1000記事投稿して気づいたこと。
先日1000記事投稿した通知が届きました。
気づけば1000記事も投稿してたんだと、
一つの節目として感じた。
もともと僕が書こうと思ったモチベーションは、焦りと不安だったように思います。
3年ほど前は、
今よりもずっと自分に自信が持てなくて、何がやりたいのかも分からなくて、周囲と比較しては落ち込んで。
そんな自分でも「これをやってる!」という実感が欲しかったんです。
パッと華やかな実績はないし、飲み会とかで繋がりを作るとかもできなかった。
だけど、「続ける」ならできるかもと思った。
だから、
誰かに〇〇を届けたいとか、相手の顔を思い浮かべてとか、
正直いうとあんまり無かったような気がします。
とにかく自分が楽になりたかった。
これは続けたという「実績」が欲しかった。
どうしようもなく溢れ出す、劣等感とか不安とか焦りとか。
「負けたくない」という気持ちもあったと思います。
でもそれがあったからこそ、
嫌だなと思っても投稿ボタンを押せた。
その延長が今なんです。
さて、
「続けたら何かあるかも」と思ってた先に、何があったのでしょうか。
正直いうと大して目立った変化はありません。
数字という意味ではそこまで伸びなかったですし、「発信の軸」も見つからなかった。
でも、
確かに内面の中に変化はあるんです。
続けて良かったなと心から思います。
例えば最近、
「なんか投稿することなくなってきたな」と思う瞬間が増えました。
前だとその気持ちに対して、
鞭を打つように、頭を捻って投稿してた。
だけど最近は、
「まぁ、書くことないなら良いか」
と、どこか一歩引いてる自分がいるんです。
多分それは、
自分の中でずっとコンプレックスだった、
「続けられない自分」を少しは乗り越えられたからなんだと思います。
極端ですが、
「書かないと、また自分に絶望してしまう」
という観念がありました。
それが少しだけ満足できた。
渇望してた数字を伸ばしたいという欲求。
「続けても大して伸びなかったぞ」
ということが、腹落ちしたんです。
もちろんこれは個人差がある。
伸びる人は伸びるし、伸びない人は伸びない。
細かく言えば、タイトルの付け方、ターゲット選択とか、色々あるだろう。
でもそういうのを一旦ひっくるめて、
「嫌だな」と思う自分を引きずりながら投稿した結果、
「まぁ、別に良いか」
と思えてるんです。前よりは。
凄く言葉にするのが難しいし、
なんだか言い訳くさいけど、
「自分の場合は、そこじゃないんじゃない?」
となんとなく諦めがついてる感じ。
僕のnoteでは、
何度も何度も書いてる言葉なんですけど、
「結局人による」
と思うんです。
僕の場合はこうやって続けてみないと、
自分はどうしたいんだろうが、見えなかった。
それに気づくために、
ここまで投稿したんじゃないかなと、思ってます。
結局人によるんだから、
自分でやってみないと分からない。
毎日投稿はどんな良いことがあるのか、
これも人によるから、
自分でやってみるしかないんです。
noteを投稿することも、
運動も、転職も、副業も、旅行も。
最近だとAIを使った方が良いのか否かも。
全て人による。
人によるんだから、
不安でも嫌でも、やっぱり自分でやってみるしかない。
でもその方が気が楽じゃないですか?
ダメならダメで良いなと。
自分には合わなかったな、じゃあ他のことやってみよう。と、ワクワクできるかもしれません。
どっかの声の強い人が言う、
「オワコン」とか「無駄」とか「誰でも」とか、話半分に聞けばよいと思うのです。
そんな風に、
1000記事という節目の数字を見て振り返りました。
これは今現時点で思いついたことなので、
これから先は何か変化してるかもしれませんね。
今日の記事もまとまりがないですが、
そんな感じで、これからも、
試せた自分を褒めていきたいです!
