55歳、俺、母になる!?⑩【#創作大賞2025#エンタメ原作部門】
翌朝、健一は体調を確かめた。
――よし。今日も、いけそうだ。
完全ではないが、昨日と同じく吐き気はない。
スマホを手に取り、《今日、行けそう》と莉緒に送ると、すぐに返信が返ってきた。
《了解!無理のない時間で出てきて!駅前集合ね!》
天気も体調も悪くない。
ただそれだけで、気持ちが軽くなった。
***
駅前に着くと、莉緒が手を振っていた。
「おっさん~!今日、本当に大丈夫?」
「まあ、奇跡的な…」
「よかった!ちょっと来て。行きたいとこあるの」
「どこに? 買い物か何か?」
「仕事の話。興味あるかなって思って!」
「え、仕事?」
「ま、聞くだけでも!」
仕事――そういえば、つわりで頭が回らない日々の中、莉緒が「無理のない範囲でできる仕事がある」と話していたのを思い出す。
「お、おう……とりあえず、聞くだけ……」
着いたのは、住宅街にある「ゆうべんとう」という小さな弁当屋。清潔感があり、“内職”の話が現実味を帯びた瞬間だった。
莉緒は店に入り、
馴染みの女性に挨拶を交わすと、
「おじさーん、来たよー!」と呼びかけ奥へ。
笑い声とともに戻ってきた。
その後ろには、がっしりした体格に鋭い目つきの男が立っていた。無骨な雰囲気で、何も言わなくても圧がある。
「おっさ……じゃなかった、美弥!紹介するね。私の叔父で、村田優一さん。この店のオーナーで、見た目と違って超優しいよ!」
村田は照れたように鼻をこすり、
視線を逸らして軽く会釈する。
「どうも、村田です。莉緒から話は聞いてるよ」
その仕草や声は、見た目と違い柔らかく、
親しみやすかった。
美弥(健一)は少し緊張しながらぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。まだちゃんと決めたわけじゃないですが、話を聞けたら……」
「もちろん無理はさせないよ。体調優先で、
できることからでいい。まずは中、見てみる?」
優一に案内され、健一は店の中へ足を踏み入れた。
「それで、どんなことができそうかな?」
そう聞かれ、健一は少し考える。
美弥のように事務職経験はないが、
長年の仕事で覚えたパソコン作業なら問題ない。
書類作成やデータ整理程度ならできるはずだ。
そう伝えると、優一はうなずいた。
「それなら助かるよ。仕込みや内職も人手が足りなくてね。体調を見ながら、レジや簡単な接客もお願いできたら嬉しい」
「……そんな感じで、いいんですか?」
健一の声には、少し驚きが混じっていた。
“できることからでいい”なんて言ってくれる場所が、本当にあるとは……
先日、つわりで這うように駅へ向かい、
満員電車に揺られて出勤したことを思い出す…
吐き気と戦ってたどり着いた職場で、
「大丈夫?」と声をかけてくれる人はいなかった。
「まだ休むの?」「迷惑なんだけど」
冷たい視線ばかりで、美弥には居場所がなかった。
——いや、
俺も妊婦の経験をする前は、そう思っていた…
忙しい時期に人手が足りないと、
舌打ちしたくなるほどイラついていた。
理解しようともせず、「甘えてる」と
冷たい目で決めつけていた自分が確かにいた。
でも今は違う。
自分がその立場になって、初めてわかった。
“無理をしない”ことが、
どれほど難しく、どれほど大切か……
ここは給料こそ高くないが、
贅沢を望まなければ困らない。
なにより、
体調を気遣って見守ってくれる人がいる。
この小さな弁当屋には、人のぬくもりがあった。
残っていた緊張が、
ゆっくりほどけていくのを感じた。
「……頑張ってみます」
優一は自分のことのように嬉しそうに笑った。
「うん、よろしく頼むよ、美弥さん」
***
健一は美弥として、
1日4時間ほど弁当屋で働き始めた。
体調に合わせて、事務作業や内職、仕込みを
少しずつこなしていった。
莉緒はよく店に顔を出し、健一の様子を見に来た。
店先に元気な声が響く。
「やっほー、美弥ちゃーん元気〜?」
健一は呆れたように返した。
「……おう」
「ねぇ、おっさん、メイク教えるから、
そろそろちゃんとしよ〜?」
「おいおいおいっ……!」
健一は慌てて声をひそめる。
「だから“おっさん”って呼ぶな!
バレるだろ!!……村田に話してないよな!?」
「え〜?言ったとこで誰も信じないって!」
「……まぁ、そうか。けど絶対言うなよ!」
「はいは〜い」莉緒は気にする様子もなく
ひらひらと手を振った。
そんなやりとりの最中、優一がちょうど現れた。
「そうだ、美弥さんに紹介してなかった人がいた」と、若い男性を連れてくる。
「わっ、大輝じゃん、久しぶり〜!」
莉緒が嬉しそうに声を上げる。
「莉緒のいとこの大輝。料理の勉強中で、
うちでも仕込みや調理を手伝ってもらってる。
美弥さんより二つ年下かな」
青年は不器用そうな笑みを浮かべ、
照れた様子で健一の前に立った。
「……はじめまして。大輝です」
「はじめまして……」
健一は、美弥になりきり微笑み返した。
だがその瞬間、
大輝の視線にふと違和感を覚えた。
( ん……?)
向けられるまなざしに、どこか妙な熱がある。
まっすぐ、まるで“異性”を見るような目だ。
(……まさか、女として見てる……?)
背筋に冷たいものが走る。
心の中で「勘弁してくれよ…」とつぶやきつつ、
健一は笑顔を崩さなかった。
***
妊娠中期も後半。
身体はすっかり“妊婦らしい”姿になっていた。
つわりもほとんどなくなり、
健診の回数は月1から2週に1度へ増えたが、それすら楽しみに思えるほど、気持ちに余裕が出ていた。
真鍋とも自然と打ち解けていた。
「こんにちは、美弥さん、今日も元気そうね」
「はい、元気です。ここに来るとホッとします」
「嬉しいわー!私も、美弥さんに会えるの、楽しみにしてたのよ」
最初は緊張していたが、
今では病院で一番安心できる存在だった。
この日も診察台に横たわると、
医師が機械をお腹にあてて動かし始めた。
画面には、今日も元気に手足を動かす小さな命が映る。
「お……!これは……性別が分かりましたよ」
医師の言葉に、健一は思わず画面を見つめた。
とくに気にしてなかったが、
胸がそわそわしてきた。
「……どっちですか?」
尋ねると、医師は微笑んで静かに答えた。
その瞬間、健一の表情がふっと和らぐ。
「……おぉ……そうかぁ……!」
その小さな声には、驚きと実感、
そしてあたたかな想いが滲んでいた。
──第⑪話へつづく
