見出し画像

「ターゲット・デート」と脂身の行方

気がつけば、2026年である。元旦なのだ。1989年生まれの僕は、いつの間にやら36才になっていた。鏡餅の上に乗っているミカンのように、ちょこんと、しかし確かな重量感を持って、三十代の後半戦が始まっている。

子どもの頃、僕の周りにはやたらと健康談義に花を咲かせる大人たちがいた。 当時はSNSなんてものはない。だから大人たちは寄ると触ると、血液をサラサラにする食材がどうだとか、ぶら下がり健康器を買ったら肩こりが治っただとか、そういった他愛のない話を延々としていたわけである。 その中に、「30才になると体質が変わる」という、まことしやかな健康テーマがあった。

当時、ワタノさんという20代後半のお兄さんがいた。 彼は独身で、外食好きで、讃岐うどんを飲み干し、何より脂っこいものを愛していた。体型をわかりやすく言うなら、芸人のタイムマシーン3号・関みたいな感じ。彼は周囲の健康トークを「好きなもん食って楽しくしてたら一番健康や」と一蹴していたのだが、30才になった途端、ガクッときた。「なんかダルい」「急に疲れやすくなった」とボヤき、ついには「30才になったからや、体質が変わったんや」と白旗を揚げたのである。やっぱりそうなんだと周りの大人たちはざわつき、あれやこれやと健康談義をワタノさんに提供した。その後、談義に花を咲かせるだけでなく一念発起したワタノさんは、魚中心の食生活と運動でシュッとしたナイスガイに変貌し、結果につなげた(実際結婚もした)。映画「ロッキー」のような名シーンがいくつかあるのだがそれはまた別の機会に話そう。当時高校生だった僕は「人体って不思議だ」と感心したものだが、同時にこうも思っていた。「自分は大丈夫だろう」と。

ワタノさんのイメージ(右)。結構似てる。

実際、僕は30才を過ぎてもピンピンしていた。「なんだ、30の壁なんて迷信じゃないか」と高を括っていたのだ。いや、確かに脂が〜とかそういうのは合ったが、なんとなくそうかな?というくらいだった。ところがどっこい、時限爆弾のタイマーは5年遅れでセットされていたらしい。35才になった昨年、僕の体質は音を立てて変わった。

まず、脂を受け付けなくなった。カルビより赤身。ラーメンの背脂、そして初めて訪れる中華屋の餃子は翌日の腹痛と全身の鉛のような重さを約束するチケットになった。そして、恐ろしいほどの朝型人間になった。平日だろうが休日だろうが、朝の5時か7時には勝手に目が覚める。朝型というと聞こえが良いが、軍隊のように勝手に朝起きる身体を乗りこなすのは非常にしんどい。さらに、目の奥の痛み、短期記憶の喪失(買い物リストが頭から消えるミステリー)、あまつさえ特定の周波数(例えば死ぬほど長い顧客の電話)だけ聞き取れなくなるという、都合の良い聴覚の老化まで始まった。

↑の文章を入れたらGeminiが出力した写真。嘘だろ?

これに加えて、我が家には男児が3人いる。小1、年中、1才。僕のDNAを色濃く継いだ彼らは、とどまることを知らないエネルギーの塊だ。仕事の責任は増すばかりだし、仕事が終われば(終わらなくても)彼らの予測不能なリクエストに応えなければならない。まさに、てんてこ舞いである。

そんな折、昨年の2025年、高市総理が「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」というような発言をして話題になった。 極端な話だが、36才になった今の僕には、その意味が少しわかるような気がしている。社会人になってからの僕は「ワーク」一辺倒だったが、家族が増え、体が曲がり角を迎えた今、否応なしに「ライフ」がその権利を主張し始めたからだ。

そこで僕が思い出したのが、投資信託の「ターゲット・デート・ファンド(TDF)」という商品だ。 これは、「いつまでに、いくら必要か」という目標日(ターゲット・デート)を設定し、そこに向かって資産配分を自動で調整していくものだ。最初はリスクを取って攻め、期日が近づけば守りに入る。

https://www.nomura-am.co.jp/dc/tyf/about.html (出典:野村證券のページから)

人生もこれなんじゃないか、とふと思った。
資本主義社会は、僕らに「ターゲット・デート」を設定してくれない。30才になっても、アラートは鳴らない。自分で決めなきゃいけないのだ。期日を決めずに、ただ目の前の回し車をカラカラと回し続けるハムスターのような毎日は、正直怖い。毎日が「疲労」という名の死で終わるような感覚だ。

だから僕は、勝手にターゲット・デートを設定することにした。
「末っ子が小学生になる日」。あと五年後だ。

小学生になると、子どもの世界は一気に広がる。知識、知恵、人間関係。インスタのストーリーよりも更新が早く、YouTubeよりもバズリまくりで(主に僕に)、AIも裸足で逃げ出すような偶発性と刺激に満ちたそのコンテンツを、親として一番近くで楽しみたい。そのためには、僕自身がアップデートされていなければならない。難解な質問に答えられる知力、一緒に野山を駆け回れる体力、そしてそれを支える経済力と時間の余裕。

そう考えると、これからの5年は「犠牲」の時間ではない。 仕事に忙殺されるのも、脂身を控えるのも、すべては五年後の「最高の遊び」のための準備期間なのだ。 何かを我慢して成功を手にするのではなく、最高に楽しむ日のために、今はせっせと薪を割って準備運動をしている。そう思えば、朝五時に目が覚めるのも、そう悪くない気がしてくるのである。

さあ、あと5年。 準備万端でその日を迎えるために、今日もお節の脂身を少し避けて、赤身を噛み締めるとしようか。

いいなと思ったら応援しよう!