舞台 「おどる夫婦」 観劇レビュー 2025/04/19

公演タイトル:「おどる夫婦」
劇場:THEATER MILANO-Za
企画・制作:Bunkamura Production 2025
作・演出:蓬莱竜太
出演:長澤まさみ、森山未來、松島聡、皆川猿時、小野花梨、内田慈、岩瀬亮、内田紳一郎、伊藤蘭
期間:4/10〜5/4(東京)、5/10〜5/19(大阪)、5/24〜5/25(新潟)、5/31〜6/1(長野)
上演時間:約3時間5分(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:夫婦、家族、震災、コンテンポラリーダンス、ヒューマンドラマ、泣ける
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆
2009年に『まほろば』で演劇界の芥川賞と称される岸田國士戯曲賞を受賞し、劇団「モダンスイマーズ」の主宰を務める劇作家の蓬莱竜太さんの新作書き下ろしを観劇。
蓬莱さんの演劇作品は、モダンスイマーズ『雨とベンツと国道と私』(2024年6月)、COCOON PRODUCTION 2022『広島ジャンゴ2022』(2022年4月)を観劇している。
今作は、学生時代に演劇サークルで出会ったヒロヒコ(森山未來)とキヌ(長澤まさみ)が出会い、夫婦になってからの10年を描く物語である。
ヒロヒコは演劇サークルで作・演出を担当していて役者たちに台本を読んでもらって稽古をしていた。
しかし、ヒロヒコの癖のある脚本に対して役者たちは反発してしまい上手くいかない。
そんなヒロヒコのことを慰めてくれていたのは演劇サークルの衣装スタッフのキヌだった。
キヌは結婚ということに対してそこまでこだわりがなかったが、料理教室を主宰しながらその生徒たちの相談によって金銭を稼ぐ母の神林朋恵(伊藤蘭)が結婚した方が良いと強く言っていたこともあり、キヌとヒロヒコは結婚を考え始める。
しかし、2011年3月11日、実家が宮城県石巻市にあったヒロヒコは被災し、母の吉田君江を津波で失い、父の吉田勝利(内田紳一郎)も漁師として働いていて多くのものを失った。
そんな中、キヌの家族とヒロヒコの家族が東京で出会い会食をするが...というもの。
まず劇場に入って客入れ中のステージを見た私が思ったことは、舞台空間全体から感じられる「モダンスイマーズ」らしさだった。
『雨とベンツと国道と私』でもそうだったが、ステージ上には非常に大きな舞台装置は仕込まれていなくて、椅子、机、冷蔵庫などの家具がステージ上の至るところに置かれていて、ステージ後方にはスクリーンが何枚も垂れ下がっている。
まずこの舞台空間を目にした時に、蓬莱さんの作品がここから始まるんだという雰囲気にしてくれて楽しさが込み上げてきた。
そして上演中も、スクリーンに度々映像で文字が映し出されて、若干映画っぽさも感じられるような演劇作品の作りになっていて凄く好きだった。
傘をさす人々がステージ上をコンテンポラリーダンスのように踊りながら通り過ぎていくシーンなど、至るところに「モダンスイマーズ」らしい演出を沢山感じられてその空間に浸っているだけでも心地良かった。
そしてなんと言っても特筆したい演出は、ステージ中央にある回転する床面である。
この床面が回転している時に、キヌやヒロヒコが回転している方向と逆側に走ったりすることによって、時間の経過を表しているような、もしくは夫婦の行き違いを表しているような印象を受けてとても良いアプローチだなと思った。
また、舞台照明も非常に素晴らしかった。
特に東日本大震災のシーンで吉田勝利が妻を亡くして叫んでいるシーンなど、暗いシーンでブルーの照明によって悲しみと絶望を表現する感じにグッときた。
また、スクリーンに出演者たちの影が映し出される感じも好きだった。
一方で、脚本に関しては夫婦の10年間という長いスパンを描いているので、どこにフォーカスが当たっているのか分からず、全体的にぼんやりしていてやや冗長に感じられた。
もちろん、私も結婚しているので脚本自体は凄く身近なものに感じられて共感を生むシーンは多かったのだが、このシーンいるのか?と思う場面もあった。
日常の時間の流れというものにストーリー的な面白さを求めてしまうのは違うのかもしれないけれど、もっと描きたいポイントを絞ってスリムにして欲しい感も否めなかった。
それに、今作のテーマは「夫婦」のあり方であるが、もちろん正解はないし、何かこの脚本で明確なアンサーを提示することを求めている訳ではないけれど、凄くぼんやりしたまま終わってしまった上、コロナ禍や、障害を持った神林光也(松島聡)との接し方、震災、脚本家として食べて行くことの難しさなど、要素がてんこ盛りで「夫婦」にフォーカスされる頻度が少ない脚本だったというのも、私が腑に落ちなかったポイントの一つなのかもしれないと思った。
出演者陣は豪華で素晴らしかった。
特に、ヒロヒコ役を演じた森山未來さんのあの脱力感がとても好きだった。
森山さんがいつ踊るだろうかとずっと期待していて、ようやくラストで観られたので嬉しかった。
ラストシーンをやりたかったから蓬莱さんはこの脚本を描き、森山さんにオファーしたのだろうかと想像した。
キヌ役の長澤まさみさんの演技も素晴らしく、生活がだらしないヒロヒコに叱咤する感じや、母の朋恵に対して反発する感じがとても長澤さんにハマり役だった。
そして、皆川猿時さんが非常にインパクトがあって会場を湧かせていたのも印象的だった。
やや上演時間が長めなので、20分の途中休憩ありの3時間強の長さを厭わず、蓬莱さんの脚本が好きな方、パートナーがいる方にはぜひ観て頂きたい作品だと感じた。

↓スポット映像
【鑑賞動機】
「モダンスイマーズ」の『雨とベンツと国道と私』が非常に面白かったので、蓬莱さんの作品は今後積極的に観ていこうと思ったから。森山未來さんと長澤まさみさんの夫婦というのも気になったのでチケットを取った。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
ステージ上に、吉田ヒロヒコ(森山未來)とキヌ(長澤まさみ)、そしてヒロヒコが作・演出を務める演劇サークルのメンバーたちが集まってくる。ヒロヒコは台本稽古を行う。台本を読み上げるのは、キヌだった。キヌは演劇サークルの中で衣装スタッフを担当しているのに台本を読んでいるので、代役で稽古に参加しているのだろうか。
ヒロヒコとキヌは二人で映画を観た後の帰り道、キヌはあまり映画の内容が好みではなかったらしく、監督の自己満足で作られて観客を置き去りにするタイプの作品は嫌いだと言っている。そこからヒロヒコとキヌで二人で会話し、とあるヒロヒコの会話でキヌが登場人物に対して勘違いしていたことに気が付く。ヒロヒコが外国人のことを外人と呼んでいたことを注意しつつ、キヌは自分が追求しなかったら自分は俳優を間違えたまま理解していたと言う。そこからキヌはヒロヒコに対してそっけなくなる。
ヒロヒコは演劇の稽古をしている。とある役者がその台本を読んでこんなことはやりたくないとヒロヒコと喧嘩になってしまい、そのままその演劇は頓挫してしまう。
ヒロヒコと、キヌと同じ衣装スタッフの東雲塔子(内田慈)は、3人で家でビールを飲んでいる。ヒロヒコは部屋の隅で缶ビールにストローを入れて飲んでいて、その飲み方変だから辞めた方が良いと二人に言われる。ヒロヒコは、父からこの飲み方を教わってこう飲むことが好きなのだと言う。だから変わっていると思われるのだとキヌには言われる。
ヒロヒコは、あの戯曲を執筆するのに2年かけたと言う。キヌと塔子は驚き、2年もかけたのなら食い下がらずにもっとアピールした方が良かったのではと言われる。
キヌの母である神林朋恵(伊藤蘭)は、料理教室を開いて主婦たちに料理を教えていた。そして、その生徒たちの相談にも乗ることによって高額の金銭を稼いでいた。そんな様子を見て、キヌは母のやっていることが気に食わず反発していた。しかし朋恵にとっては、キヌがやっている衣装製作会社のアルバイトの方がよっぽどキヌに合っていないから辞めた方が良いと言っていた。キヌは、母が知りもしない衣装製作会社のアルバイトのことを悪く言っていることに対して許せなかった。朋恵とキヌはそうやっていつも衝突していた。
その様子を、キヌの弟である神林光也(松島聡)はそっと見ていた。光也は幼い頃に高熱にかかって障害を持ってしまった。ものを覚えることが出来ず短期記憶しか存在しない。そのため、彼はずっとノートにメモをし続けて生きていた。光也は、昔の自分のことを全く記憶として覚えていないので、自分の命があたかも短いかのように思って生きていて苦しんでいる。キヌは優しく、誰だって過去のことは忘れるしそんなことはないと励ますが。
朋恵は、光也がこんなことになったのはお前のせいだと夫に叱られたことを語り怒りを露わにする。朋恵が光也を幼い時にスイミングスクールに通わせたからだと。
ヒロヒコとキヌは同棲を始める。キヌは結婚ということに関して興味はなかったが、朋恵にあなたはすぐに結婚しないといけないと半ば脅されたので、ヒロヒコと板橋のアパートで同棲することになった。
キヌは朝、バタバタしながら仕事に向かうために支度し家を出ようとする。キヌは、行ってきますとなってから忘れ物を取りに戻ることが多い。ヒロヒコはソファーで寝そべっている。皿くらい洗いなさいとキヌに叱られる。皿を洗うが洗い方が雑だと叱られる。
キヌが家を出ていくと、今度は家に編集者の薮原敦(皆川猿時)がやってくる。薮原は、雑誌の一番後ろのページに載せる作品の原稿を早く書いてくれと言われる。あんなに綺麗な奥さんがいるんだから仕事を頑張れと言われる。自分の書きたい作品だけ書いて食っていけると思うな、こういう世の中に求められている仕事も泥臭くちゃんとやらないといけないと叱られる。薮原は、ヒロヒコの家にある飲み物や食べ物を勝手に食べる。
薮原にヒロヒコは、セックスしてないの?と聞かれる。あまりしてないと答えると、は?という顔をされる。
一方で、キヌの職場では魚谷みつこ(皆川猿時)が衣装製作会社を牛耳っていて無茶苦茶な注文をデザインにつけていた。それに周囲のスタッフは振り回されていた。キヌも塔子も魚谷りく(小野花梨)も。りくは折角自分でデザインしたものを色々みつこの要求によってデザインを変えられてしまって、そのデザインでりくの名前で世に広まってしまうことを嫌った。
そんな中、2011年3月11日14時46分。東日本大震災が起こった。ヒロヒコの父である吉田勝利(内田紳一郎)は、石巻で漁師として働いていて被災した。船も家も津波に流された。そして妻の吉田君江は津波に飲み込まれたまま行方が分からなくなってしまった。勝利が必死で叫んでいる声が聞こえる。
ヒロヒコは家でWiiスポーツをしていた。一人でおそらくテニスと思われるゲームで遊んでいる。そこへキヌが帰ってくる。仕事でヘトヘトらしい。ヒロヒコは雑誌に連載する原稿のためにWiiで遊んで面白いという感情を追求しているようである。キヌにそれで楽しいの?と聞かれるが、ヒロヒコはそんなに楽しいと感じないようである。
その後も、時間だけは過ぎ去り、2014年には広島県の豪雨、2015年にはパリで同時多発テロが起こる。
キヌの家族とヒロヒコの家族で東京で顔合わせをすることになる。キヌ、朋恵、光也、そしてヒロヒコ、勝利で食事することになる。勝利は福島の原発事故があってから東北の海産物に対しての風評被害についてずっと話している。そしてこの店で出されるホタテはどこが産地であるかと店員に尋ねたりする。どうやら北海道らしい。その後勝利は、お金の話など非常にデリカシーに欠ける発言ばかりして朋恵は困惑する。
そして挙げ句の果てに、東日本大震災でヒロヒコの母が津波によって流された話になり、光也がパニック障害を起こしてしまう。キヌは光也を必死でなだめる。それに対して勝利は光也のことを病気だと言ってしまい、朋恵はもう我慢ならなくてその場を去ることになる。
帰り道、朋恵は勝利のことをあんなデリカシーのない人は信じられないと怒りに溢れている。そしてヒロヒコとの結婚にも反対する。そこでまたキヌと朋恵で衝突する。
ヒロヒコとキヌは自宅に帰ると、どうしてヒロヒコは事前に勝利に対して根回しをしておかなかったのかと叱る。光也がそうであることを知っていたのに、どうして勝利に教えておかなかったのかと。ヒロヒコは言葉を失っている。
2015年、キヌの勤めていた衣装製作会社のボスである魚谷みつこが急死した。りくはおいおい泣いている。あんなに仕事が山積みになったまま死んでしまうなんてとキヌと塔子は呆れる。こんなことになるのだったら、富士Qに行っている時間はあったのかと死んだみつこを責める。
クリスマスパーティーが開かれる。ヒロヒコとキヌの家に、キヌの職場の人たちもやってくる。メリークリスマスと言って乾杯してみんなでお酒(シャンパン?)を飲む。ヒロヒコとキヌは、トイレットペーパーを誰が取り替えるかで、言い争っていた。キヌは残りが僅かしかないのにヒロヒコが取り替えてくれなかったと言っている。薮原は、自分はトイレットペーパーを取り替えたことが一度もない言って顰蹙を買われる。
そんな中、キヌはヒロヒコとりくがキスをしているのを目撃してしまう。キヌは衝撃を受ける。
ここで幕間に入る。
ヒロヒコとキヌは役所に行って婚姻届を出す。キヌは思った以上に、何もプレゼントもなく終わってしまったので少しショックに感じているようだった。
二人は桜新町の家賃18万円の2LDKのマンションに引っ越していた。これはキヌの意向でもあるが、流石に家賃が高いのでヒロヒコもちゃんと仕事をやって欲しいという。どうせ今の仕事も自分のやりたい仕事じゃないのなら、もっと給料の良い仕事を探してと。
キヌは舞台の衣装の製作で、演出家(皆川猿時)から色々注文を受けていた。シェイクスピアの芝居ででんぐり返しをするシーンがあるという。しかし話を聞いていると、それはでんぐり返しではなくバク転ではという結論になる。演出家はでんぐり返しもバク転もよくわかっていないにも関わらず、演出助手(岩瀬亮)のあのシーンなどということに関しては、あのシーンと言うなと叱りつけて厳しい。
結果、キヌの名前でその衣装を製作して世に出すことになる。りくは、自分の名前でそのデザインを出したくないと言う。
ヒロヒコ、キヌ、光也の3人で石巻の勝利の元を訪れることになる。自動車に乗ってたどりつく。勝利は大歓迎してくれる。キヌは東京で舞台の仕事があったりと忙しくしているのによく来てくれたと。
四人は缶ビールにストローを入れて吸うようにしてお酒を飲む。キヌもこの飲み方に慣れたようである。勝利は、東京の忙しい中で仕事をしていくのは大変なことだと思うし凄いと言っているのに、ヒロヒコはそんなことはない、東京には大した仕事はないと言う。ヒロヒコは、自分の仕事は光也にだってできると言ってしまう。それに対してキヌは怒る。光也が出来ることは誰にでも出来ることと言ってほしくないと。
それに対してヒロヒコは反論し、キヌの仕事は大したことをしていないと言う。りくの肩書きで仕事をしているようなものだと。そこからキヌは、ヒロヒコがどうしてそこまで知っているかって、あなたりくと繋がっているでしょ、キスをしていたの見たしと喧嘩をする。
ヒロヒコとキヌがぶつかった後、ヒロヒコは東日本大震災で母を亡くした時のことを思い出す。母が津波に流されてしまったのは自分のせいだと泣きじゃくりながら語っている。
キヌの働いてた衣装製作会社は解散し、久しぶりにバーベキューをすることになる。キヌとりくはバーベキューの準備が出来ないと言って、ヒロヒコと薮原に頼ろうとするが二人もバーベキューの準備が出来なくて使えない人扱いされる。そこへ結婚して子供まで出来た東雲塔子と東雲啓太(岩瀬亮)がやってくる。啓太は衣装製作会社を辞めた後にゲームアプリを開発して事業が好調らしかった。
しかし、その後世界は新型コロナウイルスの蔓延によって時が止まったようになる。
ヒロヒコもキヌも仕事を失う。そしてずっと家に引きこもっていたことによって光也が発狂し始める。光也がベランダから飛び降りようとしていたので朋恵は止めようとする。
ヒロヒコは光也のノートを見ながら励ます。光也はこれだけ色々なことを言語化してきたのだから、誰よりも言語化して伝える能力に秀でていると。
しかしヒロヒコはそんな光也の存在を脚本の創作に活かそうと考えてしまうことがバレる。それを朋恵とキヌによって叱られる、酷いと。
天井から黒いシートのようなものが降りてくる。
ヒロヒコとキヌは二人でいる。今まで10年こうやって一緒に過ごしてきたけれど、この次の10年はどうやって生きていこうかとキヌは言う。ヒロヒコがそれに答えると、キヌはそれは私に対するプロポーズ?という反応をする。ヒロヒコはプロポーズも何も僕たちは夫婦ではないかという。キヌはそうかと頷く。この10年の物語が、いつか創作に繋がるといいねと話す。
キヌは踊ろうと言う。キヌはノリノリで踊っているがヒロヒコは乗り気ではない。キヌは強制的にヒロヒコの手を握って踊らせようとする。徐々にヒロヒコも踊れる気分になって一緒に踊る。天井には星が沢山輝いていた。ここで上演は終了する。
脚本で正解をしっかりと提示することに対しては反対だけれど、正直個人的にはこの作品は何も提示されていなすぎてぼんやりしたまま終わっていてしっくりこなかった。最後の踊るシーンも、音楽と照明は良かったけれど、ストーリーとしてグッとくるかというとそうでもなかった。そもそもこの夫婦の価値観を自分が理解していないからなのであろうか。凄く終わり方が逃げているような気もしてしまって、何も答えを出さずに終わってしまっている感じが、逆にモヤモヤした。夫婦ってそういうものなのかもしれないと言われればそうかもしれないが、もっと最後にグッとくるシナリオを期待してしまった。
それもあって、10年間の描写というのが冗長に思えてしまった。退屈したかというとそうではなく、共感できるエピソードも沢山あって身近だから観れてしまうのだが、こんなに尺がなくても良いのではないかと感じた。長尺でやる意義みたいなものが見出せなかった。
非常に要素が多すぎて、コロナ禍や脚本家としての苦悩など非常に蓬莱さんらしいのだけれど、色々風呂敷を広げてそのままなのがしっくりこなかった。もっと絞って欲しかった。
映像で様々な震災を羅列して書いていたが、あれをやってしまうと一つ一つの震災がチープに感じてしまってモヤモヤした。

【世界観・演出】(※ネタバレあり)
かつて観た『雨とベンツと国道と私』で感じられた、「モダンスイマーズ」の世界観がTHEATER MILANO-Zaという大劇場のステージに展開されていて、それだけで蓬莱さんの演劇作品の世界に誘われた。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で観ていくことにする。
まずは舞台装置から。
先述したようにステージ上には、何か巨大な舞台装置がセットされている訳ではなく、THEATER MILANO-Zaの広大なステージの上に、机や椅子、ソファー、マネキンなど点々と置かれているような感じで、役者たちは割と自由に動き回れるスペースが広い印象を受けた。ヒロヒコとキヌたちの自宅のシーンではソファーや冷蔵庫や流し台などがステージに運び出され、キヌの働く衣装製作会社では仕事机や椅子が運び出されていたように、シーンによってステージに広がるインテリアが異なっていた。一番印象に残ったのは、ステージに横一列に様々な椅子が並べられているシーンで、こうやってステージ上に何も巨大な装置も仕込まないことによって、変幻自在にステージ上の空間を変えていく演出が好きだった。
目を引くのは、ステージ中央の床面にある回転する床である。この床が回転することによって、なんとなくヒロヒコとキヌの二人の行き違いや時間の経過を表しているようで興味深い演出だった。あまり床面に回転する装置があるという仕掛けを見たことがなかった(回転舞台は観たことあるが)ので、非常に新鮮だった。
次に映像について。
ステージの後方には、縦長のスクリーンが下手側から上手側まで数枚吊り下げられていた。『雨とベンツと国道と私』のように、時々スクリーンには文字が縦書きで表示される。非常に映画的でエモーショナルに感じた。
今作での映像の使い方は割と説明描写が多いように感じた。ヒロヒコとキヌが今どこに住んでいるのか、たとえば板橋区2LDKのアパートなのか、桜新町家賃18万円2LDKのマンションなのかなど。
また、今作は時間の経過を表す描写が多いので、震災や災害、テロなど死者が沢山出たニュースを映像で文字として流していた。2011年3月11日の東日本大震災から始まり、2013年のフィリピン台風、2014年の御嶽山噴火、2014年の広島豪雨、2015年のパリ同時多発テロ、2016年4月の熊本地震、2017年の九州豪雨、2018年の北海道胆振東部地震、2019年の台風19号、そして2020年の新型コロナウイルスの蔓延まで(抜けはいくつかあります)を文字で死者数、行方不明者数と併記して流していた。演出意図としては、時間の経過を表すのと、東日本大震災から新型コロナウイルス蔓延まで、人々がどこかでヒロヒコと同じような形で家族や身近な人を失っている辛さみたいなものを表現していたのかなと思う。きっとこういう災害や震災、事件が起こるたびにヒロヒコは東日本大震災で自分の母を亡くしたことを思い出し、何か胸にくるものを感じていたことを表現したかったのだろうか。
一方で、こうやって大量の震災や災害を文字として映像に流してしまうと、そういった災害・震災そのものを軽んじているようにも思えてきてモヤモヤした面もあった。これに関して、何か感じた人が他にいたとしたらぜひ耳を傾けたいなと思った。
それ以外にも映像は使われていて、一文が映像としてずっと表示されているシーンもあった。『雨とベンツと国道と私』でも似たような演出があったと記憶している。その一文の内容あどんなもので、どんな意図だったのかは覚えていないし考察できなかったが。
次に舞台照明について。
業界でも有名な吉本有輝子さんの照明演出が見事で素晴らしかった。役者に様々な角度から照明を当てるのでスクリーンに巨大な役者のシルエットが出来上がる演出が素晴らしく好きだった。
今作の照明演出は、明るいシーンと暗いシーンの明暗の差も大きくて印象に残った。特に、2011年3月11日の東日本大震災のシーンや、映像で災害・震災・事件の文字が流れるシーンといった悲しいシーンで、ブルーの照明が照らされて、まるでステージ全体は海の深い部分落ちていったような悲しみに暮れる感じが非常に印象的で心を動かされた。
さらに印象的だったのは、一番ラストのシーンの照明演出である。天井から吊り下げられた豆電球のような照明がチカチカと光っていて、まるで星空のようだった。
次に舞台音響について。
まず効果音が凄く良かった。ヒロヒコが亡くなった母のことを思い出して自分が救えなかった、自分のせいで母が死んでしまったと語るシーンでさざなみの音が鳴っている効果はジーンときたし、東日本大震災のシーンでずっとラジオの音が流れているのも印象深かった。
BGMも思った以上に多用されていた印象だった。無音のシーンの方が少なかったのではないかと思うくらい、全体的に何らかの音楽や効果音は鳴り続けていた。少しベタなのではないかと思うくらい、悲しいシーンでは悲しい曲が流れていた。基本的にピアノの演奏による音楽がスピーカーから流れている記憶だった。ただ、ここまで音楽に頼らなくてもと思いつつも、ノイズにはならない程度の音楽だったし、こういう大きな劇場のステージなので見やすさみたいなものはあったのかもしれない。
そして印象に残るのはやはり、ラストのダンスするシーンの音楽。ピアノが元気に跳ねる感じの楽曲で、ヒロヒコとキヌが踊っている中、音楽もまるで踊っているような感覚を受けた。
あと音楽で印象に残ったのは、第一幕の最後のシーン。割と主張の激しい音楽が流れて、登場人物たちが回転しながらお酒を飲むシーンの愉快さが良かった。s
最後にその他の演出について。
個人的に好きだったのが、役者たちが小ンテンポラリーダンスをするシーン。冒頭のシーンでも演劇の稽古の後にあった記憶だが、コンテンポラリーを所々挟みながらシーンを展開させていくセンスと芸術性が好きだった。また、傘を持った集団がコンテンポラリーをしながら上手から下手に捌けていく演出なども「モダンスイマーズ」らしさがあって凄く良かった。
朋恵が主宰している料理教室の生徒が、また個性的な感じで演技をしていて印象に残った。日常を描いているようで、一部こういう非日常的なコミカルな演出も入っているから蓬莱さんの作品は多くの人に親しまれやすいのかなと思った。
缶ビールをストローで飲むという設定も良いなと思った。言い方が悪いかもしれないが、育ちを感じるなと思う。ヒロヒコは東京でも父の勝利に教わったことを実践してしまうことで、育ちの悪さを露呈してしまうことに色々なものを感じた。でも徐々にキヌもそれに慣れていって石巻に行った時には、缶ビールにストローを入れて飲む姿を見てグッとくるものがあった。受け入れていくことの大事さも感じる。
そして何といっても、ラストのダンスシーンは、蓬莱さんはこのシーンをやりたくて今作を上演しようと決めたのかなと思えた。ヒロヒコはなかなか踊らず、キヌが何度も膝かっくんをして体をほぐして踊らせようとするのが好きだった。そして今作のタイトルである「おどる夫婦」という言葉についても考えさせられた。夫婦というのはこうであるという定義は、今の社会存在しないと思っていて、カップルの数だけ夫婦のあり方があると思う。だからこそ、そういう曖昧なものだからこそ「おどる夫婦」なのかなと思った。形に捉われない夫婦、それが令和であるということを言いたかったのかなとぼんやり思った。

【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
非常に豪華なキャスティングで「モダンスイマーズ」を観られたような感じがあって大満足だった。
特に印象に残った役者について記載する。
まずは、吉田ヒロヒコ役を演じた森山未來さん。森山さんの演技は、『未練の幽霊と怪物ー「挫波」「敦賀」ー』(2021年6月)で一度演技を拝見したことがある。
森山さんの演技は、脱力感がありつつもどこか魅力的に感じるオーラがあるのが好きで、これは森山さんだからこそなせることだなと思う。缶ビールにストローを入れて吸っている感じとか、家でずっとソファーでゴロゴロして仕事する気が起きない感じとか、非常にダメ人間なのにどこか魅力的に感じられるのは森山さんのオーラの凄さなのだろうなと思う。
東日本大震災の時に母を亡くしてしまい、それを自分のせいだと自責するシーンが本当に印象的だった。泣きながら言葉になっているようななっていないような、あの感じで語るのが凄く感情を揺さぶられた。ずっと鳴り続けているさざ波の音も相まって凄く心に響くシーンとして出来上がっていた。
そしてラストの踊るシーン、なかなか森山さんが踊ってくれないのが焦ったい。あんなにキヌが誘っているにも関わらず、なかなか踊らないヒロヒコの焦ったさも好きだった。そして踊り始めると本当にダンスが上手くて惚れ惚れする。序盤に登場するヒロヒコのコンテンポラリーからずっと惹かれていた。
次に、吉田キヌ役を演じた長澤まさみさん。長澤さんの演技は、NODA・MAP『正三角関係』(2024年8月)で演技を拝見している。
今どきの女性っぽいと言ったら良いのか、仕事をバリバリやって子供を作りたくはないけれど、パートナーはやっぱり欲しい、結婚という形ではしたくないといった価値観で生きる女性像が印象的だった。
思想の強い母に反発して、ダメ男のヒロヒコをいつも叱りつける感じがハマっていた。家事をちゃんとやってくれないのを叱ったり、ちゃんとした仕事に就いてお金を入れてと叱ったり、自分の親にちゃんと根回ししてと叱ったりという姿が印象的だった。
しかし、ヒロヒコとりくがキスをしている姿をずっと根に持っている感じもあり、いざという時にぶつけてくる気の強さも印象的だった。
ラストのシーンで、ダンスを誘う感じも良かった。あの演技をする長澤まさみさんは上手いし絶妙にハマっているなと思った。
神林光也役を演じた松島聡さんも素晴らしかった。松島さんはtimeleszのメンバーのようである。
短期記憶しか記憶できない障害を持っていて、生きづらさを抱えている姿が手に取るように分かるので、観ていて色々考えさせられる。自分は人と違うとわかっているからこそ辛いものもあるよなと思う。
印象に残る台詞がある。ノートに書き留めておかないと忘れるので、今の自分はすぐに死んでしまうと思っているのが印象的だった。それを言い出せばどんな人間も時間が経てば変わっていくものだし、それを死と捉えることはしないと思うが、それが短期記憶障害を持っていると如実に実感出来るからこそ怖いのかなと思う。
コロナ禍で発狂したり、東日本大震災のことを聞いて叫び始めてしまう感じも、障害を持って生きていくことの辛さと凄さを感じさせられる。言語化能力が高いというのも、そういうハンディキャップを持っているからこそ身に付く能力と考えると、色々なものが見えてくるなと思う。
ヒロヒコの父親である吉田勝利役を演じた内田紳一郎さんも素晴らしかった。内田さんは、今作で初めて演技を拝見した。
個人的にこの田舎のお父さんが非常に好みだった。たしかに昨今の世の中を見ていると、こういう田舎の男性は嫌われることが多いかもしれない。デリカシーがなくて、光也のことを病気と言ってしまうし、自分の話が多いしでたしかに面倒臭いおじさんである。しかし、悪気は全くなくて、特に第二幕の後半では東京で働いている人のことをちゃんと理解しようとしてくれる姿勢を持っている点に好感が持てた。
田舎のおじさんだと、東京で働いている人たちを見下してくる人もいるので、こうやって少しずつお互いを理解しようと努める姿と、田舎に住んでいたからこその心の温かさを感じられてとても良かった。
最後に、薮原敦役、魚谷みつこ役、演出家役を演じた皆川猿時さんも個性的で素晴らしかった。皆川さんは『ふくすけ2024 -歌舞伎町黙示録-』(2024年8月)、ウーマンリブ『もうがまんできない』(2023年4月)で演技を拝見したことがある。
「モダンスイマーズ」らしさを一番感じさせないコミカルな演技をしていたと思う。それによって、普段あまり演劇を見慣れない人にも親しみやすい作品として仕上がっていたようにも思う。
薮原の、ヒロヒコを説教する感じは好きだった。自分の好きなことだけをやっていて、稼げない奴はダメみたいな思想は面白かった。こういう業界の人は結構いるだろうなと思ったし、だからこそ面白く皆川さんの芝居を観ることが出来た。
また、魚谷みつこの役の演技は強烈だった。ヒステリック過ぎて笑ってしまった。みつこ役はワンシーンしか登場しないのだが、その時に薮原からステージ上で着替えて演じ分けるという演出自体がコミカルで面白かった。演劇としての限界を上手くコミカルに消化しているよなと思った。
また演出家の演技も、プライドが高いけれど、何も分からない知らない感じが面白かった。こういう面倒臭い演出家が実際にいるのだろうか。スタッフにとっては厄介でしかないなと感じた。

【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、それぞれの登場人物についてと、夫婦について自分なりに考察していこうと思う。
ヒロヒコは、宮城県石巻市の田舎で育ち、漁師である父親とも母親とも友好な関係を築いていたと思われる。缶ビールにストローを入れて飲むというのは、父親から教わったものだと思うが、特にその飲み方について誰も注意して来なかったということは、おそらく父も母もずっとこの地元に住んできて東京という地のことをよく知らなかったのではないかと思う。
しかし母は東日本大震災の時に津波で流されて、家も舟も失って生活は非常に苦しくなってしまったと思われる。劇中の描写からは、勝利が今はどんな仕事で生計を立てているのかは分からなかった(聞き逃したかも)が、生活が苦しいというのには変わりはないと思う。
東京でキヌの家族と会食をした時、勝利がつい自分の話をしてしまうのも無理はないなと思う。これだけ生活に苦しんでいて、やはり東北地方の海産物は福島第一原発事故によって汚染されていると思われてしまっていては、その風評被害を払拭したいという気持ちが強くなるよなと思う。だからこそ、勝利は自分の話をしてしまうのだろうなと思った。
一方で、キヌの家族は東京で暮らしていて、何か災害や震災、事故に巻き込まれている訳ではないが、家庭的に色々問題を抱えているのが窺える。
まず弟の光也が短期記憶障害を持っていることである。これは劇中の描写によると、光也が幼い頃にスイミングスクールに通っていて、それによって高熱を出してしまってから障害を持つようになってしまったという。母の朋恵は夫(キヌの父)から光也がこんなことになったのは朋恵のせいと言われてこの家から出て行ったと思われる。父がいなくて弟に短期記憶障害を持つという複雑な家庭事情があった。
こんな家庭環境で育っていたら、キヌは家族に対して良いイメージがないので結婚したいなんて思わないだろうからキヌがあのように振る舞うのは納得だと思った。
朋恵はきっと夫に逃げられてから苦しい思いをしたに違いない。だからこそ、悩める主婦を救いたいと思って料理教室を開き、相談に乗って金銭を得るなんていう仕事を始めたのかななんて想像した。
そんなことをしている朋恵をキヌは快く思っていなかった。母と娘の関係も良くないので、キヌにとっては家庭内にも居場所はなかったと思うから、より家族に対して良いイメージないだろうなと思う。それは、東京に出て仕事をバリバリこなしたくなる理由も分かる。
朋恵と勝利がぶつかってしまったのは、朋恵がそもそも男性に対して良い印象を全く持っていなかったというのもあったのかもしれない。夫がそういう男性で酷い仕打ちをされたので、そういう経験もあったからこその衝突でもあったのかもしれないと思う。もちろん、勝利が悪気もないけれどデリカシーに欠ける言動をしたのもあるが。
キヌが、両家の会食後にヒロヒコを叱りつけるシーンがあった。どうして自分の親に根回しをしておかなかったのかと。この辺りもキヌにとって、両家の親同士の仲が悪くなってしまうというリスクに対して非常に敏感だったということも窺えるのかなと思う。夫婦になるということは、親族が増えるということである。今まで家族に対して良い思いをしてこなかったキヌにとって、自分の夫の家族との関係には非常に敏感になると思う。
キヌはヒロヒコのことをどう捉えながら10年間夫婦としてやってきたのだろうか。この辺りの真意が私には最もよく分からなかった。入籍したタイミングでは、もっと役所の人がプレゼントなどをしてくれるのかと期待していた、つまりもっと祝福して欲しかったと言っていた。そういう感情になったのは、結婚式を二人が挙げていないというのもあるのかなと思う。
キヌは結婚ということに対しては非常に後ろ向きだし、子供を作ることは考えていなかった。バリバリ仕事をして活躍したい女性だった。自分で稼いだお金で桜新町のマンションにも住んでいた。でも、ヒロヒコと夫婦であるのなら、その関係を何か祝福してくれるものは欲していたのかななんて思った。
そして、ヒロヒコがりくとキスしている姿を見た時は衝撃を受けた。疑問に思ったのは、どうしてすぐにキヌはヒロヒコがりくとキスをしている姿を見た時に彼を追及しなかったのかということ。おそらく、そこで彼を追及してしまうと、自分もヒロヒコ以外の男性とカップルになることが出来なくなってしまうからかなと思った。
キヌとヒロヒコは夫婦ではあるが、束縛されない緩い関係でいたいとキヌは思ったのかもしれない。いざ別れるとなっても傷つきたくないから、束縛し合わない関係でいたかったのかもしれない。
だからラストは、次の10年はどうしようとキヌは言って、ヒロヒコにそれはプロポーズなんて言い方をしたのかもしれない。
夫婦ではあるのだけれど、墓場まで一緒であるということは約束されていない関係、それが「おどる夫婦」なのかもしれない。「おどる」という言葉がひらがなになっていることから、踊るだけを表している訳ではないのは明確だろう。ずっと同じ関係ではなく、自由にその時の気分で揺らぐことの出来る関係。深い絆で結ばれた夫婦とは正反対で、ある意味そこには愛情はあるのかと疑ってしまう人も少なくないかもしれないが、そのくらいのライトな方が人生楽しめるというふうに捉えることも出来るかもしれない、極めて現代的な夫婦の在り方だと思う。
そして最後に面白いのが、夫婦なのにお互いプロポーズして踊り始めることである。これは次の10年もまた一緒に夫婦をやっていこうという意味なのではないかと思って観ていた。
ヒロヒコはおそらく、この夫婦の関係に何も気づけていない。でもキヌにとっては「おどる夫婦」だったのだと思う。だからヒロヒコは、最初はダンスに乗れなかった。「おどる夫婦」だと分かっていなかったから。キヌは最初からそういう関係であると分かっていたから、踊ろうとする。踊るということは、次の10年の夫婦としてのプロポーズだと思う。そして徐々にヒロヒコはつられて踊るようになる。
そう考えると素晴らしい終わり方だなと思う。次の10年につながる終わり方。最初はこの踊りに対してよく分からなかったのだが、こうやって整理すると脚本と演出の意図が分かってきたような気がする。
昨今は、たとえ入籍したとしても女性が旧姓で仕事をする機会も増えてきたと思うし、結婚式を挙げない夫婦、新婚旅行に行かない夫婦、そもそもパートナーシップ制度を使って籍を入れない夫婦など様々な形がある。
そういう意味でも、束縛されないライトな夫婦関係というのは、時代に合っているのだろうなと思う。そんな夫婦関係を肯定してくれる「おどる夫婦」は、とても振り返ってみると深みのある演劇作品だった。

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