をする町田さんが良かった。発声練習をしながら前説をやり、客席からは度々笑い声が聞こえるが不思議と嫌な感じはしない。前説の内容も入ってきながら、これから始まる上演もより楽しみになれる感じがあって、その力量に驚いた。
そこからバックステージツアーをする案内人をやる役も良かった。あの良い意味でぶっきらぼうに案内する感じが性に合っていた。
次に、婦人役を演じた劇団☆新感線所属の高田聖子さん。高田さんの演技は、シス・カンパニー『カラカラ天気と五人の紳士』(2024年4月)、劇団☆新感線『天號星』(2023年9月)で演技を拝見したことがある。『カラカラ天気と五人の紳士』で拝見した高田さんの演技は非常にインパクトのあるものだったが、今作でも非常に印象に残る演技をしていたと思う。
青年との二人のシーンは、どこか普通ではない親子の関係を見ているかのようである。手を繋いだまま離すことが出来なかったり、風船のように萎んでしまうという描写は現実世界ではあり得ないかもしれない。しかし、そこには婦人自身も歳を取ってきて身体に不自由を感じ始める年頃、老いてきたことを暗示しているようにも思う。それを優しく支える青年の姿が魅力的で、そこに幸せというのはあるよなと子供を持ったことない私でも心が洗われた。
労働者の本山役を演じた山本圭祐さんも素晴らしかった。山本さんの演技は、舞台『ロボット』(2024年11月)で演技を拝見している。
本山の役は、台詞が非常に面白くてついつい聞き入ってしまう。例えば序盤の人間は変化しながら生き続ける特別な生き物だみたいな話の件の台詞は、どことなく話の内容が魅力的で引き込まれるのだが、もちろんこの戯曲を書いたノゾエさんのセンスも素晴らしいのだが、それを役に落とし込んで表現してしまう山本さんも素晴らしいなと思う。
もう一人の労働者である猫島とタッグを組んで、会話を面白く見せる工夫があって素敵だった。
絵本作家の笹木役を演じた「スヌーヌー」の笠木泉さんも良かった。笠木さんは、俳優というよりは劇作家のイメージが強く、『モスクワの海』で2022年の第66回岸田國士戯曲賞の最終候補にも上がっているくらいの実力の持ち主である。そのため役者として今作に出演するのは意外にも感じられた。当然、笠木さんの演技を拝見するのも初めてである。
岸田國士戯曲賞最終候補にも上がったことがある笠木さんらしく、与えられた役は絵本作家というクリエイターの立場である。早く新作を描いてくれと編集者に急かされながら、そして家のことは旦那にやってもらっているのにフラストレーションが溜まってくるのは非常にリアリティを感じられる。
でもそうやって好きなことに打ち込んであくせくしている時間が一番幸せなのかもしれないと思った。
そして一人だけ金髪で目立っていたがとても似合っていた。
最後に、寄り添う人役を演じた劇団「地蔵中毒」の東野良平さんと拾った女役を演じた劇団「はえぎわ」の踊り子ありさん。東野さんの演技は、1ヶ月前に「爍綽と」の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』(2025年2月)で演技を拝見したばかりで、踊り子ありさんは「劇団あはひ」の『ピテカントロプス・エレクトス』(2024年5月)で演技を拝見している。
よくあるようなラブストーリーものではなく、ありきたりな男女二人というのがまたリアリティあって良いのかもしれない。そんな二人が一冊のノートを見つけて逗子まで旅に出るという非日常的な描写にも何故か惹かれる。
でもその後描かれるのは、カップルの喧嘩だったりと割と日常的なものも多くて、それでもどこかこの二人は幸せであると感じられるから良いなと思った。
そしてこの二人のエピソードは、どことなく「ロロ」の三浦直之さんらしさを感じた。

【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、劇団「はえぎわ」の演劇作品を初めて観た感想をつらつらと書いていこうと思う。
今作で私は初めて念願の「はえぎわ」の演劇作品を観劇したのだが、大きく2つのことに心動かされた。
まず一つ目は、25周年という長い歴史があって、それが地層のように積み上がって出来た作品のように感じたことである。
客入れの音楽は、すべて「はえぎわ」が過去公演で使用した楽曲が使われていた。非常に楽曲も多岐に渡っていてマイケル・ジャクソンの『Smooth Criminal』が流れていたほどである。それが多岐に渡っているということは、劇団「はえぎわ」そのものがこの25年をかけて色々な作品に挑戦してきた証なのかもしれないと思う。
今作の劇中に、人間は他の動物と比較して特殊な生き物で、それは生きている間に大きく変化するからと書かれていた。人間もそうだが、劇団「はえぎわ」自身も旗揚げから25年後の今まで大きく変化してきた生き物なのではないかと思ってしまう。
アフタートークで、「はえぎわ」は昔は全裸で演技をするみたいなこともやっていたらしいが、今ではそれも時代と共にやっていないと言っていた。そうやって時代の潮流に合わせて変化をしていっているのもまた、劇団「はえぎわ」が人間と同じように生きているからだとも感じた。
劇場のロビーやSNS上には、劇団「はえぎわ」の過去公演の公演写真がずらっと並んでいた。SNSをやっていない方でも劇場に足を運べば「はえぎわ」が辿ってきた軌跡を辿ることができるし、Xでは過去公演の情報がポストされているので、そちらを観て「はえぎわ」の歴史にいつでも浸ることが出来る。
SNSで感想をエゴサしようと思って調べると、「はえぎわ」の劇団公式Xが過去公演のポストをしているが目に止まるってとても良い試みだなと思った。当時の「はえぎわ」を知っている方は懐かしく思うのだろうし、私のような昔の「はえぎわ」を知らない人にとっては、この役者はこんな昔から「はえぎわ」に出演いていたのか、とかこの劇場で上演していたのかとか、こんな雰囲気の公演を行なっていたのかとか興味深い情報に触れられる。それが凄く素敵だった。
そんな中で感じたことが2つ目に当たるのだが、それは「はえぎわ」の演劇作品のスタイルについてである。
今作では、巨大な白いキャンバスを12枚用意して、そこに墨絵で絵を描くことによって舞台美術を構築していった。こうやって絵を描きながら舞台美術を構築していく演出というのは、「はえぎわ」のオリジナルスタイルのようで、過去作でも何度もやっているようであった。
以前「EPOCH MAN」の『我ら宇宙の塵』(2023年8月)という演劇作品でも、背後にLEDパネルを設置して、そこにデジタルアートを投影することによって「はえぎわ」のデジタル版の演出を表現していたように思う。その時もその演出手法に息を飲んだが、もしかしたら着想は「はえぎわ」の作品であった可能性もある。
ライブペインティングで絵を描いて世界観を作り上げるって本当に素敵だと思うし、高度な演出手法だと思う。他の劇作家・演出家の人が「はえぎわ」はいつもどうやって舞台美術を創作しているのかプロセスが気になるとおっしゃっていたが、そう思う気持ちもよく分かる。これは、きっと「はえぎわ」が長年の経験で確立した演出方法があるに違いないと思う。
そんな感じで、「はえぎわ」の今作には色んな魅力が詰まっていて拾いきれていないと思うが、今後も是非とも公演を続けていって欲しいと感じる団体であった。

↓ノゾエ征爾さん過去演出作品
↓町田水城さん過去出演作品
↓高田聖子さん過去出演作品
↓串田十二夜さん過去出演作品
↓山本圭祐さん過去出演作品
↓柴田鷹雄さん過去出演作品
↓踊り子ありさん過去出演作品
↓東野良平さん過去出演作品
↓富川一人さん過去出演作品
↓竹口龍茶さん過去出演作品
↓山口航太さん過去出演作品

