バリューブックスで50円で買った本の使い道
バリューブックスが運営する長野県上田市にあるブックカフェ「本と茶 NABO」で、以前50円で本を買いました。
その作品がこちらです。
『噺のまくら』三遊亭圓生(小学館)

持ち噺の多彩さで史上最高といわれた、六代目・三遊亭圓生の「まくら」集。
「まくら」とは、本番の落語の噺に入る前にちょっと喋る短い話のこと。世間話なども多く話されます。
圓生はその洒脱な語り口に定評があり、その背景には、江戸時代の社会や落語の舞台についての綿密な研究による裏付けがあったといわれています。
そんな圓生の数々の名高座から選りすぐった、65篇の「まくら」を集めた本。
「まくら」では、その後に語られる落語をより解像高くお客に聴いてもらうため、古い道具に関する知識や舞台となる場所など、その噺に出てくる内容に関してそれとなく解説されることが多くあります。
聴き手に江戸の文化や風景を伝えるからには、語り手のそれへの理解はより深くなくてはいけません。歌丸師匠など名人の落語を聴くと、その造形の深さをよく体感できます。
飄々と怠け者なふりをしながら、そうやって落語の世界観を大事にしているのってなんだかとても素敵です。
さて、この六代目・圓生のまくら集である『噺のまくら』(小学館)ですが、江戸文化が情景豊かにかつ具体的に描かれていて面白いとは思うものの、整えてあるとはいえ口述の"セリフ"を書き起こしたものであるため、少し読みづらく感じました。
というのも、落語家さんの語りでよくあるように、ある話が途中でぷっつり終わっていつの間にか別の話に転じていたり、音の響きの美しさを感じたい川柳や狂歌などが挟み込まれていたり、複数の話が一息でずらーっと続いていたり。結構文字では読みづらいところがあるのです(個人的にそういう文章を読みなれていないのもありますが…)。
なので、私はこの本を数章ずつ、「音読」することにしました。そして声に出して読んでみると、「まくら」の内容がよりくっきり頭に流れ込んでくるので、予想外に楽しかったのです。
「言い得て妙」という言葉もありますが、昔からあることわざや「こういうもんだよね」と言われていることって、科学的な根拠はなかったとしても、なんとなく真理に近いような気がしませんか。例えばこの本に出てきたものでいうと……
・五臓のどれかを痛めると夢を見るようになる。だから、健全なら決して夢を見ない。
・欲深き人の心と降る雪は つもるにつけて道を忘るる
・「小児は白き糸のごとし」というたとえもあるが、子どもというものは何事によらずまことに染まりやすい。
みたいなことです。
落語の舞台は主に江戸〜明治なので、今よりは科学技術の発展もなく、そういった「気の持ちよう」的な感覚的なところが人々の生活によく浸透していたのではないかと思います。
それゆえ、普段は聞き流れてゆく「・・・なんてぇ言われますが」という落語家さんの語る言葉一つひとつが、実はかなり意味深いことで、改めて掬い上げておきたくなるような言葉であることに気づきます。
また、とくにどこかで確実に役立つような知識ではありませんが、「もののはじまり」や「言葉や慣用句の由来」、「偉人のおもしろエピソード」など教養も学べます。
・菅原道真公は政から遠ざけられつづけた怒りがたまって魔界に入り、雷になった。
・お上はお屋敷ではごく内密の話ができなかった。なぜなら、天井裏に忍びの者がいる可能性があったから。そのため内々の話をするために、船へ乗り沖合いに出るということをしていた。
・「べらぼう」という言葉の由来は、「きさまは飯をつぶすだけの役にしきゃ立たない。へらの棒(ご飯を練って糊を作るときに使う道具)みたいなやつだ」ということにある。
その真偽にはこだわらないのが楽しむコツのような気もしますが、素直に「へ〜」と思ってしまいます。
落語家さんってあえて直截的な言い方を避けているような、照れ屋な印象があるのですが、そうやってそれとなく流れていくセリフと改めてじっくり向き合ってみると、語り手側の面白さ、もっと言ってしまえば人生の道に落語を選ぶまでする理由が少しだけ見えてくるかもしれません。
圓生の『噺のまくら』ですが、「音読」という使い道を見つけたこともあり自分にとっての価値はさらに高くなっているのですが、ブックオフでも100円の本すらあまり見かけなくなってきており、ネットショップでも結局送料がかかる現代においては余計、50円というのは安すぎるような気も……本の値段的な価値って不思議だなと思います。
小学生の頃はほとんどサボっていましたが、「音読」の宿題のような感覚で、何度でも読み返したいなと思っています。
おわり🐇
