色のない単身赴任の部屋で、唯一「カラフル」を許された聖域の話。
色のある生活は、家族と住む家に置いてきた。
東京での単身赴任生活。 新しく構えたワンルームの部屋は、ほぼ全てを白、黒、そしてグレーの無彩色で統一している。
ベッドカバーも、遮光カーテンも、仕事用のデスクも、家電も。 徹底的に彩度を削ぎ落としたその空間は、私の脳にとって極めて合理的だ。 ビジネスの現場で常にリスクとリターン、不確実な未来への投資、そして複雑なロジックを1分1秒単位で処理し続けている身からすると、プライベートの空間に「余計な視覚情報」を入れたくない。部屋に戻った瞬間くらいは、脳のメモリを一切消費したくないという、一種のリスクヘッジなのかもしれない。
色のない部屋は、静かで、冷たくて、そしてどこかプロフェッショナルな潔さがある。過酷な仕事を終え、焼き切れた脳を引きずってこの部屋のドアを開けるとき、この「情報のなさ」に私は救われる。
だが、そんなストイックな無彩色の世界の中で、たった一箇所だけ、私の徹底したガバナンスを完全に無視して色彩が暴走している「聖域」がある。
キッチンに吊るされた、小さな調味料ラックだ。

オリーブオイルの鮮やかなグリーン。 キッコーマンの、あの日本の食卓を支配し続ける鮮烈なキャップの赤。 本みりんのラベルから覗く、温かみのあるオレンジ色の肉じゃがの写真。
部屋全体のモノトーンなトーン&マナーから見れば、これは明らかなルール違反であり、インテリアのコンプライアンス違反だ。もしインテリア雑誌の監査が入れば、一発で減点対象になるだろう。市販のボトルが放つ生活感は、あまりにも強烈だ。
一時は、すべて無印良品や100円ショップのお洒落な詰め替えボトル(もちろんモノトーンのやつだ)に移し替えることも検討した。だが、私の本能がそれを拒否した。
なぜなら、このカラフルなボトルたちこそが、仕事に、タスクに、日々の激務にすり減った私の「生命維持装置」そのものだからだ。移し替えにかける時間すら損切りしたい限界の夜、この「メーカーの顔」が並ぶ安心感こそがバリューなのだ。
どれだけ脳が焼き切れて部屋に戻ってきても、このラックから、オリーブオイルをひと回しし、キッコーマンの赤をフライパンに差し、仕上げにハウスのブラックペッパーの黒をガリガリと振る。 その瞬間、私の無彩色だった夜のワンルームに、一気に「美味い」という鮮烈なゲインがパッと色を付ける。ズボラ飯を口に運ぶとき、私は自分がまだ「人間」であることを思い出す。
ふと、遠く離れた家族と暮らす家のことを考える。
あそこには、たくさんの、あまりにもたくさんの「色」があった。 玄関に散らばる子供たちのカラフルなスニーカー。妻が何時間も悩んで選んだリビングのクッション。学校のプリントが雑多に貼り付けられた冷蔵庫。
あの賑やかで愛おしい「色」たちは、今も私の帰るべき場所で、大切な安全資産としてホールドされている。
そして今、この静かな東京の片隅で、私は調味料の色彩だけをエネルギーにして、明日を生き抜くためのロジックを組み立てている。
見た目は、ただのキッチンの片隅。 1人暮らしの、ちょっと雑多な調味料置き場。
でも、ここが私にとって、最も泥臭く、最も人間らしい、たった一つのカラフルゾーンだ。 今夜もこの色たちにほんの少しの救いをもらって、私はまた明日からのマーケットへと出向いていく。
