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和顔愛語 -祖母との別れ、新たな一歩-


先日、祖母が亡くなった。
満97歳だった。



要介護のため、2年半ほど前から、
特別養護老人ホームで
お世話になっていた祖母。

「血圧が低く、食欲が無くなっています。
そろそろ覚悟しておいてください。」


「最期のことをご家族の方と確認したいので、
近々お越しいただけますか?」



亡くなる数日前、
職員さんから、
そう連絡をいただいたので、
父母と共に、施設へと向かった。


祖母の最期については、
面会時などにも相談しており、
無理な延命はせず、
穏やかに見守ることに決めていた。


最期が近づくと、
施設の中にある
看取り部屋という場所に移される。

そこでは、面会の制限も無くなり、
いつでも好きな時に、
家族や親族が会いに行くことが出来る
とも聞いていた。



車で30分ほど離れている施設に着き、
玄関で職員さんにご挨拶をした。

「お越しいただいてありがとうございます。」

「こちらこそご連絡ありがとうございます…。」

「では、どうぞこちらへ。」
と、すぐ隣の部屋に通された。

そこで、祖母について話し、
確認し合うということだった。



祖母が好きな曲のリストや、
好きな味、
亡くなった時の衣類はどうするか、
などの確認だった。

何か込み上げてくるものがあった。



祖母は優しい人だった。


私は子供の頃、よく「家出」をしては、
家の離れにいる祖父母の元へ
駆け込んだりしていた。

祖父も祖母も、ひたすら褒めてくれた。
それが小さい頃の私とっては、
嬉しかったのだろう。


祖父が亡くなった時、
祖母は「寂しいわ。」とも云っていた。

祖父と祖母は、
めちゃくちゃ仲が良かった
…という訳でもなかったが、
そう思うものなんだなぁと
面白く感じたりもした。


80歳代まで、
原付でブンブン走り回っていた祖母は、
転んで怪我をしてから、足の調子が悪くなり、
認知症にもなった。

物忘れも増えてきて、
自分でもそれを辛く感じているようだった。

でも、家族に対して、
自分の気持ちや要望を云うことは、
あまり無かったように思う。
少し気を使っているようにも見えた。

「遠慮なく云ってくれたらいいのに…。」
と思ったりもしたが、
云いにくかったのかもしれない。


祖母の認知症が進行する中で、
私はシニア向けのレッスンに
興味を持ち始め、それを学んだ。

音楽や鍵盤楽器が認知機能を
高めるかもしれないと考え、
祖母にそのレッスンのモニターに
なってもらうことにした。

楽器の椅子に座り続けることは、
祖母にとっては大変なので、
持ち運べる小さなキーボードを使い、
離れの部屋でレッスンをした。

キーボードを見た祖母は、
何やら人差し指で弾き始めた。
「日の丸の旗」だった。
子供の頃に覚えたようだ。

音を鳴らしては、
「面白いなぁ。」と云っていた。
嬉しかった。
それでも認知症は少しずつ進み、
自分の力不足を感じたりもした。


足が痛むため、
日課だった散歩にも
行けなくなった祖母。

離れで一緒に、花の塗り絵などもした。
色鉛筆で、花は赤、葉は緑と、
綺麗に塗っていた。


そんな風に、
祖母との数々の思い出が、
頭の中を一気に駆け巡った。


祖母はしばらく、デイサービスや
ショートステイを利用していたが、
家で過ごす時は、
ほんの少しの間も1人にさせておけなくなり、
ここの施設に移らせてもらった。


移ったばかりの頃は、
ぼんやりとしか浮かばなかった
「最期」のこと。

それについて話し合っていると、
「いよいよなのかな…。」と思い、
少し震えてしまった。



話がまとまると、職員さんが、
「これからは面会も自由に出来ますので。」
と云って、
「看取り部屋」まで案内してくれた。



温かみのある木造りの廊下で、
何人かの利用者さんや職員さんとすれ違う。

その奥に、祖母のいる部屋があった。

「こちらになります。」


通されて中に入ると、
祖母は、静かに眠っていた。


眉間に皺を寄せ、左胸を抑えていたので、
少し苦しそうにも見えた。


職員さんは、祖母の容態や、
この部屋での過ごし方を教えてくれた後、
タブレットを使って、
さっき書いたリストの曲を流し始めた。


大泉逸郎や、春日八郎、三橋美智也、
都はるみに島倉千代子。

彼らの曲が流れた時に、
祖母の眉間の皺が、少しゆるんでいた。

「そういや、春日八郎のこと、
『この人、若い時良かったんやー。』て、
よー云うてたわ。」
と父。

「吉田拓郎もちょっと聴いてた気もする。」
とも云うので、かけてみると、
祖母は目を瞑ったまま、
ブンブン!と首を横に振った。

「今その気分じゃなかったみたいやな。」
緊張感がふっと溶けるように、皆で笑った。

耳は少し聞こえづらくもなっていた祖母だが、
よく聴いているんだなぁと、
このとき思った。


近くに住む親戚や家族に連絡をとると、
連日のように、
皆次々と施設に駆けつけてくれた。


「おばあちゃん、来たでー。」
と一人一人、耳元で話しかけていた。


中でも、とびきり声の大きい
祖母の甥っ子おじさんが、
面白い思い出話をしたりするもんだから、
「…看取り部屋で、こんなに
がやがやしていいんだろうか。」

と一瞬とまどったりもしたが、
その雰囲気には堪えきれず、皆で笑った。


わいわいしていると、
祖母もよく目を開けるようになった。


「 おばあちゃん。」

と声をかけると、
その度、静かに頷いていたので、
少し安心もしていた。

離れて住む子供達にも、連絡をとった。




それから数日後、祖母は息を引き取った。


「息が浅くなってきましたので、
間もなくかと思います…。」


施設から、その連絡を受けた父は、
先にそこへ向かった。

その後を追って、
母と私も向かったが、
父が施設に到着する5分前に、
祖母は亡くなった。


あぁ、やっぱり人は亡くなるんだ、
と思った瞬間、涙が止まらなくなった。




久々に家に帰ってきた祖母のために、
親戚やご近所さんが、
お悔やみに来てくれた。


葬儀を行うことについては、
20年ほど前の祖父の時以来になる。

そのため、
段取りは殆ど覚えておらず、
お悔やみに来てくれた皆さんに
色々と教えてもらい、大変お世話になった。

田舎は時折騒がしいが、温かい。



地元の葬儀場のスタッフさんも来てくれ、
葬儀の日取りを決めたり、
色々と相談し合った。

「お棺の中に入れてあげたいものを
選んであげてくださいね。」
とのことだったので、
母が祖母の部屋で見つけていた、
「私の寶物」と書かれた箱を入れることにした。


中身は、子供たちや私からの手紙だった。
家から離れていた頃、
よく祖母に送っていたものだ。

「きちんと置いててくれたんやなぁ…。」
と、胸が締め付けられるようだった。



お通夜も告別式も、よく晴れた。


先月の春休みに帰省していた息子も、
再び中部地方から、
ここ関西に、新幹線でやって来た。

関西圏に住みながら、
ほぼ帰省しないレアキャラと化した娘も、
久々に帰ってきた。


祖母が元気だった頃は、
2人はまだまだ小さく、
よく祖母に面倒を見てもらっていた。

2人が大きくなるにつれて、
祖母は弱々しくもなり、
家にいることが少なくなった。


「もっと色々話しておきたかったな。」


声にはしていなかったが、
2人ともそういう気持ちだったかと思う。
私もそうだった。

棺の中の祖母の顔を見ながら、
3人ともポロポロ涙を流した。



遠くの親戚にも久々に会えた。


その親戚の中には、私の伯母もいる。


祖母はやはり優しい母親だったのだろう。
伯母も、少し後悔するような顔つきで、
泣いていた。


伯母の子となる従姉弟も泣いていた。

小さい頃よく遊びに来ては、
祖父母の離れでお泊まりしていた従姉弟。
大人になってからは疎遠になったが、
その頃の思い出話も出来て、懐かしかった。



式の最中はそんな風に、
ゆったり郷愁に浸れたりもしたものの、
それが済むと数々の準備に追われ、
私もなかなかドタバタと忙しかった。


特に喪主の父や、母は、
浸る間もなかったようだ。

人を見送るのは、大変だ。



告別式が終わったお昼前の頃、
火葬場へと向かった。

お棺の小窓が、
この場でもそっと開かれた。


祖母の姿を見るのは、
これで本当に最期になるのかと思うと、
不思議な気持ちになった。


伯母は、もう祖母の顔を見ることはなく、
ずっと涙ぐんでいた。


父が火葬場の職員さんに案内され、
指示のもと、火を付ける役をした。


それから2時間ほどの間、
再びバタバタしながらのお昼を済ませた後、
家族と親族は、拾骨のため、
再び火葬場へと向かった。



「本当に仏様が手を合わせているみたいに、
きれいな形をしていますね。」

職員さんが、
祖母の喉仏の形を褒めてくれる中、
父がそれを小さな骨壷に丁寧に納めた。

その後は全員で、足から頭の骨を順に、
大きな骨壷に納めた。



祖母の檀家のお寺で供養をしていただいた後、
大きい骨壷の中のお骨をお墓に納め、
家に戻り、初七日の法要も同日に済ませた。


親戚も帰り、全て落ち着いたのは、
もう夕方をまわっていた頃だった。


ぼーっと準備した夕飯を
ぼーっと食べながら、父母と話す。

「落ち着いたなぁ…。」

「ほんまやなぁ…。」


祖母が亡くなってからの、
ジェットコースターのようだった4日間を
無事に終えられ、ほっとしていた。


息子と娘もまた、
それぞれの自宅へと帰っていった。

日常は続いていく。



夕飯後、父はうたた寝を始めた。


私は母と一緒に、仏間に向かった。
そして、線香を立てる。


遺影の祖母は、
にこっと微笑んでいる。

それにつられて、にこっとしながら、
母と2人、手を合わせた。

「…おばあちゃん、お疲れ様やったなぁ。
長いことよく頑張りました。」


母がぽつりと云った。


嫁姑問題はもちろん、
これまで色々あったようだが、
母が祖母にかける言葉は優しかった。

「ほんま良い仏さんやなぁ。」
とも云っていた。


それは父が寝ている間のことだったので、
翌日、母の言葉をそのまま父に伝えた。

ややぶっきらぼうな父も、
喜んでいるように見えた。




ひとまず式までを無事に終えると、
現実面も見え、どっと疲れがやってきた。


しかし、たくさんの親戚に囲まれた
祖母の葬儀は温かく、
心に残るものだったな…と思う。


微笑む祖母の遺影の前で手を合わせる度、
背中を押されるような気がしている。

その笑顔で、今も家族を
見守ってくれている気さえする。


四十九日を迎えた祖母が、
祖父やお友達が待つ極楽へと、
無事に旅立てますように。


そう願いながら、
今日も線香を立てて、手を合わせた。


おばあちゃん、ありがとう!


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