どうすれば未来を創れるのか―SFプロトタイピングの思考術(3)
SFが問いかけるもの
SF作品は、読者にいくつもの問いかけを投げかけます。もちろん書き手も物語を作るにあたり、いくつもの問いを立て、少なくともその一部には物語の中で答えを出していきます。
「Dワールド」では、人工的なD生命をベースにした生態系は、L生命と簡単には共存できません。前述の様に、食物連鎖も独立したものになります。これがDワールドが独立した閉鎖生態系である理由です。L環境とD環境は厳重な隔壁で隔離される必要があり、安全性が確認されたものだけが持ち込まれます。D環境を訪れる場合は、環境スーツを着る必要があります。
そうまでして「鏡像生命が何の役に立つのか」という問いがあります。現代の我々は、時にちょっといいレストランで料理を食べ、香水をかぐことに大きな価値を見出し、莫大な経済的対価を支払っています。D生命に基づく製品がDワールドという場所でしか得られないという特別な価値があれば、多くの利用者が訪れる場所になりうるでしょう。これは私なりの答えです。
しかし、Dワールドはユートピアではありません。未来でも自然環境だけでなく社会が閉鎖的なものであれば、人々の間に分断を生みます。
「Dワールド」では、D生命が人工生命としてしか存在しえないことから、「人工人間を作るべきか」という倫理的問いかけもしています。
まだ現時点では答えが分からない問いも残されています。冒頭で挙げた問いのように、右利きの人が多いことや、右脳・左脳の違いも、我々がL生命であることと関係しているのかもしれません。
SFプロトタイピングで得られるもの
SFプロトタイピングでは、作家が執筆した物語や、ワークショップが直接の成果物となります。また議論やSFを読む中で鍛えられる柔軟なSF的発想、そしてそこから生まれるすべての派生的なアイデアも重要な成果物です。物語の中にだけ答えがあるのではありません。というより「物語の結末は決まっているからつまらない」と考えるのは大きな誤りです。物語は何らかの結末を迎えますが、物語はむしろ問いを立てるためにあります。その答えを探す過程で得られるものに価値があります。そして良い物語は別の物語とアイデアを生みます。物語の続きが読みたくなり、自分ならこうするだろうと考え、あるいは自らの手で実現したいと願うようになります。
どんな問いかけでも「悪い問いかけ」というものはありません。問いかけをしないよりはずっといい。ただ「より良い問いかけ」をすることはできますし、そうすることで発想を広げ、考えを深めることができます。
地球をテラフォーミングするとはどういうことか――「テラリフォーミング」
別の物語を見てましょう。
温暖化が進行して地球が暑くなりすぎたとき、地球を取り戻すためにどれだけ極端な手段が必要になるか。
この問いかけをするのが「テラリフォーミング」です。

2023年に、私は株式会社デンソー 先端技術研究所様でSFプロトタイピングを実施させていただきました。
ワークショップ1日目では、参加者の方のアイデアを刺激する触媒物語として「集中管理された安全な自動交通システムしか使えない未来の町で、自由に運転したくなったらどうする?」という問いかけをする短編小説「自由運転」を執筆しました。
2日目には「SFを読む・書く」ワークショップを実施しました。そして「書く」ワークショップでのディスカッションに基づき、地続き物語として「テラリフォーミング」を書きました。本作は、2024年に早川書房から刊行された日本SF作家クラブ編のアンソロジー、『地球へのSF』に収録されています。

本作では、自律AIロボットに育てられた主人公アイが、藻と共生することで自然環境を取り戻そうとします。
藻は世界中で食用やバイオマス燃料などさまざまな用途に活用されています。生物濃縮、つまり特定の物質を取り込む性質を利用して、水中の有害なプラスチックなどを回収する研究も行われています。
30億年前、シアノバクテリアなどの藻類が酸素を大量に発生しました。今、我々の生命に不可欠な酸素があるのは藻類のおかげでもあります。ただ作中に登場する新種の藻、ズメラルド(イタリア語で「エメラルド」)は、強力なカーボンシンクとして二酸化炭素を吸収するものの、強力な増殖力があるため生態系を破壊してしまいます。
現在、自然環境の微妙なバランスを人間の思い通りに制御する技術にはまだ改善の余地があります。たとえば長野県の諏訪湖では、生活排水が流入して富栄養化した結果、アオコが大繁殖して湖面を緑で覆いつくしていました。アオコを除去すると、今度は水生植物のヒシが繁殖してしまいました。ヒシは漁業にも影響するため、手作業での除去が行われています。長野県ではAIを活用した水質モニタリング技術を導入しましたが、複雑な自然環境をシミュレーションするには、量子コンピューターが必要になるかもしれません。
1981年にアメリカの物理学者リチャード・ファインマンは「自然をシミュレーションしたければ、量子力学の原理でコンピュータを作らなくてはならない」と言いました。これがそもそも量子コンピューターのアイデアとなったと言われています。
人間活動は、地球の表面だけでなく、宇宙空間にも大きな影響を及ぼしています。スペースXの通信衛星システム・スターリンクは、へき地や通信インフラがない場所での通信も可能にしました。将来的には42,000機もの衛星が計画されているそうです。しかし、現時点でも数千機の衛星が太陽光を反射し、宇宙観測に支障が出ることが指摘されています。表面を黒く塗るなどの対策もしているものの、まだ十分とは言えないようです。またこれらの衛星が寿命に達して制御不能になったとき、宇宙空間を危険なスペース・デブリとなる可能性もあります。ごく小さな物体でも宇宙空間では相対的に高速で衝突することがあり、衛星やロケットが破壊されます。スペース・デブリが連鎖的に発生して増殖するケスラー・シンドロームと呼ばれる最悪の事態も想定されています。これを題材にしたSF作品はいくつもあります。もしこうなると地球近辺の宇宙空間は細かな破片が高速で飛び交う危険地帯となってしまいます。スターリンク衛星は大気圏で完全燃焼するよう設計されているようですが、大量の衛星が燃え尽きることで新たな環境汚染が発生する可能性も指摘されています。
地球を元に戻すためには一度壊す必要があるかもしれない――そのような事態になる前にできることを考えたいものです。
人間が対応できないときAIはどちらが生き残るか判断すべきか?―「Final Anchors」
第5回日経「星新一賞」グランプリ受賞作品「Final Anchors」は、自動運転とAI法廷の未来を考えるSFプロトタイピング的ストーリーであるともいえます。本作では、緊急制動システムであるファイナル・アンカーや交通管制システムであるマーキュリー・システムを提示し、今後より頻度を増すであろう自動運転での交通事故について考えることができます。
「Final Anchors」のあらすじは以下です。
2台のAI自動運転車が、衝突寸前の0.5秒で、なんとか生き残ろうと対話する人間の反応時間ではもはや間に合わず、相手の車両以外と通信する時間もない。AIたちによる「最後の審判」が始まる。

本作ではいわゆるトロッコ問題を扱います。当初、この倫理的問題は1967年にイギリスの哲学者フィリッパ・フットにより提示されました。制御不能の路面電車が走ってきて、二股に分岐する線路の先に1人と5人がおり、あなたが転轍機《てんてつき》を動かせる場合、1人と5人のどちらを選ぶか、という思考実験です。1人を生かして5人を殺すか、5人を生かして1人を殺すか。どちらの選択でも何らかの後悔は残るでしょう。この問題には、後に条件を変えた様々なバリエーションが考えられました。
ちょっと脱線ですが、路面電車はアメリカ英語ではtrolley、イギリス英語ではtramといいます。フットはもともとtramという言葉を使っていました。この問題は、後にアメリカ人哲学者ジュデス・J・トムスンが書いた文章のタイトルで、trolley problemとして知られるようになりました。その後、trolleyが日本語に入ったときに「トロッコ」(動力のない、軌道を走る小型貨車)と訳されてしまい、以後、トロッコ問題となりました。trolleyは確かにトロッコをも意味しますし、問題の本質には影響しませんが、正しくはトロッコ問題というより路面電車問題となります。
AIに人間の命をゆだねるか。これは自動運転を含め、我々がすぐにでも直面しなければならない問題です。本作執筆後に、自動運転の専門家の論文も読んでみましたが、「AIに選択させないようにする」という方法など、私が本作中で想定していた方法がよく似ていました。
本作ではあえて極端な状況を作り出していますが、条件が少し異なれば結果は大きく異なることも考えられます。作中の条件を様々に変えて考えることも思考訓練の一つとなります。

