田宮さんへ 田宮模型は自分の青春でした
最初に買ったミニ四駆はホットショットJr.でした。
タイヤがゴツくて、意外とパワーがあってどうやって遊ぶんだろうと、子供心に思った気がします。
それから、模型屋さんにお願いしたエンペラー。
何度も何度もお店に来てないか確認する日々が続いた。
あれほどまでに、欲しいものを待ち焦がれる日々は未だかつてなかったと思う。

よく考えるとそんなに持ってなかったかな、ミニ四駆は。
同じくらいの時期だと思うけど、おじさんが東京からわざわざ買って送ってくれたラジコンカー、ブーメラン。
これは、周りには持ってるって言えなかった。
小学生でタミヤのラジコンを持ってる子供なんて、ほとんどいなかったんだ。
ひとりで庭で、畑で、走らせていたけどあまりにパワーがありすぎるのと、バッテリーがそんなに長い時間もたなかったので、完全にこれはもっと大人が遊ぶものという認識だった。
当時はテレビでRCカーグランプリというのがやってて、見るのが楽しみだったな。
その後、大人になって少しいじったりもしたけど結局、親が近所の人にあげてしまったらしい…。
小学校5年生になり、ミリタリーミニチュアシリーズにハマる日々が続いた。

筆や塗料を買い揃え、毎月タミヤニュースを買い、中学に上がってからはモデルグラフィックスも買っていた。
中学の頃には、人形改造コンテストにも応募した。
ネットなどない時代、情報は全てタミヤニュースだったかな。
なんか参加賞みたいなの送られてきてた記憶がある。
たぶん今でもとってある。
高校になってもプラモは作ってたな。
中学でアニメにもハマり、アニメ流しながらプラモ作ったりと。

学校は別に好きでも嫌いでもなく、まぁ勉強は好きな方だったのかな。
でも、それ以上の広い世界を田宮模型は見せてくれた。
田舎なので叶わなかったが、RCカーグランプリも、ミニ四駆のレースも出たかった。
渋谷の東急の上でなにかやってたのも行ってみたかった。
ここではない別の世界で何かすごく楽しいことが行われているんだということが、すごく羨ましかった。
そして、『作る』ということでその世界に少しでも触れていられる気がしていた。
ネットがいくら進化を遂げても、なかなかそれを体感するのは物理的に離れていると難しい気がする。
そして、その原動力みたいなものが、そこからずっと今まで続く作る日々に繋がっていると思う。
高校卒業して数年はアニメ、プラモなど離れていたものの、田宮模型と出会った頃から趣味から仕事へ、今は作るのものはデジタルだけど、この年までずっと作る日々が続いている。
田宮さんの訃報を聞いて、よく考えたらずっとだと改めて思った。ずっと。
キャラクターモーションなど動くものを作ってる自分としては、あのミニ四駆に初めてモーターを積んで、電気を入れて、スイッチを入れたその瞬間から、その日々が動き始めたのかもしれない。
なんてのは言い過ぎかもしれないが、それくらい自分の人生に影響を与えてくれたものだった。
ずっと田宮模型で働きたいなと思っていた。
でもそんなのは夢の夢、できるわけがないと思っていたけど、もし今そんな子供がここにいたら、できる、やれるよ。
まず静岡に見学に行って、いろんな勉強して、自分にできることを探そうよって言いたい。
田宮俊作様、田宮模型は自分の青春でした。
今でこそプラモは作らなくなってしまいましたが、あの頃のマインドがずっと続いてると思っています。
これからもなにかしら作る日々は続くと思います。
こうして改めて自分の過去を振り返った時、もはや田宮模型で育ったと言っても過言ではないくらいに影響を受けてきたのだと改めて思いました。
どうぞ安らかに。
