「世界5分前仮説」を信じない
「世界5分前仮説」とは
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説
考えたこと
「世界5分前仮説」を信じられない
初めて知ったときから10年くらいずっと、この説を信じる方法がわからない。
(世界五分前仮説にもとづけば、こう考えるときの10年前からの記憶というのも、5分前に世界ができたときに生まれたものらしい。)
そもそも当たり前を疑う思考実験としての仮説だから真実と思わなくていいんだけど、想像すらうまくできない気がする。
言い換えれば「世界は私が生まれる前からある説」を強固に信じている。
創造主の視点を想像してみる
キリスト教世界で前提とされているような、万物の創造主「神」の視点を想像できない。
だって水を飲んだときの感覚も机を触れたときの私は作ろうとしても作れないから。
建物も椅子も机もパソコンもスマホも私には生み出せないし、今目の前にあるものすらどんな材料がどこから来てどう組み立てられたかも知らない。
世界を構成する元素を生み出して、記録とか記憶も込みで元々あったかのように配置するってどんな芸当?
物質ですらない生物の内面世界なんてなおさら生み出せる気がしない。
人間に限っても約70億の人それぞれ違った感覚とか記憶を生み出して、しかも記憶については集団内である程度の整合性も持たせて機能させるなんて人間視点で考えるとどう考えても無理。
ありえるとしたら、時間停止したうえでめちゃくちゃ長時間かけて作り込んで、5分前にようやく再生したんだと思う。
一方で、約136億年前にビッグバンで宇宙が始まって、そこから長い年月をかけていまの世界になったっていう説は、根拠についてはほとんど知らないけどなぜか確からしいと感じる。
私の中の強固な世界観のこと
「万物は流転する」(ヘラクレイトス)みたいな世界観だったらなんとなく想像だけはできる。
そういえば高校のころ習った世界史も倫理も、教科書の最初のほうの古代ギリシアあたりはよく覚えている。
タレスとかソクラテスとかアゴラとかシノイキスモスとか。
そのあたりは想像つかないくらいすごい昔だから、歴史の新説で「本当はなかった」とか「想像上の人物だった」とされても不思議じゃないかもしれない。
それでも歴史の時代は総体としてはあったと信じている。
人間どうしですら同じようで違う
建造物を見て「万物は流転してるな」とか、日記アプリ開いて「徒然なるままに日暮らし硯(スマホ)に向かってるな」とか考えるのは好き。
そういう他の人間にも共感されるようなことを捉えて言葉にしてきた人々はすごいと思う。
同じ人間どうしですら、誰かのことを自分の中で再構成するのは難しいと私は感じる。
同じ時代の同じ国に生きてる人間どうしでも、感じ方も振る舞いも意外と違う。
友だちが絶対やらなそうなことを考えてみたら、私にとってはいつもやってることだった。
逆に私には思いつかないことでも友だちは案外やってたりする。
このあいだファミレスの隣の席でワイン飲んでる2人組の会話を聞きながら、私の素面は誰かの酩酊と似てるのかもと思った。
まとめ
少なくとも私自身は、今の世界と同程度のクオリティで新しい世界を作れって言われたら5億年かけても無理だろうな。
自分の当たり前を疑って人の立場に立てるようになりたいと考えているけど、いろいろ思いを巡らせてもできないこととか想像すらつかないことはいくつもあるんだろう。
それでも一応考え続けてはみようと思う。
※これまでnoteはですます調で書いていたのですが、今回は考えごとをなるべくそのまま、ひとりごと風に書いてみました。
