ミニストーリー「死ぬのにちょうど良くない日」
「そういう意味じゃない」
電話がかかってきて、まずわたしはそう答えた。
たしかに、今度の大会では台風の目になりたいと言ったことは事実だけれど、わたしの思っていたのとは違う。
「とにかく北海道に行ってください。交通費はあどでお返し致しますから」
できれば、新幹線で早急に移動お願いしますと電話主の男は続ける。
「もう乗ってますけど、とにかくそういう意味じゃないんで」
わたしは念を押す。
ええ、おっしゃりたいことはわかります。とにかく移動を。
世間的にはまったく無名の競泳選手であるわたしが、「台風の目」になったとネットニュースで目にしたのは1時間ほど前か。先月の大会でこんなわたしにも一応、申し訳程度に「目標は?」と聞かれ、「台風の目にはなってみたいですね」と答えた。
記者は、苦笑いのような微妙な表情を浮かべ「なるほど」と返した。なれるはずない、というような目だった。
けれど今、わたしは「台風の目」になっているらしい。
雨雲レーダーはわたしのまわり(半径1メートルくらい)だけずっと晴れているし、スタバに寄ったら、わたしのパラソルにだけ雨が落ちてこなかった。それがインスタかなんかで拡散されたみたいで、その情報ももうわたしに伝わっていた。
だから、まあそういうことなのだろう。
北海道に行けば温帯低気圧になるからと。飛行機は高度があるので新幹線で、と。電話主に言われる前に、わたしは北海道に用があった。一人旅っていう用だ。片道切符の。
というわけで、わたしは新幹線に乗っている。わたしの席の窓だけ晴れだ。つーかさ、新幹線だって台風だったら止まることもあるんじゃないの? 自由席のこの車両にはわたししか乗っていない。ほんとに北海道に着くのかしら。
晴れた空と、反対側の窓に叩きつける雨を聞きながら、わたしは10秒に一度は「そういう意味じゃないないんだよなあ」とつぶやいている。
「あら、あなたもしかして」
ふいに声をかけられた。
貴婦人といった感じの女性だ。
てっきり「台風の目」のことを言われるかと思っていたら、貴婦人は、
「晴れ女さんじゃないですか?」
と言ってきた。
さん付されるほどのものではございません、と答えると貴婦人はわたしのとなりに座った。自由席といえども、席は有り余ってというのに。
「あぁ、良いわねぇ。晴れてるって、いいわねぇ」
貴婦人は感慨深い。
一人旅でしょ? と聞かれ、えぇ、と答える。
「北海道に行きたくなるのよね、晴れ女さんは」
またもや感慨深い。
「でもねぇ、死ぬのにはちょうどいい日じゃないわ」
えっ?
わたしの鼓動はそこで一気に早くなる。
死相でも出てるのか。
わたしはまさに、死のうとしていた。
そのことを見透かされた。
理由は語ろうと思わない。
「理由はいらないわ。でも今日は死ぬのにちょうどよくない日。それが晴れ女さんの宿命なのよ」
どこまでも感慨深い。わたしは、そんなつもりじゃなかったのに、滝のように涙を流している。台風の目だというのに、わたしはずぶ濡れではないか。
どうしてわかるんですか? と聞こうとしてやめた。聞こうとした瞬間にわかってしまったからだ。彼女もいつか、台風の目になったことがあるのだと。
函館(の新幹線の駅)に着いたとき、雨が上がった。半径1メートルだけじゃない。温帯低気圧に変わりました。社内アナウンスがそう告げた。
*
目の前が薄暗い。
あ、そうかゴーグルをかけているからか。そう思った瞬間、スタートのブザーが鳴った。
あ、出遅れた。
仕方がないので、深呼吸をしてから、わたしはスタート台からプールへ飛び込んだ。
台風の目になってやるんだから!
そう思いながら、わたしは浮上した。
