バール・バック「大地」読了。正解のない時代にどう生きていくのか。
パール・バックという作家の「大地」を読みました。
1931年に出版されアメリカを中心に世界中でベストセラーとなった作品です。著者はこの作品でノーベル文学賞を受賞した。
パール・バックはアメリカ人の作家なのですが、
本書の舞台は中国の農村。
著者の父親がキリスト教の宣教師であり、幼い頃から中国に渡り、長年そこで生活をしたらしい。
内容は、
中国の農村を舞台に親子孫三代に渡って発展して、衰退していく大河ドラマ。
まず、
第一世代目の王龍は、貧乏農民からスタートし、必死こいて働き大地主になる。
第二世代の3人の子は、親の財産を元手にして、それぞれの道を生きていく。
第三世代の孫の代では、時代の転換点。古い風習を投げ打ち外国に留学に行く。
時代を超えて読み継がれているだけあり、
内容はものすごく面白かったです。
特に印象的だったのは、第三世代目の話。
今までの古い習慣に疑いを持って土地に縛られず、自由に生きていこうとする姿が描かれている。
今までの親世代よりもずっとずっと、自由に生きられる時代なんです。
結婚も好きな相手と自由にして良い。
畑を耕さなくて良い。
当たり前だった親戚付き合いだってしなくて良い。
アメリカに留学にまで行った。
その結果幸せになれたのかというと、
主人公はずっと悩んでいる。
目の前の相手と結婚するか否か、どうしても決断がつかなくて、ウジウジとしてしまう。
もっと良い場所があるはずと思って転々とするも、どこに行っても良い場所はない。
留学に行っても、居場所は見つからなかった。
結局、
三世代に渡って守ってきた大地を手放して自由を求めても、
幸せにはなれなかった。
読んでいてすごく、今の時代にも当てはまるなと思ったんです。
正解がない時代と言われています。
一昔前の昭和では、結婚するのは当たり前だったらしい。
企業に定年まで勤めるのが普通だったらしい。
今の自分たちは、そうしなくても良い。というか、そんな風に言う人が少なくなった。
価値観が変化してきた。
では、
それが幸せなのかというと疑問です。
選択肢が増えれば増えるほど、自己責任という言葉がのしかかってくる。
選ばなかった選択肢に未練が生まれる。
決める事が怖くなってくる。
自由に動けば動くほどに、
実はどんどん不自由になっていくというパラドックスも存在します。
ここにいる老人たちは、若い時、みんなはっきりとした単純な生活を送ってきている。
金、戦争、快楽。それらは、彼らが生命をかけて求めるだけの価値のある、立派なことだったのだ。
中略
しかし青年は、みんなひどく迷っている。明白な大目標がないのだ。
僕も含めてだけど、
明確な答えがなくて不安なのだ。
AIはどんどん便利になって、世の中を変えていくけど、
一体自分はどこに向かっていくのか。
何をしたら良いのか。
ふとスマホを置いて冷静になって、我に返って、自分を見つめると、
何も見えてこない事に気づく。
その空虚さに気づくのが怖くて、
ついスマホを見てるのじゃないか。
そんな風に思うんです。
小説の主人公たちも迷います。
迷って迷って、最後のシーンではこんな風に未来を想像する。
あたしたちみたいなのには、新しい首都が一番ふさわしいんじゃないでしょうか。あたし、あそこで働きたいんです。
新しい首都の新しい生活に、あたしも加わりたいんです。
そしてそんなパートナーの言葉を聞いて、主人公は決意する。
僕たち二人は、僕たちは、何も恐れる必要がないんだ
きっと令和の時代に感じる不安って、
実は歴史の中で何度も繰り返されてきたんじゃないでしょうか。
時代の転換点は歴史上で何度も何度もあって、
その度に多くの人が感じてきた悩み。
そう思ったら、
なんだか、全てなんとかなりそうな気がします。
恐れなくてよくて、
「これをやってみよう!」と思うことを、素直にやっていけば良いのだと思います。
正解がないのだから、
一人一人の生き方が正解になっていくのでしょう。
仕事を頑張るのも良いし、頑張らずほどほどにするのも良い。
家族と暮らすのも良いし、一人で過ごすのも良い。
自分で自分の生き方を決めるのは、不安だけど、
だけどきっと、そういうもんなんだと思う。
著者のパールバックが、最後に結んだ言葉のように、
恐れる必要はない
