エゼキエル戦争とハルマゲドンは近いのか?本当の患難とイエスの忠告
とある界隈で話題の「エゼキエル戦争」は、近いのでしょうか。
エゼキエル戦争とは──
聖書・エゼキエル書の38章と39章にある預言で、一般的な解釈では、「神による終末期の大戦争(最終戦争)」と言われています。
実際、この戦争について聖書にはどのように預言されているのでしょうか。
ネタ元の記述を確認してみましょう。
まずは、エゼキエル書の38章と39章のそれぞれの冒頭部分をご覧ください。
📕エゼキエル書 38章
【エゼキエル書 38章1-4節】
主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、言え。
主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。
わたしはあなたを引きもどし、(以下略)
📕エゼキエル書 39章
【エゼキエル書 39章1-2節】
人の子よ、ゴグに向かって預言して言え。
主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。
わたしはあなたを引きもどし、(以下略)
「ゴグに言え」「メセクとトバルの大君であるゴグ」「わたしはあなたの敵となる」「わたしはあなたを引きもどし」など、まったく同じ表現です。
38章は全部で23節あり多くの預言が語られていますが、続く39章の冒頭で38章とほぼ同じ描写が繰り返されているのです。38章と39章が一連の戦争の預言であるなら、なぜ、38章の冒頭部分が繰り返されるのでしょうか。
結論を先に言いますと…
💡実は、38章と39章は、別の時代の戦争なのです。
📌この記事では──
38章と39章のふたつのエゼキエル戦争と本当の患難を、明らかにします。
終末期の神の計画
まずは、終末期の神の計画を確認します。
聖書にある福音書には、イエスが語った「終わりの日のしるし」が収録されています。その記述は、ヨハネの黙示録にある終末期の記述と合致しており、神の計画の順序を知るのに有用です。
では、マタイの福音書24章とヨハネの黙示録19章をご覧ください。
📕イエスが語る終末期(マタイ書24章)
イエスは、自身の再臨について、次のように述べました。
【マタイによる福音書 24章29-31節】
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。
またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
👉患難の後、人の子のしるしが天に現れ、天の雲に乗って来るのを、人々は見る。四方からその選民を呼び集める。
💡【患難の後にキリスト再臨】があります
続けて、黙示録の19章には、キリスト再臨から千年王国時代への移行期間が描かれています。
📕ヨハネの黙示録 第19章要約
1-8節 天の大群衆の大声のような声があった。また、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものが言った。
「小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をした」
9-10節 御使は言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。
11-16節 天が開かれ、そこに白い馬がいた。
それに乗っている方は、「神の言」と呼ばれた。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
17-18節 ひとりの御使は鳥に向かって大声で叫んだ、「王たち、将軍、勇者、馬、馬に乗っている者、また、すべての自由人と奴隷、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。
19-20節 獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いを挑んだ。 獣は捕えられ、偽預言者も、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
21節 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。
黙示録の19章の一連の流れを簡単にまとめると、次のとおりになります。
① 天の大群衆の声、婚宴の時が来た。
② 婚宴に招かれる者は幸い。
③ 天から白馬に乗っている方が来る。諸国民を打ち、治め、酒舟を踏む。
④ 獣と地の王が戦いを挑む。獣と偽預言者は火の池へ。
⑤ それ以外の者は、口の剣で殺され、鳥が肉を食べる。
前述のマタイ書24章にあった「患難の後、人の子のしるしが天に現れ、天の雲に乗って来るのを、人々は見る。四方からその選民を呼び集める」のは、この黙示録19章の①~③で、これがキリスト再臨の場面です。
④は「獣らが戦いを挑む」場面で、これがいわゆる「ハルマゲドンの戦い」です。
📍「獣らが戦いを挑む=ハルマゲドンの戦い」の根拠は、こちら
一旦整理します。
💡終末期の順序は
0.患難の後にキリスト再臨
1.天の大群衆の声(いわゆる携挙)
2.白馬に乗っている方(いわゆる再臨)
3.獣らが戦いを挑む(いわゆる最終戦争)
です。
再臨の後にある「獣らが戦いを挑む」が、エゼキエル戦争なのでしょうか。
では、エゼキエル書38章から順に見ていきましょう。
本当のエゼキエル戦争は、いつあるのか
エゼキエル書の38章1-9節に、次のようにあります。
【エゼキエル書 38章1-9節】
主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、言え。
(中略)
あなたは備えをなせ。あなたとあなたの所に集まった軍隊は、みな備えをなせ。そしてあなたは彼らの保護者となれ。
多くの日の後、あなたは集められ、終りの年にあなたは戦いから回復された地、すなわち多くの民の中から、人々が集められた地に向かい、久しく荒れすたれたイスラエルの山々に向かって進む。その人々は国々から導き出されて、みな安らかに住んでいる。
あなたはそのすべての軍隊および多くの民を率いて上り、暴風のように進み、雲のように地をおおう。
この記述から、一部の解釈者は、2000年の時を経て建国された現イスラエル国(中東のパレスチナに集められたユダヤ人の国)に、周辺諸国の軍隊が攻め込もうとするのがエゼキエル戦争だと言います。
「多くの日の後」
「終わりの年に回復された地」
「多くの民の中から人々が集められた地」
「久しく荒れすたれたイスラエルの山々」
「人々は国々から導き出され安らかに住んでいる」
これらは、何を表すのでしょうか。
先ほどの黙示録19章(キリスト再臨)の次の章である黙示録20章の7-10節に、次のとおりあります。
これは、千年王国時代の末期の記述です。
📕ヨハネの黙示録 20章7-10節
【ヨハネの黙示録 20章7-10節】(千年王国時代末期)
千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。
すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
続いて、エゼキエル書の38章14-23節の記述を見てみましょう。
📕エゼキエル書 38章14-23節
【エゼキエル書 38章14-23節】
それゆえ、人の子よ、ゴグに預言して言え。
主なる神はこう言われる、わが民イスラエルの安らかに住むその日に、あなたは立ちあがり、北の果のあなたの所から来る。多くの民はあなたと共におり、みな馬に乗り、その軍隊は大きく、その兵士は強い。
あなたはわが民イスラエルに攻めのぼり、雲のように地をおおう。
(中略)
しかし主なる神は言われる、その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。
(中略)
わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく。わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。
そしてわたしはわたしの大いなることと、わたしの聖なることとを、多くの国民の目に示す。
そして彼らはわたしが主であることを悟る。
「多くの日の後」とは、キリスト再臨から千年後である千年王国時代の末期のことです。
「終わりの年に回復された地」とは、キリスト再臨後、千年王国時代に回復された神の王国のことです。
「多くの民の中から人々が集められた地」とは、キリスト再臨によって、四方から集められた人々が住む千年王国時代の神の王国のことです。
「久しく荒れすたれたイスラエルの山々」とは、キリスト再臨まで神に背いていた信仰の民(神の民)のことです。
「人々は国々から導き出され安らかに住んでいる」とは、四方から集められ、千年王国時代に住む神の民と諸国民です。
また、
「イスラエルに攻めのぼり、雲のように地をおおう」は、「聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した」と一致します。
「火と、硫黄とを、彼とその軍隊…の上に降らせる」は、「天から火が下ってきて、彼らを焼き尽し…悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた」と一致します。
このように、
エゼキエル書38章と黙示録20章との記述は見事に一致しており、エゼキエル書38章の戦争は、千年王国時代の末期に起こる出来事であることが分かります。
💡38章のエゼキエル戦争は、千年王国時代の末期にある
📍イスラエルの山々とは「信仰の民」のことです。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
つまり、聖書の記述からは、
38章のエゼキエル戦争は、キリスト再臨後の「獣らが戦いを挑む(ハルマゲドン)」ではないことが分かるのです。
もちろん、キリスト再臨前の患難でもありません。
エゼキエル書39章の戦争とは
エゼキエル書38章の描写は、黙示録20章の記述と合致しており、千年王国時代の末期の事象であることが分かりました。
では、エゼキエル書39章にある38章と似た記述は、何なのでしょう。
早速、39章を見てみましょう。
📕エゼキエル書 39章
【エゼキエル書 39章1-8節,17-20節】
1-8節
人の子よ、ゴグに向かって預言して言え。
主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。わたしはあなたを引きもどし、あなたを押しやり、北の果から上らせ、イスラエルの山々に導き、あなたの左の手から弓を打ち落し、右の手から矢を落させる。
あなたとあなたのすべての軍隊およびあなたと共にいる民たちは、イスラエルの山々に倒れる。
(中略)
わたしはわが聖なる名を、わが民イスラエルのうちに知らせ、重ねてわが聖なる名を汚させない。
諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る。
主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。
これはわたしが言った日である。
17-20節
主なる神はこう言われる、人の子よ、諸種の鳥と野の獣とに言え、みな集まってこい。わたしがおまえたちのために供えた犠牲、すなわちイスラエルの山々の上にある、大いなる犠牲に、四方から集まり、その肉を食い、その血を飲め。
(中略)
おまえたちはわが食卓について馬と、騎手と、勇士と、もろもろの戦士とを飽きるほど食べると、主なる神は言われる。
続けて、キリスト再臨後である「獣らが戦いを挑む」の場面を見てみましょう。
黙示録にある、いわゆるハルマゲドンの記述です。
📕黙示録 16章12-17節と19章17-21節
【ヨハネの黙示録 16章12-16節】(第六の鉢、ハルマゲドン召集)
第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。
(中略)
また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。
これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(中略)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。
【ヨハネの黙示録 19章17-21節】(獣らが戦いを挑む)
また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。
彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。
しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。
そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。
エゼキエル書39章と黙示録19章17-21節の記述は、非常に酷似していると思いませんか。
「メセクとトバルの大君であるゴグ」とは、全世界の王たちのところに行く三つの悪霊のことです。
「イスラエルの山々」とは、信仰による神の民のことで、キリスト者です。彼らは白馬に乗っている方に従う天の軍勢です(黙示録19章14節)。
「ゴグの軍隊と民たちは、イスラエルの山々に倒れる」とは、白馬に乗っている方とその軍勢とに戦いを挑んだが捕らえられ、偽預言者と獣は、火の池に投げ込まれることです。
「諸国民はわたしが主、イスラエルの聖者であることを悟る」とは、白馬に乗っている方が、鉄のつえをもって諸国民を治めることです(黙示録19章15-16節)。
「これはわたしが言った日」とは、全能なる神の大いなる日のことです。
「おまえたちはわが食卓について…飽きるほど食べる」の描写は、神の大宴会に集まって肉を食らえの記述と一致します。
このように、
エゼキエル書39章と黙示録19章17-21節との記述は見事に一致しており、エゼキエル書39章の戦争は、キリスト再臨後に起こるハルマゲドンの戦いであることが分かります。
💡39章のエゼキエル戦争は、キリスト再臨後のハルマゲドンの戦い
非時系列配置
💡38章のエゼキエル戦争は、千年王国時代の末期にある
💡39章のエゼキエル戦争は、キリスト再臨後のハルマゲドンの戦い

多くの解釈者は、エゼキエル書の38章と39章とを、同一の戦争と解釈し、章の順序が逆になったように見える本記事の解釈に辿り着けません。
預言書における非時系列配置
聖書の預言書では、章の順序が必ずしも時系列を反映しない「非時系列配置」が一般的です。
たとえば、
イザヤ書24-27章:終末の裁きと復興が詩的に混在し、時間が飛躍する。
ダニエル書2章と7章:同じ世界帝国を異なる視点(人間的・神的)で描き、順序は時系列的でない。
ゼカリヤ書12-14章:メシアの到来と戦いが、時系列的に逆転して提示される。
黙示録6-19章:キリスト再臨までの三年半を七層に重ねて繰り返し記述され、時系列が前後する。
エゼキエル書の38章と39章もこの特徴を示しています。
この時系列が逆転しているように見えるのは、預言書が「神の裁きと民の回復」というテーマを優先し、詳細や異なる視点が後述されるからです。
非時系列配置を理解する
創世記においても、1章26-30節で「人を男女に創造した」の記述がありますが、続く2章5節では「人はいなかった」とあり、7節で「土のちりで人を造り」、22節で「人のあばら骨で女を造った」とあります。
これらをもって、人の創造は二回あると読解する人がいますが、これは誤読解だと分かりますよね。
人の創造は一回で、まずは、創造の一日目から七日目までを一気に述べた後、改めて人の創造の詳細を述べているだけです。
これと同様に、筆者が述べたいテーマが優先され、決して一つの時系列(出来事が生じる順序)で詳述されている訳ではないことを、理解する必要があります。
いずれにしても、ふたつのエゼキエル戦争はどちらもキリスト再臨より後の出来事になりますので、これらはイエスが語った「患難」ではありません。
💡ふたつのエゼキエル戦争は「患難」ではない
キリスト再臨前の本当の患難とは
エゼキエル書38章の記述に、イスラエルに攻め上るとされる周辺国が具体的に書かれていることから、キリスト再臨前にあるとされる患難がエゼキエル戦争として勃発する!ロシアとイランがイスラエルを攻めてくる!と、とある界隈では盛り上がっています。
ここまでお読みいただいた方は、それは的外れな解釈だと分かるはずです。
👉38章は千年王国時代末期であり、ハルマゲドンの39章には具体的な周辺国の記述がありません。
では、キリスト再臨前にあると言われた患難とは、「本当の患難」とは何のことなのでしょう。
聖書を素直に読めば、それが何か、明確に書かれていることを悟ることができます。
💡本当の患難とは、選民をも惑わす偽物が現れること
【マタイによる福音書 24章21-26節】(世の終わりのしるし)
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、あなたがたに前もって言っておく。
だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
💡神の戒めから離れさせる偽預言者を信じるな
【マルコによる福音書 7章6-9節】
イエスは言われた、
「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、
『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。
また、言われた、
「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。
イエスは、終末期には偽キリストや偽預言者が蔓延ることを事前に語っており、信じてはいけないと忠告しています。
💡この忠告を無視してはいけません
厳しい言い方になりますが、どんなに読解力がなくても、「神の戒め(十戒)を守る」という的(まと)だけは外さないでください。
📕天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画も廃れない
【マタイによる福音書 5章17-20節】
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
よく言っておく。
天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
それだから、
これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
しかし、
これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
わたしは言っておく。
あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
👉とある界隈(現代のキリスト者界隈)には、形式的に律法を守ろうとしていたパリサイ人をあざ笑う者がいます(マタイ5章22節)。
確かに、形式的な律法主義は神の本意ではないでしょう。しかし、彼らの義に勝っていなければ、天国に入れないとも言われているのです。
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