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わたしは、誰?

日々の流れの中で、
ふと立ち止まって、わたしは自分に問いかけることがあります。

「わたしって、誰なんだろう?」と。

名前はあります。

国籍もあります。

職業や役割もあって、預金通帳には数字が並んでいて、
肌の色や体重だって、
はっきりと定まっているように思えます。

でも、そうした“ラベル”
果たして“わたし”という存在そのものを
語り尽くしているでしょうか?




わたしたちは時に、
それらを“わたし”だと思い込んでしまいます。

けれど、住む場所が変われば、仕事が変われば、
周囲の環境が変われば、

その「わたしらしさ」は驚くほど簡単に、
形を変えてしまうのです。

生まれながらの属性――
国、生家、血液型…

それらは確かに変わりにくいものですが、
誰かと同じ場所、同じ時代に生まれれば、
“似たような属性”を持つ人はたくさんいる。

そこに、ほんとうの“わたし”はいるのでしょうか?




人は年齢を重ね、
体の力が弱くなり、記憶は薄れ、
手にしていたものを少しずつ手放していきます。

愛されたことも、
賞賛されたことも、
誇りにしていた肩書きも、

時の流れのなかで
やがて静かに、遠ざかっていきます。

もし「わたし」とは、それらの集まりでしかないとしたら
年老いたとき、
あるいはすべてが失われたあと、

わたしは“わたしでなくなってしまう”のでしょうか?




今日、嬉しい出来事があって
わたしは幸せだと感じました。

でも明日、悲しい出来事が起きて
世界が灰色に見えるかもしれません。

そのどちらが、“本当のわたし”なのでしょう?




思いや感情も、
まるで空を流れる雲のように
湧いては消えてゆきます。

ふと、空っぽになる瞬間もあります。

言葉も浮かばず、
ただ「無」があるだけのような。

けれど、その“何もない”と思える静けさの中にこそ
本当の「わたし」の気配があるのかもしれません。




それは、映画館の銀幕のよう。

さまざまな映像が映し出されても、
スクリーンそのものは、
いつもそこに、静かに在り続けます。

スクリーンに映る“わたし”は、
美しくなったり、怒ったり、傷ついたり、笑ったり――

でも本当の「わたし」は、
その移ろいを受けとめる、銀色の光そのもの。

それが、「わたしは誰か?」という問いの先にある
沈黙のこたえなのかもしれません。




今この瞬間、
何かの感情に包まれたら
どうか、静かに問いかけてみてください。

「わたしは、誰?」と。

問いとともに、
あなたの内なる光が
そっと揺らめくのを感じられるかもしれません。


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