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「生きるために走るしかない。」駅伝で爆速で走るケニア人の想像もできないドラマ

駅伝中継のケニア人はなぜ日本で走ってるんだろう。

ふとテレビを見ながらそんなことを思うが、すぐに忘れてしまう。
それもそのはず。

なぜかケニア人ランナーだけ、詳しい経歴や人生ドラマが語られないのだ。
日本人の場合は、家族構成やら葛藤やらが語られますよね。
それに共感しながら中継を見るからこそ、面白みがある。

ケニア人がいくら早かろうと、その経歴を知ることもなかったし、知ろうとも追わなかった。

そんな時に手にしたのが、こちら。
「アフリカから来たランナーたち」

読んでみると、
帯に書いてある通り「生きるために走る」という大ドラマがあった。

貧困から抜け出す現実的な手

ケニア人の彼らはなぜ日本に来るのだろう?
それは、「生きるため」だ。

自己実現とか、お金があるから日本に来てるのではない。
人生を切り開くため、家族を養うために人生の全てを賭けて日本に来てる。

貧困ラインギリギリで生きる人も多いケニア。
その中でもしも「走る」力が強ければ、海外で収入を得ることができる。

だから、もしも誰かが走る力が強ければ、家族全員で出資するらしい。

家族にとっては、それは投資というより、宝くじを買うかのような、一攫千金を狙う賭けであるといったほうが近いかもしれない。あるランナーの例だと、一年でケニアの平均年収の5〜10倍を稼ぐことができる。
中略
しかし実際に金銭としてリターンを得られるランナーは全体の一部にすぎない。それもまた宝くじのような確率しかない。

アフリカから来たランナーたち p58

「親族の生活がかかってる」という、途方もないプレッシャーを抱えて走ることを決めた。
そして宝くじのような倍率を超えた一握りの人だけが、日本を含め海外に渡れるのだ。
(さらに渡れても結果を残せなければ、チャンスは掴めない。)

そんな人生を想像できるだろうか。

簡単に批判する人

彼らは人生を賭けて駅伝を走ってる。

ポジティブな意見もある一方で、
言われのない悪口や批判を言う人もいる。

・「箱根駅伝でクロンボ」を使うな!という人
・外人ではなく「害人」呼ぶ人

当たり前だが、
人格を否定する言葉を投げつける人間が悪人だ

その言葉を投げつけられたケニア人のランナーはこう言ったらしい。

監督、自分たちは大丈夫です。
オレンジをくれる近所の八百屋さんや、お風呂で一緒に背中を流したりするおじさんたちのような、いつも応援してくれる人たちが喜んでくれている。僕たちはそれだけで嬉しいんです。
だから監督が悲しんでるとしたら、そっちの方が悲しい。

アフリカから来たランナーたち p150

何の権利があって、その人を批判するのだろうか。

いっときの感情だけで、何も知らない人が発言する。
よっぽどそっちの方が悪人に僕は見える。

何も知らないことは、冷静に見守る勇気

これはケニア人ランナーだけではない。

最近も海外の人をSNSなどで簡単に批判する人がいる。
しかもそれが無自覚だからタチが悪い。

当初は不法滞在や犯罪といった具体的な問題への対応として語られていた議論が、いつの間にか外国人全体への反発に変わっていく。
本来であれば、具体的な問題には具体的な対策が講じられるべきだ。
中略
気づけば「外国人を排除すべきだ」という感情的な結論になる。

アフリカから来たランナーたち p280

僕もその通りだと思います。

コンビニなどサービス業などで、海外の人が働いてる光景は今では当たり前。それは日本にとって働き手がなくて、必要だから「こちら」が呼んでるんですよね。
ケニア人のランナーも、日本にとって必要だから「こちら」が呼んでるんですよね。

なのになぜ、一部の犯罪を取り上げて、人格攻撃をするのだろうか。

それはその人が感情をコントロールできてないだけ。
日々の生活がうまくいってない矛先を、誰かに向けたいだけではないだろうか。

もちろん感情的になるのは自由ですが、
その気持ちは心に留めて、静かにしておく勇気を持たなければならない。

そもそも批判する権利なんてないはずだ。

SNSのアイコンの先には人生がある

本書を読んで、
改めてSNSでも同じだと思った。

アイコンと名前、プロフィールだけでは語れない人生がその先にはある。

大事にしてる家族もいれば、
語り尽くせないほどの後悔や葛藤もあるだろう。
未来への夢や希望もある。

なのに、ちょっとした投稿で炎上させたり、
反対に不用意に誰かを馬鹿にしたり、
安全圏から芸能人をヘイトしたり。外国の人を悪く言ったり。

そんな権利が誰にあるのだろうか。

どうせなら応援する方向に時間を使いたい。

そして人間なので悪感情が湧く時はある。
そんな時はそれを発信するのではなくて、そっとSNSを閉じる勇気を持つ。

何でもかんでも言うのが正しさではない。

想像する、知ろうとする。

ケニア人のランナーのことをほんの少しだけ知れて、
僕は身近に感じた。

家族のために、人生を開くために。
必死で走ってる。

勇気をもらえた。

不安な時、よく分からない時は、立ち止まって知ろうとすること。

相手の背景を知れば、
不用意に感情的な発言をしようとは思わない。

外国の人が悪いとか、芸能人の発言が悪いとか、政治家が悪いとか。
だから悪口を言うのではなくて、
きっと単純に、自分が不安だから言ってしまうのである。

すぐに言うのではなく、立ち止まって想像する勇気を。

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