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『自分らしさ』にご注意ください。―自分らしさが人を苦しめる理由

社会で頑張るみなさまへ


本記事は、私の経験や分析から、
「自分らしさ」に固執することは危険
であることを整理してお伝えします。




どうも、こんにちは。ytです。
先週は子供の体調不良で、投稿できませんでした。

今回は、夫婦関係から少し離れた、
「自分らしさ」というテーマです。

皆様にとって、
「自分らしさ」とはどのような意味を持ちますか?
どんなものが「自分らしい」自分でしょうか?
何をしている時に「自分らしい」と感じますか?

一般的に「自分らしく生きよう」
という風潮が世の中にはありますが、
しっかり理解しないと
苦しい人生を歩くことになる
と考えています。


ですので、
・「自分らしさ」とは何なのか?
・間違った「自分らしさ」はなぜ人を苦しめるのか?
・正しい「自分らしさ」はどんなものか?
・学術上の「自分らしさ」の扱いについて
を整理したいと思います。








はじめに:『自分らしさ』とは?

結論からお伝えします。
「自分らしさ」とは、
 自分らしくある状態
 自分らしくいる状態

のことです。

・・・何のことだかさっぱり・・・
かもしれませんが、
私の中では
この「ある」とか「いる」といった
その瞬間に判断していく状態や姿勢こそが
真の自分らしさ」だと思っています。

ですので、
世間一般で言われているような
素直に生きる
好きなことをして生きる
という考えは、
少し危険な状態というか、
その人を苦しめるような、

そんな感覚を持っています。


まずは、「自分らしさ」の危険な状態を
私の経験からお話していきましょう。

過去の出来事①:就職してからの経験

私は、24歳の時に現在の会社に入社しました。
それまでは実家暮らしでした。
親と一緒に暮らすことが、
どこか監視されている感覚があり、
少し窮屈だった記憶があります。

ですので、
「自立して、自分らしく生きたい」
と薄っすらとですが、
考えていました。


社会人生活がスタートし、
社員寮に入ってから半年程、
希望部署に配属されました。


その希望部署は、
・難しい業務で人も足りない
・1年目だろうと関係なく自分主導でどんどん仕事が出来る
なんて先輩の話を聞いて、
「自分主導で仕事が出来るのは楽しそう!」
と感じて希望を出しました。


ただ、そこからは本当に大変で、
・上司などは教えてくれる余裕もない
・いきなり部長説明を任される
・自分で調べろと言われるけど調べるツールが分からない
といった状況で、次第に余裕が無くなっていきます。


そんななかで
課長に工事の許可取りや打ち合わせ内容を話に行くのですが、
「こういうことを調べるのは常識だろ。調べてこい。」
などと怒鳴られながら、
事前に説明した副課長は自分のデスクで座って無関心。
みたいな辛い状況を沢山経験しました。(1年目ですよ!)

当の本人の心のなかは、
「いや、教えてもらってないから俺は悪くない!」
「自分の正しいと思ったことを理解されない!」
と被害者意識でしか、自分を保てない難しい時期でした。
こういったやり取りを経験して、
人と話すのに疲れていき、
意図的に話をしないように
行動するようになりました。


これはある種の
「自分らしさ」を保つための必死な抵抗
だったのかもしれません。

過去の出来事②:同居し始めてからの経験

それから4~5年後くらい経った時期です。
26歳の時に結婚した奥さんと
単身赴任のような状態から解放され、
一緒に生活をするようになりました。


ここで4年以上ぶりに、
(実家でも15歳くらいから心を開いていない)
「心を開いて生活したい人」と
最も近い距離で生活することになりました。


そうすると、
会社では「話さない=心を開いてもしょうがない」
と割り切っていた部分も
奥さんにはわかって欲しい。
という思いから、
次第に奥さんの発言に突っかかるようになり、
奥さんの感情を「攻撃性のある発言」と解釈し、
喧嘩を頻繁に行うようになってしまいました。
(これは、過去の投稿でも書いている内容です)


その時に奥さんに言われたことは、
「最近のあなたは、すぐ感情的になっている。どうしたの。」
「あなたは、自分しか見ていない。」
などで言われて
ビックリした記憶があります。


今思えば、
漠然とした「自分らしさ」を求める過程で、
感情を表現することは「自分らしさ」であり、
自分が怒っていると伝えることも「自分らしさ」だから、
などの
正当性を主張していたのではないか?
と解釈しています。



このように、
「自分らしさ」の危険な状態とは、
自分の状態が悪くなると、
何か良くないことを正当化するための道具になり、
その道具が「自分らしさ」の象徴であると主張し、
頑なに保持する。

みたいな状態だと考えられます。

では、こうした苦しい「自分らしさ」から抜け出すために、
何を手がかりに変わっていったのか。
それが次にお話する「感覚を大切にすること」です。

正しい『自分らしさ』とは:感覚を大切にする


これまでの私は、
自分が「どうあるべきか?」や
「どう見られているか?」を
基準に「自分らしさ」を考えていました。

ただ、その基準だと、
どこかスッキリしない感覚がありました。


これがどうして上手く進み始めたのか?
冒頭の
 自分らしくある状態
 自分らしくいる状態
になれたのか?


それは様々実施してきたこと
 ・家族と良い関係でいるための日々の分析と実践
 ・禁煙を失敗しながら完遂した過程
 ・トイレ掃除を失敗しながら続けてきた過程
 ・これら全てを行うための考え方・思考・思想の探求
のなかで育まれてきたと考えています。

正しい「自分らしさ」とは、
自分の心の中に芽生える
感覚を一番に大切にした
ということです。


具体的にお話しましょう。

トイレ掃除をすれば忍耐力が付くと人から聞いたため始めました。

最初は2日も続かずに奥さんに掃除をさせてしまうこともありました。

少しずつ続けられるようになっては失敗を繰り返します。

その中で続けやすい方法を考え、実践を重ねました。

この過程を繰り返すうちに、

トイレ掃除をほぼ毎日できるようになりました。

出来ない日があってもそんな自分を認められるようになりました。

今日は出来なくて残念だけど、明日からまた続ければ大丈夫。

次第にトイレ掃除をしている時の感覚が心地よくなりました。

今日もトイレ掃除をしている!楽しい!みたいな感じです。

この心地よさが他の取り組みでも出てきます。

上手く相手を理解して、笑顔で終われたな。

喫煙しないなんて身体が軽い幸せ。

誰かにこういった成功体験を共有したいな。


・・・私が実施していたことは、
「プロセスによって何を感じるか?」
という感覚の認知であって、

それこそが、
「自分らしさ」なのではないか?
と感じました。



実は多くの人が
「自分らしさ」を不変なもの
勘違いしていると感じています。


でも私の考える「自分らしさ」は、

不変なもの:物事を通して感じる感覚
     (辛い、悲しい、安心するなど)
変動するもの:感覚を良い方向にもっていく、
       維持するための行為

だと思っています。

だから、「自分らしさ」は

自分で決めるものでもないし、
他人に言われるものでもない。

変わらないものでもあるし、
変わるものでもある。

変えたくないものでもあるし、
変えるものでもある。

と少し柔軟に捉えているんです。




ここからは、
個人主義の歴史を長年歩んできました
西洋の文献等を確認して、
学術上の整合をみてみましょう。

考察①:The Authenticity Paradoxについて

Herminia Ibarraは、組織行動論の研究者です。
そんなIbarraは、企業リーダーにおけるAuthenticity Paradox
(自分らしさの矛盾)を以下の通り提示しております。

まず、従来の自分らしさを
「too-rigid definition Authenticity」
直訳で「あまりにも厳格な定義の真正性」と表現しており、
このしっかり固定した「自分らしさ」が
リーダーシップを発揮する場面で
良くない方向に働くとしています。

意訳すると以下の通りです。

リーダーとなる人には、
「上司が求める、部下が求めるあなた」と
「その人の自分らしさ」
の2つの要素(自身と他者)があります。

関係性が人間の本質と過程すると
「自分らしさ」は、
他者が求めるものと
一致するとは限らない
と考えられます。

そのなかで、
リーダーとなるその人が
「自分らしさ」に固執すると
「会社のリーダーとしてこうして欲しかった。」や
「こういう風に部下に提示して欲しかった」
など周囲との齟齬が発生することを指摘しています。

また、グローバル社会においては、
全く違う文化をもった人々と
仕事をする可能性があります。
リーダーとなる人が、
これまで大切にしてきた「判断基準」などと、
異なる文化が持つ「異なる判断基準」の
2択に苦しむ可能性を指摘しています。

※日本っぽい形式に拘る意思決定と
 西洋文化のコミュニケーションによる意思決定
 みたいなニュアンスです。

また、現代のSNSによる個人市場化社会において、
「キレイに、良く、見せた他者からの自分」
というものがあります。

この他者からの自分と自分らしい自分は、
常にコンテンツとして公表、評価されているので、
どう見られるか?に苦しむ可能性を指摘しています。

これらの指摘に対して、
Herminia Ibarraが大切だとするものは、
・沢山のロールモデルを見つけて模倣しながら、
 組み合わせて自分なりに作ること

・学ぶことに焦点をあてて失敗を恐れないこと

・新しい自分に更新していくこと

自分らしさについては、
固定的なものというよりも、
「変わろうとする状態」が好ましいと
整理しているように言えます。

考察②:「A Multicomponent Conceptualization of Authenticity」について

KernisとGoldmanは、
Authenticity(自分らしさ)を体系的に構築した方々です。

Authenticityについては、
単一のものではなく、
4つの構成要素
 Awareness(認知)
 Unbiased processing(偏りのない処理)
 Behavior(行動)
 relational orientation(関係志向)
からなる多面的・多層的プロセス
と定義しています。

これらのプロセスが破綻すると
(原文)
When breakdown in authenticity occur, they are likely to reverberate through the self-system and cause decreased or more fragile self-esteem.

自分自身を疑うように、自分が嫌になり、自尊心が壊れ始める
と提示しています。

このようにKernisとGoldmanは
「自分らしさ」は単一のものではなく、
多面的多層的なプロセスと整理しています。


考察③:自分らしさと価値観、スキーマ

前回の投稿で作成した「心の木」で考えます。

※心の状態を「心の木」と定義し、価値観(葉)とスキーマ(根)を視覚的に表しています

誤った自分らしさ(右側)は、
誰かが望む「あなた」を受け入れません。
自分の価値観(葉や枝)を見て、
自分はこうだ。自分はああだ。
と価値観を固定する状態になります。

また、前回の投稿でお話しましたが、
価値観やスキーマ(根や幹)は、
必ずしも「良いあなた」ではありません。

それは、
辛い経験などで歪曲した
「あなた」の可能性もあります。

こう考えると、
固定的に自分を捉えることが、
危険な状態であることは明確であり、
それが過去の私の経験からも伺えると思います。


一方で正しい自分(左)は、
誰かが望む「あなた」を理解します。
価値観を観察して、
スキーマに自ら干渉して、
価値観とスキーマを再構築し、
誰かが望む「わたし」を作り上げます。

この作り上げるときの、
自分自身の感覚を大切にする姿勢や
目標に向かって自分らしく変わっていく姿勢が、

いわゆる「自分がどう在るべきか?
であり、西洋の研究者達と相違ない認識です。


改めて定義すると、
真の「自分らしさ」とは、

 自分の目標に向かって
 自分の小さな感情を頼りに
 良い方向に変化していく様子や姿勢
 =自分の在るべき姿

ではないでしょうか?
というのが私の結論です。

総括:実は・・・。

いかがだったでしょうか。

「自分らしさ」について、
世の中の定義が少し曖昧だな
と思っていたところだったので、

少しだけ具体化できたのではないか。

という風に考えています。


少し時間はかかってしまいましたが、
文献等を調べている時間も楽しかったです。

そして、何より
西洋の研究者の見解と
私の見解がかなり似ている


という事実に気付き、
嬉しくなりながら、

皆様にお届けすることが出来ました。


こんな機会を頂き、誠にありがとうございます。


今後の「自分らしさ」シリーズは、
 ・日本人の「自分らしさ」のルーツ
 ・西洋の個人主義の歴史
みたいな投稿出来たらと思っています。

また、夫婦の関係構築についても、
今回の投稿で少し触れた
自分の状態=自己状態
を投稿出来たらと思っていますので、
引き続きよろしくお願いいたします。

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