Photo by
suzuankukan
ネックウォーマーの匂い
冬になると、クローゼットの奥から黒いネックウォーマーを引っ張り出す。
洗っているはずなのに、なぜか消えない匂いがある。
柔軟剤でもない。
香水でもない。
汗でもない。
たぶん、あの冬の匂いだ。
外気と体温がぶつかるときの、少し湿った空気。
夜の帰り道の、コンビニの前のアスファルト。
冷たい風のなかで、誰かと並んで歩いた時間。
布は記憶を保存する。
写真よりも正確に。
言葉よりも正直に。
匂いは厄介だ。
不意打ちで、心の奥をノックしてくる。
「あのとき」を再生するスイッチみたいに。
たとえば、
マフラー越しに聞こえた笑い声とか、
吐いた息が白く重なった瞬間とか、
言えなかった言葉とか。
ネックウォーマーは何も語らない。
ただ、静かに覚えている。
人は忘れたふりをするのがうまい。
でも、布は嘘をつかない。
洗濯機のなかで何度回されても、
完全には消えない何かがある。
それは未練なのか、
それとも優しさなのか。
今日も首元をあたためながら、
あの匂いを吸い込む。
もう戻らない時間なのに、
なぜか少し安心する。
たぶん僕は、
寒さを防いでいるんじゃなくて、
記憶を巻いている。
ネックウォーマーに染みついた匂いは、
過去そのものじゃない。
でも、
確かにそこにあった温度の証拠だ。
冬が終わる頃、
その匂いはまた少し薄くなる。
それでも完全には消えない。
消えないものがあると知っているだけで、
人は少し強くなれる気がする。
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