あの日の言葉が、今のわたしを救っていた
わーん。
六年前のこんな文章が出てきました。
読み返して、思わず固まりました。
だってこれ、昔のわたしが本気で書いてた文章なんですよね。
まずは、当時そのままの文章を置いておきます。
【わたくし う◯ち 奴隷体質ですのでね】
相手に傷つけられたり、嫌な思いをしたとしても、
「でもいいところもあるしな…」って、
いっぱい う◯ち のっけて生きてきてたんですよ。
昔は男性関係も う◯ち でして、
捨てた う◯ち をわざわざ拾い込んで発酵させたり、
捨てないで放置してるうちにカリカリかりんとうになった う◯ち まで鼻からつめたりしながらでも、
う◯ち コレクションし続ける人生を送っており…。
ようやくそれやめたら素敵な彼ができたんで、
もう う◯ち はあたしのっけてないと思っててんけど、
その中でも特大でスペシャルな う◯ち と、
大切な大切な彼とを、
「どっちかなんて選べないです〜💦」ってなってる生き方を、
まだしていたことに気付いたです。
ぐわわわわわ〜💦💦💦💦
う◯ち は流します。
蓋してた発酵 う◯ち は容器ごと焼却炉に投げます。
う◯ち かりんとうは匂わないので見つけにくかったですが、もし見かけたら即座にぐちゃぐちゃポイです。
う◯ち のよさをみつけて必死で握りしめてるとか、ほんまおかしい。
そうやって、改めて今の人生みなおしたら、
他にもいっぱい出てきた う◯ち の処理業務を、
今からひたすらはじめることになりました 🤣
まだまだあるわな、びっくりやな。
まず、根源である大元巨大 う◯ち を捨てる決心を、
ここに表明しておきます。
もうわたしの人生に ◯◯チ はのっけない。
「優しい子であれ」と名前をつけられたところから、
わたしの中には【優しさを勘違いしていた】呪いみたいなものがありました。
あたしのほんまの優しさは、そうじゃないねん。
私のこと、見くびらんといてほしいねん(笑)
う◯ち に見くびられない人生を送る私に、
ここから始まる日々のなかで、
ほんまになってみせるからな〜。
——ここまで、六年前のわたし。
読みながら一瞬いろいろ動揺してしまったけれど(笑)
この文章には、当時の私が
“正直になろうとしていた跡” がはっきり残っていました。
あの頃のわたしは、
嫌なことをされても
「でもいいところもあるし…」と自分の気持ちにう◯ちをかぶせながら
“自分より他人の人生” を生きていた。
捨てたう◯ちを拾いに戻ったり、
カリカリになったう◯ちまで大事にしていたり。
今振り返ると、
「なんであんなに自分を下げてたんやろ?」と思うけれど、
それが当時の精一杯やったんよね。
でも、今の私は
昔みたいに“◯◯チを握る”ことはしなくなった。
完全に捨てられているわけじゃないけど、
心の奥でちゃんと動くようになった。
「それ、わたしの思いを軽く扱いすぎちゃう?」
「その扱いでいいの?」
そうやって、自分の価値を守る感覚が芽生えてきている。
六年前のテーマは
「う◯ちを捨てる」。
今のテーマは
「わたしの思いを軽く扱う関係を選ばない」。
同じところに戻ったんじゃなくて、
もっと深い層で同じテーマに向き合っているだけなんだと思う。
そして気づいた。
外側に奇跡があったんじゃない。
六年前の私が残した、この“う◯ちまみれの文章”そのものが、
未来の私へのギフトやったんだと。
当時のわたしが、
精一杯の言葉で「変わりたい」と
小さく手を伸ばしてくれていたからこそ、
今のわたしは、
自分の尊厳を選ぶ人生へと
少しずつ進んできたんだと思う。
そして、この続きをつくるのは
また “今のわたし”。
ほんとうのプレゼントは、
これまでも、これからも、
自分の内側でつくっていくのかもしれないなあ。
いいなと思ったら応援しよう!
大好きなカフェの大好きなチェアに座ってだいすきな景色をみてボーーーっと創作活動する費用につかわせてください!よろしくおねがいします❤