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【黙示録 第11章】終末期の二人の証人とは、あなたかもしれない


黙示録11章は、終末期の42か月について書かれています。そして「二人の証人」と言う人物が登場します。

この「二人の証人」とは、一体何者なのでしょう。

彼らは超自然的な業を行うとあり、これを文字通り読めばいいのか、象徴的なものなのか、その解釈については多くの考察があります。

彼らの特徴を聖書から読み取り、何者なのかを探っていきたいと思います。


1|聖書の記述から特徴を読む


以下は、該当箇所の全文です。

【ヨハネの黙示録 11章3-13節】
3節 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。

4節 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である

5-6節 もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。

7-8節 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。

9-10節 いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。

11-12節 三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。

13節 この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。


2|「二人の証人」の特徴


1.証し(預言)をする期間

彼らは、1260日(42か月、三時半)の間、荒布を着て預言します(黙示録11章3節)。

この期間の長さについては、黙示録12章にある二つの養われる期間や13章の獣が支配する期間、またダニエル12章にも終末期の象徴として頻繁に現れます。

💡この二人の証人が活動する時代は終末期の末期で、具体的には2025年から2028年の1260日と考えられます。


2.力と保護

彼らは、
①口から火が出て敵を滅ぼし、②天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っており、③水を血に変え、④あらゆる災害で地を打つ力を持っているとされ、超自然的な力が描写されています。

これらは実際にこのような超能力が発揮されるのではなく、象徴的描写と考えます。
①から④の描写は、それぞれ次のとおり言い換えることができます。

①口から火が出て敵を滅ぼす
口から出る火のような「御言葉=神の言葉(真理)」でもって、敵を完全論破する。

②天を閉じて雨を降らせない
神の恵みの雨を止め、地(世の宗教や価値観)を砂漠のように不毛にさせ、地から派生するものが繁茂しないようにする。

③水を血に変える
人々を永遠の命に導く(六つの水がめの水を上質のぶどう酒に変えた奇跡(ヨハネ2章1-11節))。

④あらゆる災害で地を打つ力
地(世の宗教や価値観)を火・水・風・震・熱・冷など様々な手段で責める。

※聖書において「地」とは、世の宗教や価値観を象徴します。


3.殺されるが復活する

彼らは、底知れぬ所からのぼって来る獣によって殺されますが(黙示録11章7節)、三日半後に神の力で復活します(黙示録11章11節)。

この「殺される」の描写についても、実際に殉教を遂げるというよりも、死と復活を象徴的に表していると言えそうです。また、三日半の日数も象徴でしょう(この場面の日数だけが実際の日数とは考えにくい)。


4.大地震と神の栄光

彼らが天に昇った後、大地震が起こり、多くの人が神を恐れて栄光を帰します(黙示録11章13節)。

この大地震についても、実際の自然災害と言うよりも、「地=宗教界」が大きく震えるといった解釈が成り立つでしょう。

これらの現象を目の当たりにした多くの人が、回心することが描かれています。ただし、別の箇所では、残りの者は偶像礼拝を辞めず回心しようとしなかったなかった(黙示録9章20-21節)との記述もあるので、多くの人が回心に至るが、残りの多くの人は回心しなかったと取れます。

💡「多く」と言う表現は、相対表現であり、また主観表現です。あくまでも多いか少ないかの「多い」であって、「大多数が」とか「ほとんどが」と言っているわけではないことに注意が必要です。


3|二人である意味


罪に定めることについて、旧約聖書ではその証言に規定が設けられています。

申命記19章15節では、罪の証人は「二人または三人が必要」とされています。二人の証人であることによって、神の真実性を確証する象徴でもあります。

二人が協力して証しすることは、神の言葉が力強く、確かなものであることを示します。

【申命記 19章15節】
どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならないふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない


4|二人の証人とは何者か


二人の証人の特徴を見てきましたが、超自然的な超能力は象徴的な意味であり、二人という人数も律法からの象徴であることが概ね理解できました。
これを受けて、二人の証人は何を(誰を)象徴しているのかについて、考察していきます。

主な解釈として次の三つの考察が挙げられます。


1.モーセとエリヤ

【理由】
彼らの行う奇跡(雨を止める、川を血に変える)は、旧約聖書のモーセ(出エジプト7章)とエリヤ(列王上17章)の奇跡と似ています。
モーセとエリヤは、旧約聖書の律法と預言者を代表する人物です。
この二人は、一世紀のイエスの宣教活動期間において、弟子たちの目の前に現れ、イエスと語り合っていた描写が福音書にあります。
終末期において、再び現れる象徴と解せます。

【象徴性】
神の律法と預言が、終末期において世界に証しされると考えられます。

【マルコによる福音書 9章2-4節】
六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた


2.信者のうちの聖徒(王または祭司となる者)

🔥筆者はこの説を支持します。
【理由】
二人の証人は「二本のオリーブの木」と「二つの燭台」として描かれており(黙示録11章4節)、これはゼカリヤ書の4章の象徴的な描写を思わせます。

オリーブの木とは油注がれた者であり、王(指導者)を象徴しています。
燭台は黙示録1章でエクレシア(信者の集い)の象徴とあり、エクレシアを指導する者である祭司を表していると考えられます(黙示録1章6節と20章6節)。

【象徴性】
終末期における迫害と殉教を覚悟する聖徒(14万4千人※この数字も実数ではなく象徴)であり、その活動はモーセとエリヤを彷彿とさせるものと考えられます。

【ゼカリア書 4章11-14節】
わたしはまた彼に尋ねて、「燭台の左右にある、この二本のオリブの木はなんですか」と言い、重ねてまた「この二本の金の管によって、油をそれから注ぎ出すオリブの二枝はなんですか」と言うと、彼はわたしに答えて、「あなたはそれがなんであるか知らないのですか」と言ったので、「わが主よ、知りません」と言った。すると彼は言った、「これらはふたりの油そそがれた者で、全地の主のかたわらに立つ者です」。

【ヨハネの黙示録 1章6節】
わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

【ヨハネの黙示録 1章20節】
あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

【ヨハネの黙示録 20章6節】
この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する


3.二人の具体的な人物

【理由】
一部の解釈では、彼らは終末期に現れる実在の二人の預言者(例えば、再臨のエリヤともう一人の人物)であるとされています(マラキ4章5節)。

【象徴性】
終末期に神が使わす特別な使命を帯びた人物を象徴すると考えられます。

【マラキ書 4章5節】
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤあなたがたにつかわす


まとめ


二人の証人は、終末期の42か月において神の福音と真理を大胆に証しする存在であり、モーセとエリヤを彷彿させる者(多くの聖徒たち)を象徴しています。

彼らはその大胆さゆえに迫害され、一時的に敗北するように見えますが、最終的には復活し、神の勝利を証明します。
これは、神の民が困難の中でも忠実に証しする使命を持ち、神の最終的な勝利に参与することを示しています。


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