与える相手を、私はずっと間違えていたのかもしれない
あの日の昼の風景は、
私の目を覚まさせた。
夫は在宅勤務。
娘は咳がひどくて学校を休んだ。
私も夕方からの仕事だけで、
珍しく家族3人が平日に揃った。
私は、娘と自分の昼食だけを作った。
夫には「平日は自分でどうぞ」と
前から伝えていたし、
夫も普段は喜んでラーメン屋へ行く。
でもその日に限って、なぜか動かない。
黙ったまま、
でもわざとらしく聞こえる独り言。
「腹減ったなあ…」
知らんがな、と思いながら箸を進めた。
さらに娘に向かって
「倒れそうなんだけど〜」とアピール。
かつての私なら、
条件反射のように立ち上がっていただろう。
「何か作ろうか?」って。
勝手に気を利かせて、勝手に疲れて、
勝手に消耗していくやつ。
でもその日は動かなかった。
動けなかったというより、
“もう違うな”と理解してしまった。
その瞬間、昔の出来事がふっと浮かんだ。
夫が風邪をひいたとき、
私は心配して
「冷やしうどん作ろうか?」と聞いたことがある。
そのとき返ってきた言葉。
「頼んでねーし。」
あの一言で、私の中の何かがスッと冷えた。
頼んでいない。
だから感謝する必要もない。
だから私は勝手にやっているだけ。
その“便利な構造”の中に、
私はずっといたんだと思う。
あの日の昼、
夫の「倒れそう」アピールを聞きながら
私は境界線の外側に立っていた。
怒ってもいない。
泣くほどの悲しみもない。
ただ、“見えた”だけだ。
私は与える相手を間違えていたんだ。
私のやさしさも、
気づく力も、
罪悪感に弱いところも、
全部、“扱いやすい機能”として使われていた。
愛されていたんじゃなく、
都合よく利用されていただけ。
私が弱かったんじゃない。
ただ相手の器が、あまりにも浅かっただけ。
その日、私は娘と普通に昼食を食べ、
予定どおり仕事に出かけた。
特別なドラマはないけれど、
私の内側では確かにひとつの幕が降りた。
そして静かに私は新しい私になった。
これからは、
やさしさを向ける相手を選ぶ。
境界線の外へ踏み込ませない。
淡い昼の光の中に、
そんな少し冷たい、でも正しい決意が生まれた。
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