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聖書の数字6──「この世は6000年」を暗示している


聖書の数字6
この世は6000年」を暗示している!?


一般的に聖書の数字には、象徴的な意味があると理解されます。
たとえば、7(安息)、40(試練)、12(神の民)、3(復活)などはよく登場する数字で、それぞれの文脈で象徴的に用いられます(カッコ内の意味は一例です)。

今回注目する「」も象徴的に用いられます。

この記事では、
聖書の数字6が登場する場面から、象徴的な意味を読み解きます。



🟥「六日働き、七日目に安息する」は基本形


天地創造は、六日の創造と七日目の安息

まずは、創世記1章にある天地創造の記述を見てみましょう。
聖書において初めて「」が登場した場面で、ここから数字6の象徴的な意味を読み取ることができます。

【創世記 1章31節-2章4節】
神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。

第六日である。
こうして天と地と、その万象とが完成した。


神は第七日にその作業を終えられた。
すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

これが天地創造の由来である。

この箇所は、一見すると過去の出来事として書かれていますが、預言的に読むことができます。

次の箇所と併せて読むことによって、その意味するところが鮮明になります。

【詩篇 90篇4節】
あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。

人にとっての千年は、神の目には一日のごとし、とあります。
つまり、神の六日とは人の6000年ということです。

天地の万象が六日で完成した●●」とあるのは、6000年で完成する●●と読み取れます。

💡聖書の数字6は、6000年で完成の奥義
💡数字6は、完成に向けた「苦労と働き」を表す

つまり、創世記1章のこの箇所は、6000年を過ぎた後に読まれることを想定して書かれており、七日目である千年王国時代に入った人がこの箇所を読めば、「確かにそのようになった」と思えることでしょう。


安息日(七日目)を覚える理由

次に「天地の万象が六日で完成した」ことを受けて定められた、安息日に関する記述を見てみましょう。

【申命記 5章12-15節】
安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。
六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをしなければならない。
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。
(略)

あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない
それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。

これは十戒の第四戒である安息日に関する記述です。
六日働き、七日目は安息することが定められています。

注目していただきたいのは、後段にあるこの戒めを守る理由です。

かつてエジプトで奴隷であったが、導き出されたことを覚えるため」とあります。

安息日を守る理由が、「六日間の創造と七日目の安息」ではなく、「エジプトからの奴隷解放」を覚えるためとは、不思議に思いませんか。

これは、エジプトをこの世の象徴として語られ、この世の6000年間の奴隷状態から導き出され、第七千年期(千年王国時代)の安息に入るのだから、七日目を覚えなさいと命じられているのです。

この箇所も前述の創世記1章と同様で、6000年を過ぎてこの世の奴隷状態から導き出された後、この箇所を読むことを想定しています。

千年王国時代に入った人々がこの記述を読めば、確かに、この世の象徴である霊的なエジプトでの6000年間の奴隷状態から解放され、千年間の安息に入ったことを実感することでしょう。

💡「六日働き、七日目は安息する」は基本形
💡「6+1=7の構図」が多く用いられる


続けて、「六日働き、七日目に安息する」の基本形を踏襲した箇所を、いくつか見ていきます。


六年間奴隷、七年目に無償で自由(苦労からの解放)

【出エジプト記 21章2節】
あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない。

これは「六日働き、七日目に安息する」の基本形で「6+1=7の構図」です。6年は6000年の苦労を、7年目は解放の千年王国時代を象徴しています。


六年間種を蒔き、七年目は休む(働きからの解放)

【出エジプト記 23章10-11節】
あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。

【レビ記 25章3-4節】
六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝を刈り込み、その実を集めることができる。しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。これは、主に向かって守る安息である。

これらも同様で、6年とは6000年の働きで、7年目とは安息の千年王国時代のことです。


安息日と新月の燔祭

【エゼキエル書 46章3-6節】
国の民は安息日と、ついたちとに、その門の入口で主の前に礼拝をせよ。

君たる者が、安息日に主にささげる燔祭は、六頭の無傷の小羊と、一頭の無傷の雄羊とである。(略)

ついたちには無傷の雄牛の子一頭、六頭の小羊および一頭の雄羊をささげよ。これらはすべて無傷のものでなければならない。

これは、千年王国時代における安息日と新月祭についての記述です。

これも「6+1=7の構図」で、六頭の小羊は6000年で、一頭の雄羊は千年王国時代のことですね。

「ついたち」とは新月のことで、新月祭には、安息日の「6+1=7」に、雄牛の子一頭が追加されたようです。


以上のとおり、「6+1=7の構図」は多用されており、これは6000+1000=7000を示唆するものであり、この世は6000年であることを何度も繰り返し強調していると言えます。

次は「6+1=7の構図」ではないものの、意図的に「6」を用いて神の計画を暗示していると理解できる箇所を見ていきます。


🟥 6、60、600を用いた6000年の暗示


神は事を隠し暗示的に奥義を伝えます。
旧約聖書から、気付けばなるほどと思える象徴的・寓意的表現で記述されたエピソードを、十個紹介します。

① ノアの洪水は600年目

【創世記】
7章6節
さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。

11章10-11節
セムの系図は次のとおりである。
セムは百歳になって洪水の二年の後にアルパクサデを生んだ。セムはアルパクサデを生んで後、五百年生きて、男子と女子を生んだ。

「ノアは六百歳」とありますが、この翻訳は不正確で正しくは「ノアの六百年目」です。

ノアの洪水はノアの600年目(599歳以上、600歳未満)の時で、洪水を生き延びたノアの子セムは満600歳(600歳以上、601歳未満)まで生きました。

※セムは百歳になった(満100歳)後、五百年生きたので、満600歳。

これは暗喩になっており、「6000年目まで」に裁きがあり、裁きを生き延びた者は「6000年を超えて」生きると読み取れます。


② エジプトに行ったヤコブの子らは66人

【創世記 46章26-27節】
ヤコブと共にエジプトへ行ったすべての者、すなわち彼の身から出た者はヤコブの子らの妻をのぞいて、合わせて六十六人であった。

エジプトでヨセフに生れた子がふたりあった。エジプトへ行ったヤコブの家の者は合わせて七十人であった。

ヤコブの一族はカナンに寄留していましたが、過酷な飢饉の中に居ました。

苦労の中に居たヤコブの子らは66人でした。
彼らは神の導きによってエジプトに移住することによって、66人は飢饉の苦労から救われたのです。そして、既にエジプトにいたヨセフとヨセフの子二人とヤコブとを合わせて70人になったというのです。

カナンに寄留していたのは、ヤコブを含めれば67人のはずですが、あえてヤコブを除いて意図的に66人とすることで、苦労からの解放(60と6から70へ)を表現しているのではないでしょうか。

💡苦労の強調である66(60と6)から、神の導きと救いによって70になる

苦労と働きの時代が6000年で終わり、安息の七日目がやってくる暗示と捉えられます。


③ エジプトを脱出した男子は約60万人

【出エジプト記 12章37節】
さて、イスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに向かった。女と子供を除いて徒歩の男子は約六十万人であった。

エジプトに寄留したヤコブの一族は70人でした。その後、240年が経ち、彼らは増えました。

彼ら(イスラエルの人々)は、エジプトの地で奴隷状態でしたが、神の介入によってエジプトを脱出した男子は、約60万人でした。

💡苦労と働きからの解放が、600の1000倍として表されています。

出エジプトは、終末期のひな形と言われます。終末期の霊的エジプトからの脱出は6000年目との暗示と捉えられます。


④ ファラオの戦車600台

【出エジプト記 14章6-30節】
それでパロは戦車を整え、みずからその民を率い、また、えり抜きの戦車六百と、エジプトのすべての戦車およびすべての指揮者たちを率いた。
(中略)
モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。(略)エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。(略)水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった
(中略)
このように、主はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われた。イスラエルはエジプトびとが海べに死んでいるのを見た

これは、イスラエルの人々がエジプトを脱出した際に、ファラオ(パロ)の軍勢に追いつかれ、モーセが海を左右に分ける有名な場面です。

ファラオは厳選した600台の戦車を整え、自ら民を率いて追いかけました。

この「戦車」は、力で民を支配するという「偽りの価値観」を象徴しています。この偽りの価値観が、民を海に追い詰め連れ戻そうとします。

  • イスラエルは【海】を割って逃れます(出エジプト14章22-23節)。

  • 戦車は【海】に沈み跡形もなくなります(出エジプト14章28節)。

💡聖書において【海】は政治を象徴します。

600台の戦車」が【海】に沈むとは、この世の「偽りの価値観」が政治権力によって消滅することを表しています。それは、6000年の人の歴史の終盤において計画されているのです。

そのとき神の民は、「偽りの価値観」から逃れなければなりません(黙示録17章と18章)。


⑤ 女の子の場合は血の清めに66日

【レビ記 12章1-5節】
主はまたモーセに言われた、
「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。 八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。

もし女の子を産めば、二週間、月のさわりと同じように汚れる。その女はなお、血の清めに六十六日を経なければならない

これはレビ記にあるモーセ律法のひとつです。

女が身ごもって子を産んだ場合、
男の子の場合は、7日+33日=40日
女の子の場合は、14日+66日=80日
母親は活動を控えて身体を休めなければなりません。

女の子とは、将来の花嫁のことです。
この日数は清めに要する期間とあり、将来の花嫁のための血の清めとして、男の子の場合とは異なり「66日を経なければならない」とされています。

「女の子を産めば80日」とは書かずに、あえて「66」と示すことで、キリストの花嫁が清められ、汚れのない麻布の衣を着るのは、六日目(6000年目)であると強調していると言えます。


⑥ 誤って人を殺した者が逃れる町は六つ

【民数記 35章6,15節】
6節 あなたがたがレビびとに与える町々は六つで、のがれの町とし、人を殺した者がのがれる所としなければならない

15節 これらの六つの町は、イスラエルの人々と、他国の人および寄留者のために、のがれの場所としなければならない。すべてあやまって人を殺した者が、そこにのがれるためである。

罪の報酬は死です。
罪を犯した者は皆、人を殺した者です。

モーセ律法の下では、「命には命」の原則がありました。人を殺した者は、死刑です。しかし、過失による場合は、逃れる町がありました。

逃れる町が六つとは、死からのよみがえりが六日目(6000年目)にあると読み取れます。


⑦ エリコの壁

【ヨシュア記 6章2-20節】
主はヨシュアに言われた、
「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
(中略)
六日の間そのようにした。
七日目には、夜明けに、早く起き、同じようにして、町を七度めぐった。町を七度めぐったのはこの日だけであった。
(中略)
そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った

「エリコの壁」は、モーセの後継者ヨシュアがエリコの町を占領するエピソードです。
神の言葉に従い、町の城壁の周囲を一周することを六日間行い、七日目はこれを七周行うように命じられ、そのとおりにすると敵の城壁が崩れ落ちて、町を攻め取ることができました。

これも「6+1=7の構図」になっており、六日間は6000年間の苦労と働きを象徴しており、その期間、神の言葉に従うことによって完成し、七日目に相続地を得るということでしょう。


⑧ ソロモン神殿は666

【歴代誌下 9章13-19節】
さて一年の間にソロモンの所にはいって来た金の目方は六百六十六タラントであった。
(中略)
ソロモン王は延金の大盾二百を造った。その大盾にはおのおの六百シケルの延金を用いた。
(中略)
王はまた大きな象牙の玉座を造り、純金でこれをおおった。
その玉座には六つの段があり、また金の足台があって共に玉座につらなり、その座する所の両方に、ひじかけがあって、ひじかけのわきに二つのししが立っていた。

また十二のししが六つの段のおのおのの両側に立っていた。このような物はどこの国でも造られたことがなかった。

ダビデの子ソロモン王の富と権力は、人間の智慧と苦労との結晶であり、神からの祝福の現れでありながら、人間的・世俗的な栄華の極みの象徴でもあります。

富の象徴である金が666タラントで、敵の攻撃を防ぐ大盾には600シェケルの金が張られ、玉座には6つの階段とあり、人間的・世俗的に堕落していくソロモン神殿は「6」で溢れ、「7」に及ばない人間の限界とも読めます。

ソロモンの富と栄華は永続せず、やがて神殿も富もバビロン王によって破壊されます。

地上の富と栄華を極める価値観は、この世の6000年を最後に終焉することを暗示しているのでしょう。


⑨ レハベアム王の側女60人と娘60人

【歴代誌下 11章21節】
レハベアムはアブサロムの娘マアカをすべての妻とそばめにまさって愛した。
彼は妻十八人、そばめ六十人をめとって、男の子二十八人と女の子六十人をもうけた。

レハブアム王
レハブアム王は、ソロモン王の子で、ソロモン王の治世の後、王国が南北に分裂した直後の南ユダ王国の王です。

60人の側女(そばめ)
「そばめ」とは、正式な妻ではない婚姻契約外の存在です。
正妻ではありませんが、アブラハムのハガル(創世記16章)や、ヤコブのラケルとレアのはしためたち(創世記30章)のように、神の計画に重要な役割を果たします。

60人という側女の数は非常に大きな数です。
レハブアム王の不品行の象徴とも取れますが、6000年間の終末期において婚姻契約外と思われた諸国民(神の民以外の者)が、ダビデの血筋と一緒にされ、大きな数の人々が救いに加えられる象徴とも捉えられます(黙示録14章9-10節)。

60人の女の子(娘)
「娘」は、前述⑤の女の子と同様に、将来の花嫁を表し、また、都市や民を表します(たとえば、シオンの娘、エルサレムの娘)。

ダビデの血筋である南ユダ王国を継いだレハブアム王から60人もの娘が生まれたというのは、血筋の民からもキリストの花嫁が生まれることを象徴しており、6000年目に向けて増え広がることを意味しているのかもしれません。


⑩ ネブカデネザル王の金の像(高さ60×幅6)

【ダニエル書 3章1節】
ネブカデネザル王は一つの金の像を造った
その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトで、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。

バビロン王ネブカデネザルの夢に現れた「巨大な像」の意味を、ダニエルが解き明かしたエピソードがありました。

夢に現れた巨大な像は、五つの大国(金、銀、青銅、鉄、粘土)を表し、ネブカデネザル王は金の頭部とされました。そしてその像は、神の王国に足元から粉々に打ち砕かれるという内容でした。

この夢の解き明かしを聞いた後に、ネブカデネザル王は自ら金の像を建造したのです。その像は、高さ60、幅が6でした。

金の像の60と6は、強大な政治権力が存続する期間──神によって打ち砕かれ、神の王国が樹立する時は六日目(6000年目)──を暗示しているのかもしれません。


このような数字6を使った暗示は他にもあります。
「苦労や働き」の場面や、その終わりや完成の暗示として意図的に「」が使われているようです。

では次に、新約聖書では数字6はどのように扱われているのか見ていきます。


🟥新約聖書における数字6


新約聖書においても、神の計画が6000年であることを暗示した記述があります。以下に二つの記述を紹介します。

これらは、明確に六日目のキリスト再臨を念頭に置いて書かれたものと考えられます。

① 三日目の婚礼で六つの水がめの水を良いぶどう酒に変える

これは、イエスが最初のしるしとして栄光を現したとされる、カナでの婚礼のエピソードです。

【ヨハネによる福音書 2章1-11節】
三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。

ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。

イエスは母に言われた、
「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
(中略)
そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。

イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。

料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。

イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

寓意的・象徴的に書かれたこの記述を読み解きます。

  • 三日目に婚礼があったとは、キリスト初臨から三日目にキリストと花嫁の婚宴があるということです。つまり、花婿は三日目の夜明け前(二日以内)に迎えに来て、三日目に婚宴を行うということです。

  • イエスも弟子たちもその婚礼に招かれたとありますが、二日後(2000年後)の本番はイエスと弟子たちが花婿と花嫁となり、婚宴に招く側になります

  • 「わたしの時はまだ来ていません」とは、本番は2000年後ということです。

  • 六つの水がめとは、六日(6000年)です。

  • 六つの水がめに水をいっぱいとは、六日目に生きているたくさんの人々です。

  • ぶどう酒はキリストの血を表すことから、水がぶどう酒に変わるとは、たくさんの人々がキリストと契約を交わすことです。水が良い血に変わった、つまり、たくさんの人々に良い命が与えられるのです。


💡六つの水がめにいっぱいの水が、良いぶどう酒に変えられたとは、六日目にたくさんの人々がイエスと契約を結び命を得るということです。

【ヨハネの黙示録 17章15節】
御使はまた、わたしに言った、
あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である

【マルコによる福音書 14章24-25節】
イエスはまた言われた、
これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

【ヨハネの黙示録 14章9-10節】
ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

さらに、この婚礼の三日目とは、六日目でもあるのです。

ヨハネ1章15-18節にバプテストのヨハネが活動をはじめ、キリストについて証をしたとあります。これを受けて19-28節でエルサレムから祭司やレビ人がヨハネを訪れ「あなたはだれか」と尋ねます。

この日を一日目として、29-34節が二日目(イエスのバプテスマ)、35-42節が三日目、43-51節が四日目とあります。
そして、その三日目(都合六日目)にカナでの婚礼があったとあるのです。

つまり、六日間の最後に婚礼があり七日目は結婚生活(安息)との暗示でもあるのです。
注:ご自身の聖書で確かめてみてください。


② 六日後の変貌山

これは、いわゆる変貌山のエピソードで、キリスト再臨のたとえと理解できます。

【マルコによる福音書 9章1-8節】(変貌山)
また、彼らに言われた、
「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた
(中略)
すると、雲がわき起って彼らをおおった
そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた

六日の後、選ばれた三人の弟子だけがイエスと共に高い山に登ります。
イエスは、彼らの目の前で変貌し、そこにエリヤとモーセが現れて語り合います。
弟子のひとりであるペテロがイエスに話しかけると、彼らは雲に覆われ「これに聞け」と神の声がありました。
弟子たちは急いで見まわしましたが誰も見えず、イエスだけが一緒にいたという話です。

象徴的・寓意的に書かれたこの話は、次のとおり読み解けます。

  • 神の国を見るまで死なない者がいます

  • 選ばれた弟子とは、第一の復活に預かる者です。

  • 高い山とは、沢山の信者の集まり(エクレシア)です。

  • 変貌したイエスとは、キリスト再臨です。

  • エリヤとモーセとは、預言と律法です。

  • 雲は、神の臨在です。

  • イエスとエリヤとモーセと弟子たちが雲に覆われたのは、再臨と臨在です。

  • 「これに聞け」とは、キリストに従えです。

  • 最後の弟子たちは地上で生き残っているキリスト者を表し、預言と律法は成就し見えなくなるが、イエスはいつまでも共に居るということです。

  • これらは六日後のことで、6000年の最後です。


📍新約聖書の諸文書は、キリスト到来後に書かれたものであることから、神の計画の全体像である「」を用いるよりは、キリスト到来から数えて三日目とか二日後といった暗示が多用されています。


おわりに


これまで見てきたとおり、聖書における数字6は、「この世は6000年」を暗示していると言えるのではないでしょうか。

もし、これら多くのエピソードの中で語られた数字6が6000年を意味しないとすれば、一体何のこだわりで、わざわざ6や60や600などの数字を用いているのでしょうか。ただ、史実を書き残したら偶然6になったのでしょうか。

神は、創世記1章において、最初からご自身の計画を告げていたと考えるのが、素直な読み方ではないでしょうか。

【イザヤ書 46章10節】
わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。


6000年目、その日は近い。


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