ふたりぶんの暮らし 『水着でベランダビール』
近所の花火大会が終わって、数日が過ぎた。
あの日、優奈と美緒は花火大会そのものには行かなかった。
仕事を少し早く切り上げて、近所のスーパーでお寿司やとんかつ、天ぷら、それからいつもより多めのビールを買った。
帰宅すると、二人で浴衣に着替えた。
お揃いの、緑の生地に赤と黄色の大きな花が咲いた浴衣。
ベランダに下駄を並べ、ビールを飲みながら遠くの花火を眺めた。
人混みも暑さもなかった。
家からでも、花火は十分によく見えた。
そんな夏の夜だった。
それから数日。
朝のキッチンで、二人はいつものようにコーヒーを飲んでいた。
八月は、お互いに仕事が多かった。
優奈は小説の締め切りが重なり、美緒もイラストの仕事がいくつか続いている。
平日の半日くらいなら、なんとか時間を作れそうだった。
けれど、丸一日の休みを取るのは難しい。
まして連休など、とても無理だった。
窓の外では、朝から蝉が鳴いている。
まだ仕事を始めてもいないのに、今日も暑くなりそうだった。
「ねぇ、美緒」
「なに?」
「毎日暑いしさぁ」
優奈はコーヒーを一口飲んだ。
「この夏、一緒にどこにも行けそうにないじゃない?」
「そうね」
「だから、今日の仕事終わったら水着着てお風呂入らない?」
美緒はカップを置いた。
「……いいね」
「でしょ?」
「でも、せっかくだから」
今度は美緒が少し考えた。
「花火大会のときみたく、ベランダでビール飲みながら水着着ない?」
優奈の顔が明るくなった。
「それ、いい!」
「でしょ?」
「じゃ、少し早めに仕事終わって、ビールとおつまみ買って、それから水着に着替えよう!」
「仕事、一時間くらい早く終われるかな」
「終わらせる」
「言い切ったわね」
「だって水着だから」
「理由になってない」
「私にはなるの」
優奈は笑った。
まだ朝なのに、もう水着を出してきた。
「去年のでいいね」
「もう出したの?」
「これ」
優奈はビキニのトップを胸元に当ててみた。
「ちょっと恥ずかしいかと思ったんだけど、これ買って良かった」
美緒はそれを眺めた。
「私はビキニ着られないわ。恥ずかしいもの」
「こういうのは勢いなのよ」
「勢い?」
「そう。なんだったら今日はこれ着る?」
優奈が別のビキニを差し出す。
美緒は少し考えた。
「……じゃ、着てみようかな」
「ほんと?」
「まだ分からないけど」
「それ、ほぼ決定じゃん」
優奈は嬉しそうだった。
朝から水着を出したまま、二人はそれぞれの仕事部屋へ向かった。
午前九時。
いつものように仕事を始める。
昼になって、二人で簡単な昼食を作る。
午後も仕事。
けれど、その日の二人には、いつもと違う楽しみが一つあった。
水着。
それだけで、時計を見る回数が少し増えた。
午後四時。
美緒が仕事部屋から出てきた。
「終わった」
優奈の部屋からも声がした。
「私も!」
二人とも、予定より一時間早かった。
「じゃ、買い物」
「ビール」
「おつまみ」
「水着」
「それは家にある」
「分かってる」
フィアット500Xに乗るほどの距離でもないので、その日は二人で歩いて近所のスーパーへ行った。
帰り道は、買い物袋の中でビールの缶が小さくぶつかった。
家に着くと、二人は水着に着替えた。
優奈は去年買ったビキニ。
美緒は結局、少し落ち着いたデザインの水着を選んだ。
「どう?」
「似合ってる」
「優奈も」
「ありがと」
五時半。
二人はベランダに椅子を出した。
冷蔵庫からビールを取り出す。
缶を開ける音が、二つ重なった。
「乾杯」
「乾杯」
夕方の空はまだ明るかった。
昼間ほどではないが、暑い。
けれど、ベランダを抜ける風が少しだけ気持ちよかった。
おつまみを食べる。
ビールを飲む。
またおつまみを食べる。
そして、またビールを飲む。
たいした話はしなかった。
「暑いね」
「暑いね」
「でも、プールみたい」
「どこが?」
「水着」
「それだけ?」
「あとビール」
「もっと違うでしょ」
二人で笑った。
しばらくして、優奈が空を見ながら言った。
「九月になって休み取れたら、プールのあるホテル行こうよ」
「いいね」
「平日なら、まだやってるところあるよね」
「探してみようか」
「うん」
優奈はビールを飲んだ。
「でも、もし休み取れなくて寒い時期になっても、温水プールあるところ探して行こうね」
「そうね」
美緒はすぐに同意した。
「冬でもプール」
「冬でもプール」
「じゃあ、年中プールじゃん」
「いいじゃない」
優奈は笑った。
それから少し自分のお腹を見た。
「冬だったらダイエット間に合うかな」
「あんた、お腹出てないじゃないの」
「だって、やっぱりプールでビキニ着るんだったら、お腹気になるじゃない」
「毎年ビキニ着てるじゃない」
「それは勢い」
「また勢い?」
「勢い、大事よ」
美緒は笑った。
「私はワンピースよ。見せる前提じゃないもの」
「でもホテルのプールなら?」
「ワンピース」
「誰もいないホテルのプールでも?」
「ワンピース」
「頑固」
「あなたが派手なのよ」
「可愛いからいいじゃない」
「はいはい」
夕方の空が少しずつ暗くなっていった。
ビールはなくなった。
おつまみも、ほとんどなくなった。
優奈が空になった缶をテーブルに置いた。
「このまま、お風呂行っちゃおう」
美緒も立ち上がった。
「そうね」
そして、少し笑って付け加えた。
「水着で入ろ」
「うん」
二人はそのまま家の中へ戻った。
プールには行けなかった。
旅行にも行けなかった。
八月は、まだ忙しい。
それでも、今日の夏はちゃんと楽しかった。
ベランダに置いた椅子を片づけながら、美緒が言った。
「九月、休み取れるといいね」
「取れなくても冬があるよ」
「そうね」
二人は顔を見合わせた。
そして、まだ少し暑い家の中を並んで歩いて、お風呂へ向かった。

