【書き下ろしSF小説】Back To Bach 2nd Season 第2話「モーツァルトとドリル」
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朝のスタジオはいつもより少しだけ静かだった。
窓から差し込む光が譜面台の紙を白く照らし、機材のランプが淡く点滅している。
俺はケーブルの接続を確かめ、チャイコフスキーは紅茶を啜りながら譜面をめくる。
モーツァルトはギターを抱え、指先を軽く弦に触れさせていたが、ふと顔をしかめて片手で頬を押さえた。
「また歯が痛いんだ……」
その声は小さくどこか子供のような怯えを含んでいた。
過去の治療の記憶、抜歯の痛み、暗い診療室の光景が彼の中でまだ生々しく残っているのだ。
俺はモーツァルトに静かに近づいた。
左の頬が腫れ上がっている。
「放っておくと悪化する。今日、歯医者に行こう」
モーツァルトの肩が小さく震えた。
歯医者という言葉に彼の顔に一瞬で影が落ちる。
18世紀の歯医者とは、ほぼ抜歯…しかも麻酔無しの抜歯が主な治療だったのだ。
俺の知り合いの歯科医院は白く明るく、機械が整然と並んでいた。
待合室の雑誌やポスターはモダンで、天井のライトは舞台のスポットライトのように柔らかく彼の顔を照らす。
だがモーツァルトの視線は診察台の横に置かれた銀色の機械…歯科用ドリルに釘付けになっていた。
受付の女性は優しく迎え、歯科医は落ち着いた声で説明を始める。
麻酔のこと、治療の流れ、痛みを最小限にする工夫。
だがモーツァルトの耳にはどれも遠い音のように届いた。
彼の頭の中には過去の恐怖と「口の中に刃物が入る」という想像が渦巻いている。
医師が「少し振動がしますよ」と言ってアームを近づけると、モーツァルトは椅子から飛び起きた。
「やめろ!やめてくれ!目を閉じろって言っただろ!その隙に抜くんだろ!?」
待合室の観葉植物にしがみつき声を上げる。
看護師が慌てて押さえようとするが、モーツァルトは泣き叫びながら逃げ回る。
チャイコフスキーが必死に追い、俺は受付に平謝りしながらもどうにか彼を落ち着かせようとした。
「ヴォルフガング、深呼吸して!」
チャイコフスキーが繰り返す。
だがモーツァルトは「刃物だ!刃物が口の中に!」と叫び、待合室の椅子を飛び越え、受付カウンターの裏に隠れようとする。
周囲の患者たちが驚いて振り向き、子どもが泣き出す。
俺は看護師に頭を下げ、医師は冷静に状況を見極めながら優しい声で話しかける。
「モーツァルトさん、痛みは取ります。麻酔を使えば痛くありません。私たちはあなたを傷つけるためにここにいるのではない」
だが言葉は届かない。
モーツァルトは震え、体を小さく丸める。
チャイコフスキーがそっと膝をつき、彼の目線に合わせて話す。
俺は背中から抱きしめるようにして、ゆっくりと彼を診察台へ戻した。
看護師たちの手際は素早く、優しかった。
麻酔の説明を繰り返し、痛みを最小限にするための配慮を約束する。
モーツァルトは涙をためながらやっと頷いた。
診療所の空気はやっと静かに戻っていった。
麻酔が効き始めるとモーツァルトは不思議そうに口の中の感覚の変化を確かめた。
舌先に伝わる冷たさ、頬の内側の鈍い感覚。
ドリルの振動は感じるが痛みはない。
医師の手際は穏やかで、看護師の声は落ち着いている。
モーツァルトは目を閉じ、心の中で小さな旋律を口ずさんだ。
指先でリズムを取るように胸の奥で小さな拍が生まれる。
治療は思ったよりも短く、終わったときには頬の腫れが引き、痛みは消えていた。
モーツァルトは驚いたように自分の手を見つめ、そして大きく息を吐いた。
「なんだこれ…痛くないじゃないか」
彼は照れくさそうに笑い、スタッフに深々とお辞儀をした。
チャイコフスキーは微笑み、俺やっとは安堵の表情を浮かべることができた。
スタジオに戻ったモーツァルトは俺のパソコンをいじり始めた。
彼の最近のお気に入りは俺が教えた未来の映像箱…YouTubeだった。
画面をスクロールして偶然目にしたのはMr. BIGのライヴ映像だった。
ポール・ギルバートとビリー・シーンがステージで激しく、時に遊び心たっぷりに演奏している。
だがモーツァルトの目を釘付けにしたのは、ある瞬間のパフォーマンス…ステージ上でドリルを使ってギターとベースを高速速弾きをし、ドリルのモーター音をピックアップで拾うシーンだった。
彼は目を輝かせた。
「これだ!これじゃーん!」
モーツァルトの興奮は止まらない。
「歯医者のドリルってあの音だよな?あのキュイーンってやつ!あれを楽器に使うなんて、なんて発想だ!」
「ラルフ!ドリルある?」
俺は工具箱からリョービの電動ドリルを取り出してモーツァルトに渡した。
彼は早速ドリルビットにピックを固定して自分のギターで試し始めた。
最初はぎこちないが、次第にドリルの回転で弦を弾き独自のタッチを編み出していく。
高い倍音を狙って弦を軽く触れ、指先の角度を微妙に変えて金属的な響きを引き出す。
速いトレモロで唸りを再現し、ピッキングの位置を変えて音色を操る。
時にドリルのモーター音をピックアップで拾う。
彼はそれを冗談めかして「ドリル奏法」と名付けた。
「なぁヴォルフガング、ドリル奏法って呼び方はずっと前からMr.BIGが使ってるぜ」
俺は笑いながら言った。
「天才の考える事はおなじじゃーん!」
彼は痛みの記憶を逆手に取り、それを音楽に変えていた。
チャイコフスキーは半ば呆れ、半ば感心して言った。
「ヴォルフガング…君は本当にどんな経験も音楽に変えるんだね」
モーツァルトは得意げに笑った。
「痛みが消えたら世界は遊び場だぜ!」
俺は窓の外を見ながら静かに考えた。
過去の痛みを現代の技術で取り除き、そこから新しい表現が生まれる…このプロジェクトの意味がまた一つ深まった瞬間だった。
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