ミュージカル 「アメリカン・サイコ」 観劇レビュー 2025/04/08


公演タイトル:「アメリカン・サイコ」
劇場:新国立劇場 中劇場
企画・制作:PARCO PRODUCE 2025
脚本:ロベルト・アギーレ=サカサ
作詞・作曲:ダンカン・シーク
原作:ブレット・イーストン・エリス
翻訳・訳詞:福田響志
演出:河原雅彦
出演:髙木雄也、音月桂、石田ニコル、中河内雅貴、原田優一、玉置成実、高橋駿一、GENTA YAMAGUCHI、松野乃知、ダンドイ舞莉花、エリザベス・マリー、吉田繭、加島茜、秋本奈緒美、コング桑田、大貫勇輔、竹内聡(演奏)
期間:3/30〜4/13(東京)、4/19〜4/21(大阪)、4/26(福岡)、4/30(広島)
上演時間:約2時間45分(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:ミュージカル、洋楽ポップス、スプラッター、クライムサスペンス
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
1991年にアメリカの小説家であるブレット・イーストン・エリスによって出版された小説『アメリカン・サイコ』。
2000年にはクリスチャン・ベールを主演として映画化され、2013年にはロンドンでミュージカル化、2016年にはニューヨーク・ブロードウェイで上演されたミュージカルの日本初演を観劇。
日本初演版では、主役のパトリック・ベイトマンを「Hey! Say! JUMP」の髙木雄也さんが務め、演出を河原雅彦さんが担当した。
また、私自身は映画も小説も触れずに事前情報なしで今作を観劇した。
物語は、1980年代後半のバブル期のウォール街で繰り広げられる。
当時のウォール街のエリートビジネスマンたちは、流行りの高級レストランで食事をし、ブランドものを身につけて見栄えの良い彼女を競い合う煌びやかなコミュニティだった。
主人公のパトリック・ベイトマン(髙木雄也)も、ウォール街の投資会社に勤務しながら、トム・クルーズと同じマンションで暮らし、ジムやエステで美貌を磨く生活をしていた。
パトリックと一緒に働く秘書のジーン(音月桂)には、もっと品のあるファッションをした方が良いとアドバイスをしたりする。
パトリックがとあるバーに立ち寄ると一人のビジネスマンに出会う。
彼の名前はポール・オーウェン(大貫勇輔)といい、名刺のデザインなども優れている。
自分よりも優れているのではないかと危惧したパトリックは、ポールに対して嫉妬心を抱き始める。
パトリックは昼間はエリートビジネスマンである一方で、夜になると恐ろしい別の顔を持っており、ウォール街の路地裏にたむろするホームレスを虐殺してしまうサイコキラーであったが...というもの。
物語の情報は事前に入れずに今作を観劇したのだが、それでもストーリーもすんなりと理解できるし非常に楽しむことができた。
今作はパトリックのモノローグから始まるのだが、そのモノローグで時代背景を説明してくれるので、入り込みやすい脚本構成になっていた。
そしてなんといっても観客を没頭させてくれるのは、1980年代の洋楽の音楽たちである。
第一幕の最後に使用されているヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの『Hip To Be Square』などの1980年代のアメリカのポップスを想起させる楽曲が多く、マドンナやホイットニー・ヒューストンなどが大好きな方には間違いなく刺さる楽曲たちばかりで私は心踊らされた。
生演奏というよりは音楽がスピーカーから流れながら役者たちが歌い演技をするので、ミュージカルというよりは音楽劇の要素も強く感じた。
脚本に関しては、資本主義と実力主義で動いている社会に対する皮肉が込められていて、今の時代にも刺さる内容だった。
完璧を追求するあまり、自分より上に出る者に対して殺意が湧いたりとサイコパスな行動を取るようになってしまう。
人間らしさと愛情に対して無頓着になっていく主人公パトリックの姿を見て可哀想にも思えてくるストーリー展開が印象的だった。
ラストの主人公パトリックのたどり着いた先の描写を見ていると、やっぱり社会的に成功することよりも、人間として大事なものはずっと持ち続けながら生きていきたいと思わせてくれる。
舞台装置の使い方が秀逸でとても素晴らしかった。
常にステージの中央に位置する円筒形の移動式の舞台装置は、中に入れるようになっていてタクシーになったりエレベーターになったりと様々なモノに変身するので、舞台の見せ方としても上手いと思った。
またパトリックがサイコキラーになって人々を虐殺するインパクトの強い演出は観客の感情を揺さぶられた。
次々と登場人物たちがパトリックによって虐殺されていくにも関わらず、意外にもグロテスクさはそこまで感じず、良い塩梅で衝撃を受けながら観劇出来たので演出のバランス的にも丁度良かった。
出演者陣も素晴らしかった。
特に主人公のパトリック・ベイトマン役を演じた髙木雄也さんが素晴らしかった。
舞台『東京輪舞』(2024年3月)でも一度演技を拝見しているが、とにかく舞台の最初から最後まで出突っ張りで体力を感じた。
また、ジーン役を演じた音月桂さんも素晴らしかった。
パトリックは本当に人間なのかと疑われるくらいの冷徹ぶりでサイコパスな人間であるのと対照的に、非常に人間らしさを感じて彼女が歌う歌には惚れ惚れする。
改めてミュージカルの良さを痛感させてくれる歌声だった。
今作は、特に1980年代のアメリカポップスが好きな方には絶対観て欲しい作品だと思う。
スプラッター要素もやや含まれるが、多少抵抗があっても観られるくらい私はマイルドに感じた。
多くの人におすすめしたい。

↓ティザー映像
【鑑賞動機】
『アメリカン・サイコ』という作品自体の名前は聞いたことあったが、映画も小説も触れたことなく気になっていた。そこへ、河原さん演出でミュージカルが上演されると聞いたので観劇することにした。出演者も髙木さん、音月さん、大貫さんと他舞台で観たことあって演技が素晴らしいと思っていた方々ばかりだったのも観劇の決め手。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
ステージ上にパトリック・ベイトマン(高木雄也)が登場する。ここは1980年代後半のウォール街、投資会社に勤務するパトリックは、エリートビジネスマンとして生活していた。同じマンションにはトム・クルーズが住んでおり、身につけるものも全て高級ブランドもの、食事もいつも高級レストランで済ませ、エステやジムで美貌を磨いていた。パトリックはエステを受けるためか服を脱ぐ。
パトリックの勤務するピアース・アンド・ピアース社では、同僚のヴァン・パタン(高橋駿一)、ティム(中河内雅貴)、マクダーモット(GENTA YAMAGUCHI)、ルイス(原田優一)らと共にいつもオフィスではマウントの取り合いをしていた。常にパトリックは、その中で一番優位な立場にいた。オフィスには秘書のジーン(音月桂)がいる。パトリックはジーンに、そんな格好をしていないでもっとハイブランドものを身につけて品のある女性になりなさいと指摘する。
パトリックは、近所のビデオショップに行く。ビデオショップには『13日の金曜日』、『エルム街の悪夢』などの作品が並んでいる。パトリックはお気に入りの作品を何十回も観るために、ビデオ屋の店員(吉田繭)から購入する。
パトリックは、会社の同僚たちと共にバーにやってくる。そこで、ポール・オーウェン(大貫勇輔)というビジネスマンに出会う。ポールから名刺をもらうパトリックだったが、その名刺の紙の質感といいデザインといい、全てが高いクオリティでパトリックは驚かされる。家に帰りパトリックは、このポールという人物は自分よりも優れたエリートビジネスマンなのではないかと考え始めて危惧する。
パトリックは、コートニー(玉置成実)やエヴリン(石田ニコル)たち女性に誘われて合コンに行くことになる。パトリックは、内気な秘書のジーンも無理やり合コンに誘おうとする。同僚のヤッピーたちも参加して合コンが開催される。パトリックは、社会批判を合コンの場で展開する。ウォール街には金持ちのエリートビジネスマンもいる一方で、路地裏には金のないホームレスもいて、彼らは何をやっているのだとも言う。もっと社会はこうあるべきだとか、諸々豪語して周囲を圧倒してしまう。
合コンに参加した男女は、そのまま廃墟と化した舞台セットの暗がりにいるかのような状態になる。空には星と思われるものが見える。男女は音楽に合わせて踊り出す。
パトリックは、ウォール街の路地裏に入っていく。そこでホームレス(コング桑田)に出会う。ホームレスは金を恵んで欲しそうだったが、パトリックはここで何をしているとホームレスを尋問した後に殴って殺してしまう。
何事もなかったかのようにパトリックはポールと合流し、タクシーに乗って夜のNYの街の中を通って帰宅する。
パトリックはサウナに入っている。そこへ、ルイスがやってくる。二人でサウナに入っていて、パトリックはルイスと色々会話した後に殺そうとするように見えたが、二人は仲良くしていそうだった。
パトリックは、あの合コンからエヴリンと付き合うことになり、自宅で二人はベッドで横になっていた。その時エヴリンから、今度NYでミュージカル『レ・ミゼラブル』をやるから一緒に観に行かないかと誘われる。『レ・ミゼラブル』は常にNYで上演している訳ではない演目なので是非観に行こうとなる。
パトリックとエヴリンは二人で『レ・ミゼラブル』を観ている。その席の近くにはジーンが一人で観劇している。しかし、パトリックとエヴリンは、上演中で喧嘩をしてしまいエヴリンは怒ったまま劇場を後にしてしまう。
しばらくしてパトリックはジーンと二人で話す機会が出来る。ジーンも『レ・ミゼラブル』が観たいとパトリックに言う。しかしパトリックは、『レ・ミゼラブル』は観る人によって評価は分かれると話す。そして二人で、『宿屋の主人の歌』は最高だと話す。
NYにはクリスマスシーズンがやってくる。クリスマス・イブの日、ピアース・アンド・ピアース社の社員は次々とクリスマス・パーティのために仕事を終えて会場にやってくる。パトリックもポールもやってくる。人々はクリスマスを楽しむ。
パトリックとポールは二人でパトリックの自宅にやってくる。パトリックはふと洗面台の付近に一人でやってきた時、自分がたとえこの世からいなくなっても、あまり大きな影響は与えられないのではないかと自分の存在意義について疑い、そうさせているのは自分よりも上手のポールであることに気が付く。
パトリックは、ポールを襲って頭と胴体を引きちぎる。パトリックがポールの生首を持ち上げる映像が流れる。
ここで幕間に入る。
パトリックは、自宅からポールの遺体を黒い袋に詰めて運ぶ。途中で陽気な男性と出くわすが、まさかその黒い袋に遺体が入っているとは思わず、軽々と持ち上げて運んでいく。パトリックは、風呂場までポールの死体を運ぶと湯船にお湯を張ってそこに消石灰を溶かして死体を置き、死体があたかも蒸発してしまったかのように振る舞う。
パトリックは、そのまま風俗店に乱入し、サブリナ(ダンドイ舞莉花)やクリスティーン(エリザベス・マリー)などを次々とチェーンソーで殺していく。そのままダンスと歌のシーンも繰り広げられる。
パトリックは、探偵のキンボール(コング桑田)に呼び出しされる。キンボールは、最近ポール・オーウェンが行方不明になってしまったのだが心当たりないかと尋ねられる。パトリックは知らないと言う。パトリックは、ポールが行方不明になっているだけでなく、NYでは連続殺人事件が起きていることも言及する。キンボールはパトリックに目ざといねと称賛しつつ、私もポールの失踪と連続殺人事件が何か関係しているのではないかと思っていると話し、パトリックの元を後にする。
パトリックは、このままでは自分がサイコキラーであることがバレてしまうのも時間の問題だと思い、NYを後にしてハワイに行く。ハワイでは、緩やかに人々が生活していた。パトリックにとってはこの場所では、自分の求めているような刺激が得られず物足りず馴染まないと思っていた。パトリックは、ハワイでも次々と人を殺していく。
その後、パトリックはパーティに乱入してダンスと歌を繰り広げながら、次々と人を殺していく。チェーンソーを使って、自分の周囲にやってくる人間を次々と殺していく。ルイスもやってくるが彼ですらチェーンソーで殺していってしまう。
そして最後に、ジーンがパトリックの目の前にやってくる。パトリックはチェーンソーを振りかざそうとするがその手を止める。パトリックは他の人間なら男性だろうが女性だろうが無差別に殺すことができたが、ジーンだけは殺せる勇気が出なかった。パトリックは、ジーンに赤いドレスに着替えさせる。ジーンはソロパートで楽曲を披露しながら、パトリックに対して告白する。
しかし、パトリックはジーンの愛情を受け付けることができなかった。自分はそうやってジーンと恋愛関係になれる人間ではないと。ジーンは酷く傷つき、その場を離れていってしまう。
翌日、オフィスでパトリックは秘書のジーンと会う。昨日のことで傷ついたりしてないですよね?といかにも何事もなかったかのようにフランクにジーンはパトリックに接してくる。
その後、パトリックはキンボールと再会する。キンボールは、ヨーロッパでポールの居場所が分かって会ってきたと話す。彼はとても元気そうだったと言う。パトリックは困惑しながらキンボールの会話を聞いていた。
パトリックは一人落ち込む。自分はエリートビジネスマンとして、ハイブランドものを身につけ、身だしなみもステータスも完璧であることを目指した。しかし、それを目指していくうちにいつしか自分という存在がなくなってしまったかのようだった。自分という存在が社会そのものになっていって存在していないようだったと独白しながらソロパートを歌い上げる。
ここで上演は終了する。
比較的前半のパートは、この後どんな物語展開になるのだろうと思わせるくらい、至って1980年代のウォール街に暮らすエリートビジネスマンの日常が描かれる形で進行していた。しかし、パトリックがNYの路地裏のホームレスを殺害してしまうシーンから一変していったように感じた。映画版を観ていた人なら、パトリックがサイコパスだと知っているので殺人をこれから犯す人物だと事前情報から分かっていたから意外性はなかったかもしれないが、それを知らなかった私にとってはパトリックが路地裏でホームレスを殺してしまうシーンは割と衝撃的だった。それまでは、極めてはブランド志向で超絶エリートの普通の人間だと思って観ていたから。ちょっと尖っていて苦手な男手があるが、こういう人間は社会にいるなと思ったから。サイコパスになってしまうのは、意外とそういう普通な人間だと思っている存在と紙一重なのかもしれないと思うと怖かった。
逆に、サイコキラーだとパトリックが分かってから、次々と殺人を犯していくシーンは、パトリックはそういう人間だと割り切って観られたので多少のグロテスクなシーンもあまりショックには感じずに、エンタメとして面白く観ていた。
完璧を追求しすぎてアイデンティティを失っていくという終わり方は、いかにもという感じだが改めて考えると哲学的だなと思った。普通なら、パトリックはキンボールに正体を見破られて逮捕されてしまうのではないかと思うが、そうではなく逮捕はされないのだけれど、ちゃんと主人公にとってバッドエンドで終わっていくというのが凄く不思議で興味深かった。
お金やステータス、ルックスなど全てを手に入れたとしても、決して人間の心は満ち足りない。誰にも愛されず誰にも必要とされない人間でしかなかったら、生きている意味も見出せない。そんなビジネスマンの行き着いた苦悩みたいなものが社会批判的に描かれていて考えさせられた。

【世界観・演出】(※ネタバレあり)
1980年代のアメリカのポップスやロックをベースとした楽曲と、バブル期のエリートビジネスマンが活躍する世界観を目の当たりにし、正直私はその時代と場所を扱った作品にあまり触れてこなかったので、凄く新鮮な印象を受けたと同時に凄く魅了される世界観だった。また、クラムサスペンスを扱いながらそこまでスプラッターに感じることなく楽しめたのも今作の大きな魅力の一つに感じた。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
先述した通り、ステージ上には円筒形の巨大な移動式の舞台装置が置かれている以外に特筆すべき舞台装置はない。巨大な円筒形の舞台装置は、両横に円筒形の上部に登れるように階段が設置されており、円筒形の内部は空洞になっていて、その中に人が入れるようになっている。
この円筒形の舞台装置の上部にパトリックがいるシーンは、基本的にパトリックの自宅であることが多かった印象だった。また、円筒形の内部はエレベーターになったり、タクシーの内部になったりと自由自在に舞台装置を活かしてシーン作りをしていたのが印象的だった。エレベーターとして活用されていたシーンでは、パトリックとトム・クルーズ(GENTA YAMAGUCHI)が同じエレベーターに乗り込むというシーンで使用されていてとても好みな演出だった。また、タクシーをパトリックとポールで乗り込んで演出するシーンでも、この円筒形の舞台装置が使用されていて凄く良い舞台装置の使い方だと感じた。
そして、基本的には新国立劇場中劇場の広大なステージを広々と使っていて、何も舞台装置が仕込まれていないエリアが大きいので、出演者たちは思う存分動き回ってパフォーマンスを披露している印象だった。私は2階席で観劇していたので、ステージを広々と活用しているのも割とよく確認できた。
あとは、オフィスのシーンなどはオフィスチェアなどが複数存在していて、ウォール街のオフィスを象徴していて良かった。
次に映像について。
映像のスクリーンはステージに2枚あった。一枚目は、ステージの一番手前に下されるスクリーンで、開演前と幕間中に下されていた。そこに映像で文字が映し出されていた。
第一幕の最後では、パトリックがポールの生首を持ち上げて、ポールが生首の状態でここから休憩と言っていたのはパンチの効いた演出だった。
もう一つはステージ後方にあるスクリーンで、こちらは劇中のシーンの情景を描写するのに使用されていた印象だった。例えばオフィスのシーンであれば、高層ビルの中にオフィスがあるので、NYの高層ビルの窓から見えるビルの立ち並ぶ景色を映像で投影していた。また、タクシーのシーンではタクシーがNYの夜の街並みを走行しているのが分かるように、両サイドの景色が前方から後方へ移動していく映像がずっと流れていた。あとは、ハワイのシーンではそれらしい映像が映し出されていた記憶である。また、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のシーンでは、劇場内部の映像が映し出されていた。ビデオショップで、様々な洋画のタイトルが映像で映し出されているのも良かったし、別のシーンで様々なブランド名が映し出されているのも好きだった。
さらに、終盤のシーンではパトリックの表情を後ろのスクリーンで映像で映し出していた記憶である。どこかにビデオカメラが設置されていて、パトリックのラストの表情を捉えていた。
次に衣装について。
とにかく男性キャストは皆ビジネススーツが似合っていた。ヤッピーと呼ばれるエリートビジネスマンを演じるので、それらしい完璧でビシッとした格好が印象に残った。
さらに、パトリック役の髙木雄也さんに関してはパンツ一丁になるくらい裸になるシーンも多々あってびっくりした。髙木さんのファンの方にとっては良かったのかもしれないが、エステで美貌を磨いた体を披露するシーンで、肉体美を完璧にまで極める感じを受けてセクシーに感じられた。
女性キャストの衣装も素敵だった。1980年代のアメリカにピッタリとハマるような衣装で格好良かった。
次に舞台照明について。
天井から複数のスポットライトがステージに降り注ぐ照明演出が多い印象だった。白色やピンク色など1980年代らしさなのかもしれないが、日本のバブル期も少し彷彿させるような舞台照明演出に見えた。
あと印象に残ったのは、円筒形の舞台装置に廃人のように出演者が横になって暗転に近い状態になるのだが、まるで円筒形の舞台装置が廃墟のように感じられるくらいの暗さで照明演出がなされているのもあまり見ない演出だったので印象に残った。
あとは、特に第2幕でパトリックが人を殺す度に真っ赤に照明が差し込まれる演出も奇抜で見事だった。その真っ赤な照明も、そこまでグロテスクには感じられなかったから比較的落ち着いて観ることが出来た。
次に舞台音響について。
とにかく1980年代の洋楽ポップス、ロックが中心でマドンナ、ホイットニー・ヒューストン、マドンナ、シンディ・ローパーといったアーティストが好きな方には間違いなく刺さる楽曲の数々だと思う。劇中の楽曲だけではなく、客入れや幕間中も1980年代の洋楽ポップス、ロックが流れていて個人的にはマドンナなどは好きなので、曲名までは特定出来なかったがとても聞き心地良い楽曲ばかりで素敵だった。
あとはダンスシーンが多いので、比較的ノリの良い楽曲も多かった。こういうタイプの楽曲でミュージカルが構成されている作品を観たことがなかったので新鮮だった。
一方で、ミュージカルというと生演奏というイメージがあったが、今作はそういう1980年代の洋楽ポップス、ロックが多いので、音源をスピーカーから流しているものが多かったイメージである。そのため、どちらかというとミュージカルというよりは音楽劇のようにも感じられた。
ただ、ジーンのソロパートに関しては本格的なミュージカルに感じられた。それ以外は1980年代の洋楽ポップス、ロックで構成されているのに対し、ジーンのソロパートだけはおっとりとした曲でミュージカルらしさを感じさせるギャップがあった。これが良い意味でのギャップで、ジーンのソロパートのみがそういう歌声を届ける楽曲だからこそ、人間って良いなと思えるし、こういう人間の魅力こそが人の心を動かすよなと強く感じさせてくれる。やはりミュージカルは良いなと改めて思わせてくれる楽曲だった。
また、パトリックが次々と人を殺していく時にピシャっと音がしていたが、割とシリアスになりすぎずに聞くことのできるバランスの取れた効果音だった。
最後にその他演出について。
歌詞に関しては、日本語と英語が混在したものになっていて、ところどころ違和感を感じたのは否めない。日本語に置き換えるのなら、もっと自然に置き換えられるような言葉もあったのではないかというくらい、ルー大柴のように感じてしまって、そこが勿体なかった。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』が作品中に登場する。『レ・ミゼラブル』がNYでブロードウェイとして初演されたのが1987年なので、当時は新作の人気演目という立ち位置だと思われる。パトリックは一度エヴリンと共に観劇しているものの、その時に二人で喧嘩をしてしまったので、後日ジーンに一緒に観に行こうと誘われても、評価が分かれる演目だぞとあまり乗り気でないことが窺える。ブロードウェイのミュージカル観劇は、確かにお金を持った人たちの娯楽でパトリックには当てはまるかもしれない。しかし、エリートビジネスマンとして極めた人間にとって、ミュージカルにハマるほどの感受性を持っていなかったのかもしれないとも感じた。だからジーンに誘われても行かなかった、つまりそこからジーンとパトリックとの間に溝は出来ていたのかなと感じた。
劇中に日本のメーカーが所々登場するのは胸熱だった。1980年代は日本の経済も調子が良い時で、トヨタや東芝、SONYの名前が劇中でパトリックの口から出るのは日本人だからこそ熱くなってしまった。おそらく、オリジナルのミュージカルでも日本のメーカーは出てくるはずである。

【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
演じたり、歌ったり、踊ったり、服を脱いだりとかなりハイカロリーな芝居の連発だったと思うが、出演者全員が持っている力を最大限に発揮していたと思う。
特に印象に残った出演者について記載する。
まずは、主人公のパトリック・ベイトマン役を演じた「Hey! Say! JUMP」の髙木雄也さん。髙木さんの演技は、舞台『東京輪舞』(2024年3月)で一度だけ演技を拝見している。
『東京輪舞』の時の髙木さんの演技は、二人芝居で上演時間も3時間近くあったこともあり、非常に体力のある役者だなと驚いた。そして今作では、さらにそれを上回って、ミュージカルで歌って踊りながらほぼ出突っ張りで演技を披露されていることに驚いた。今作はもちろん、『東京輪舞』のように二人芝居ではないのだが、とにかく主人公のパトリックを中心に物語が展開されるので出番が非常に多い。そしてセクシーなパンツ一丁の姿を大きなステージで披露したり、歌ったり踊ったりととにかくハイカロリーである。体力がなければこのようなパフォーマンスを長時間ぶっ続けで行うことは出来ないだろう。とにかく体力に驚かされる演技を今作でも披露してくれた。
そうであるが故に、ラストの方は声も枯らしてしまっていたようで、歌も若干声が出ていなかった部分もあったが、それでもこの長丁場をほぼずっとステージ上で演じ続けている姿に感心してしまう感情でかき消された。
歌詞も日本語と英語が入り混じっていて、歌いにくい部分もあるのではないかと思う。それをしっかりとこなしている点も好印象だった。
パトリックはとにかく狂気的で、エリートビジネスマンという側面と、サイコキラーという側面の二面性を持っている。この役作りも難しいと思う。序盤は、サイコキラーには見えず、ホームレスの人間を殺して初めてパトリックが本当にヤバい奴と認識したので、その辺りの演じ分けはもっと上手く出来る部分なのかもしれないが、非常に難役だと思う。その難役に立ち向かった姿勢を称賛したい。
ラストのシーンは、髙木さんとしてどんな感情でパトリックを演じているのか気になった。共通点を見出せるのだろうか。髙木さん自身も、「Hey! Say! JUMP」の一員でイケメンでハイスペックな男性である。そうであるが故に、個性というものに魅力を感じることはあるのだろうか、気になった。
次に、秘書のジーン役を演じた音月桂さん。音月さんの演技は、ミュージカル『この世界の片隅に』(2024年5月)で一度拝見している。
本当に今作におけるジーンの立ち位置が素晴らしく、それを音月さんは完璧に演じられていたと思う。ジーンという人物は、今作ではかなり異質な登場人物として登場する。ウォール街に住むジーン以外の人々は、完璧を求めて高品質志向を追求するのに対し、ジーンはブランドものには興味を示さず、ただ一途にパトリックに好意を寄せている。つまり、無個性のウォール街の人々とは対照的な女性として存在する。
そのジーンの魅力が詰まっているのが、物語終盤で披露されるジーンのソロパートである。このジーンのソロパートだけ、1980年代の洋楽ポップス、ロックとはかけ離れた、王道のミュージカルで披露されるような楽曲である。そこに音月さんの素晴らしい美声が乗るので、観客は本当に彼女の虜になってしまうくらい聞き入ってしまう演出になっている。そこが素晴らしかった。
この役は、ミュージカル女優として優れた歌唱力を持っていないと務まらない役だと思っている。ジーンの配役を失敗してしまうと、この作品全体のクオリティに影響しかねない。そんな重役を音月さんは見事に歌とその出立と演技で演じ切って作品を完璧なものにしていたと思う。
音月さんのジーンによる美声が決まることで、こんな完璧主義なウォール街だけれども、やっぱり人間らしさって大事だなということを再認識させられ、改めてミュージカルの良さを感じさせてくれる点に今作の素晴らしさがあると実感できた。
本当に見事な演技だったと思う。音月さんが出演するミュージカルを他にも沢山観てみたいと思った。
そして、パトリックのライバルであるポール・オーウェン役を演じた大貫勇輔さんも素晴らしかった。
個人的には、もっとポールの登場シーンでパトリックを圧倒しても良いのではないかと思った。パトリックのオーラが強すぎて、パトリックが嫉妬する感情が自然と湧き起こる感じがしなかったから。もっとパトリックを嫉妬させるような風格とオーラがあると、今作はよりしっくりとハマっていたのではないかと感じた。
ただし、それは2階席の遠目で観た風格とオーラからそう感じる部分が大きく、大貫さんの台詞の言い方や態度はおおらかでパトリックに匹敵する感じはあったと思う。逆に全然パトリックはポールに負けている感じがしないのに、勝手に嫉妬心だけが強くなって殺してしまったとも見えるのかもしれない。そうすると、パトリックはイメージ以上に臆病にも思えてくる気がする。それはそれでしっくりくるかも。
第一幕終盤で、パトリックに殺されて生首を持ち上げられる映像は、なかなか斬新でグロい演出だったが、個人的には好きだった。
パトリックの婚約者でもあったエヴリン役を演じた石田ニコルさんも良かった。
ジーンとは対照的で、パトリックのことは好きだけれど遊び慣れているし、いつもパトリックとSEXしてそうだし、なかなか気が強い点も魅力だった。
一番印象に残っているのは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』を一緒に観に行くシーンで、途中でパトリックと喧嘩して劇場を後にするところ。エリートビジネスマンを相手にするくらいなので、気が強いビジネスウーマンという感じが良かった。
あとは、探偵のドナルド・キンボール役を演じたコング桑田さんも印象的だった。
あのおおらかで優しいけれど、パトリックに対してビクともしない姿勢が好きだった。そして適度にパトリックのことを立てるのも好きだった。

【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作で描かれているテーマについて触れながら、この脚本について考察していこうと思う。
公演パンフレットに、パトリック・ベイトマンが憧れたのはドナルド・トランプ大統領のような人物だと書かれていたのを目の当たりにして納得した。確かにドナルド・トランプこそ、アメリカの極度な資本主義社会が生み出したサイコパスかもしれないなと感じた。
パトリック自身は、親の権力もあってエリートビジネスマンとしての地位を確立した。そのため、自分の実力であそこまでの地位を築き上げた訳ではなかった。だからこそパトリックは怖かったのかもしれない。自分の実力でないからこそ、何者かにこの地位を奪われるのではないかと。だから、実力でのし上がってきたポールを嫉妬し、挙げ句の果てには殺してしまった。
ドナルド・トランプは不動産会社のトップでもあった。カリスマ性の高いビジネスマンとして名高いトランプは、一代でその巨額の富を築き上げて大富豪になり、そして大統領にまで上り詰めた。きっとトランプがパトリックの周囲にいたら、トランプ自身もパトリックの殺人対象だったに違いない。
そしてそんなトランプも、まるでパトリックであるかのように、支離滅裂な政策の連続でまるでサイコパスとしか思えないような行動に走って人々を翻弄している。巨額の富を手にして、完璧を築き上げた先にあるのは、こういった人間性を失ってしまった存在になってしまうのだろうかと思うとゾッとする。
この作品の脚本の興味深い部分は、後半になればなるほどストーリーとしては不可解な方向へと走っていくことである。パトリックが、ポールを殺し、そこからウォール街の人間を次々と連続殺人を起こしてもパトリックが疑われることがない。そして挙げ句の果てには、キンボールという探偵がやってくるが、ポールは死んだはずなのにヨーロッパで見つかったという報告を受けることになる。
果たして、キンボールがヨーロッパで見つけたというポールは何者なのか、人違いなのか本物なのか。そこについては何も今作では言及されていない。
このように不可解なストーリーが終盤に続くのだが、おそらくここで強調されることは、パトリックが成し遂げようとしてる全てのことが、実は社会に対して全く何の影響も与えていないということなのではないかと思う。
ポールが生きているか、生きていないのかは今作のメッセージ上関係なく、キンボールがヨーロッパでポールを見つけたということが意味しているのは、パトリックがやったことが全て意味をなさなかった、社会に影響を与えなかったという主張なのだと思う。
パトリックは、自分の地位を守るために完璧を追求してきた。誰よりも自分は美貌を磨き上げ、誰よりも美人な妻を迎え、そして誰よりも高い収入と高いステータスを得ようとしてきた。しかし、そんなことを生きる目的にしたとしても、それは何にも社会に対して影響を及ぼしていないつまらない生き方でしかないという風刺なのだと思う。
劇の途中途中で、パトリックは自分が透明になっていく、消えてしまったら、社会そのものみたいなことを口にしている。これは、どんなに完璧を極めてもその先には虚しい人生しか待っていないということを示唆しているように思う。
完璧を求めすぎると、女性から愛されなくなるというのはよくわかるなと思う。同じようなことを口にする女性は今までも沢山見かけてきたしよく分かる。それは、その人がそれだけになってしまって無個性に感じてしまうからかもしれない。もちろん、怖いというのもあると思うけれど。
では、今作を今のご時世に上演することによってどういう意味があるのだろうか。IT化が進み、生成AIも登場した昨今において、効率性はますます求められる時代になっていき、資本主義の影響力はますます絶大なものになっていったと思う。だからこそ、イーロン・マスクやドナルド・トランプのような、お金持ちでエリートである層にしか興味がなく、そうでない人間をもろともしない人々が出現し、絶大な権力を誇ってしまっている。現代を生きるパトリックというのは、こういったイーロン・マスクやトランプのような人間なのではないかと思う。
まるで彼らがやっていることは人殺しはしていないとはいえ、無差別的に圧倒的な権力で人々を排除しようと一方的に振る舞っている点においてはパトリックと共通していると言える。まさに今作は、そういった狂気的なサイコパスの出現を予言し、資本主義社会に対する警鐘を促した作品とも呼べる。
そんな社会批判を今作は1991年の段階にしていたにもかかわらず、世の中はますます悪しき方向へ向かいつつあると思う。
行きすぎた資本主義社会と実力主義社会は、人間性を失って多くの人々を無差別的に苦しめる方向にしか向かわないと思う。イーロン・マスクやトランプの言動を見ていると明らかである。そうならないためにも、ミュージカル『レ・ミゼラブル』を観劇するなど、芸術に親しむ、人間らしさを求めることは重要なのだと思う。ジーンのような存在こそ必要なのだと思う。
資本主義の影響が強い昨今であるが、そういう人間らしさも大事にしながら生き続けたいと思う。

↓河原雅彦さん演出作品
↓髙木雄也さん過去出演作品
↓音月桂さん過去出演作品

