増えては消える本たち
本は一冊を何度も読んでこそ自己投資としての価値がある、という人がいる。
だけど僕はまったく反対で、いちど読んだらすぐに売るか捨てるかしてしまう。 物理的に邪魔になるし、僕用の本棚なんてないから、クローゼットの上に積んでおいて定期的に処分している。
ブックオフに持って行ったこともあったけど、近所にないうえに値段も二束三文なので、結局捨ててしまうことも多い。
書き込んでこそ本の価値がある、という人もいるけれど、捨てるつもりの本にメモしても意味がないし、同じ本を2回読むのは面倒で飽きてしまう。
自分で書いててもなかなかややこしい性格だなと思うけど、結局そういうスタイルに落ち着いた。
ただ、僕は知りたいテーマができたときには、同じ話をしている本を3~5冊まとめて読むようにしている。
増えるいっぽうだけど、著者が違えば視点も違うし、一冊だけだとその著者の独断や偏見に左右されがちなので、何冊か横並びに読んだほうが客観的な抽象度が上がる気がする。 そのぶん飽きにくいし、構成が違えば脳みその負担も分散できる。
同じように、難しい本をいきなり読むのはしんどいから、漫画や図解でざっくり概要をつかんでから文字だらけの本に移ることが多い。
そういう“バリアフリー”な読書で、仏教だろうが地政学だろうが、けっこう楽に入り込める。
実は仏教には、5大宗教の本を読んだ流れで興味が湧いた。
ニュースか何かをきっかけに「宗教ってどういう仕組み?」と疑問を持ち、手当たり次第に本を読んだら、鳥居がどうとか神社の神様がどうとか、海外の人が理解しにくいポイントに納得がいくようになった。
外国人が鳥居にぶら下がってバズったXのポストとか見ても、「そりゃ分からないよな」と妙に寛容な気持ちになれたりするから、おもしろい。Xは仕事で使ってるから使ってただけだけど、7年目となると、くだらないポストすら僕の行動に影響を与えるようだ。
本は、紙だけでなく電子でもたくさん読む。AmazonのKindle Unlimitedは何年も契約してて、場所を取らずに500万冊から気軽に選べるのが気に入っている。
とりあえず興味のないジャンルでも一瞬でダウンロードして、「まぁ、つまらなかったら消せばいいか」と気軽に読んでみる。 そうやってジャンルをザッピングする感覚が好きだ。
もちろん、あまり本を読んでもAIで大抵のことが分かってしまう令和に、どれほど意味があるか微妙だけど、読むと「ドーパミン出てるなぁ」と感じるからいいのかもしれない。活字中毒、なのかもしれないなと思う。
株とか税金、経営関連なんかもけっこう読んでて、僕の仕事に直結しやすい領域だし、過去にヒットした漫画(カイジとかナニワ金融道、ブラックジャックによろしく)なんかも読めるときがあって、寝る前にちょろっと手を出すとついつい止まらない。
それに深夜に読書が止まらなくなっても、どうせ月の20日くらいは午前中に仕事を入れないから問題ない。どっぷり眠くなるまで本の世界に浸る。ストレス解消も兼ねているし良いだろうと自分を甘やかしている。
そういえば、最近は日常でもAIが自然に入りこんできてて、マツキヨで洗剤を買うときに「どちらが安い?」と数字をAIに入れて考えさせたりする。noteのエッセイを書いたあとに添削させることもある。
知識はググるほうが多いけど、AIは仕事や生活のアシスタントって感じ。だからこそ、「AIで何でも教えてもらえる時代に、本を読む必要あるかな」と感じるけど、結局読む。
お金もスペースはかかるけど、そこに“ただの快楽”があるからやめられないんだろうな、と思う。
それで脳が新鮮な刺激を得て、毎晩飽きずに活字を追っているならそれでいいじゃないか。
さて、今日は何を読もうか。
クラシック音楽の入門書か、地政学の中級本か、あるいは誰かがXで紹介していた新書か。
どれも一度読んだら飽きるだろうけど、読み終えたときの「へぇ、そんな世界があったのか」というちょっとした衝撃が楽しみだ。
