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<Essay>「昭和の王子様」

 とっくに還暦をすぎたせいか、私の言葉使いが古いと妻によく言われる。女中(じょちゅう、メイド),衣紋掛け(えもんかけ、ハンガー),チョッキ(ベスト),乳母車(うばぐるま、ベビーカー),背広(せびろ、スーツ),葡萄酒(ぶどうしゅ、ワイン)などなど。しかし,カタカナの言葉よりも,こうした漢字に変換できる言葉の方が,より言葉に「命」がこもっているように思える。

 それから,私の老化した耳には、ハンガーとハングリーは同じように聞こえてしまうことがあるが,英語のHunger(飢餓)とHangar(吊す)とは、文字も発音も違うから、わざと昔の言葉使いをしているのだと言っても,これは嫌みになってしまうし,またそもそも英語を使用していない日本人には、まったく意味がないことだ。

 ところで、王子様という存在は,令和の日本では遠い昔のことと思うかも知れないが,今でも世界中に王子様はいる。特にアラブ諸国には一夫多妻の文化があるので、王族には王子様,王女様が沢山いる。でも,王子様という言葉が実感を持っていたのは,世界では第一次世界大戦頃までであり、日本では華族制度が残っていた昭和初期までだったように思う。

 その頃は、実際の王子様や王女様が普通にいたのだが、そうした旧体制が廃絶された後は、王子様や王女様は皆一般人として市井に消えてしまった。この現実の王子様や王女様が消えた一方で、芸能界の王子様や王女様も、同様に聞かなくなった。例えば、映画スターが雲の上の存在と見られていて,スターの私生活や本当の性格などを知らないことで、そのアイドル(偶像)に一方通行で憧れることができた時代から,令和の現在は、芸能人の私生活が暴かれるだけでなく,芸能人自らが率先してインターネットなどで私生活を公表し,さらに映画やドラマの役柄とは全く異なる素のままの性格を公衆に見せる時代に変わってしまった。こうしたことが、今の時代に現実と仮想の王子様や王女様が消えてしまった理由だと思う。

 私のような還暦を過ぎた老人は、昭和40年代から50年代に青年期を過ごしたので,王子様や王女様といった言葉の持っていた華やかなイメージがなくなったのを嘆くとともに、「スター」というイメージがなくなったことに対しても、「夢も希望もなくなった(東京ぼん太)」という寂しさを感じている。令和の世界では,ただ「金持ちの著名人」というステータスだけで、かつての「雲の上の存在」とか、「けっして私生活を知ることが出来ない秘密のベールに包まれた存在」という憧れを抱くような対象は、もうどこにもない。

 こうして王子様や王女様という言葉のイメージが消えた一方で、令和の現在は、王子様や王女様といった「肩書」が大人気だ。王子様や王女様に限らず、世間では、なんでもかんでも、「神様」、「天才」、「奇才」、「秀才」、「王様」、「女王」、「王子」、「王女」、「天使」、「奇跡」、「伝説」といった、華美な修飾語を故意につけた人名(芸名)・地名・(特に)商品名が、いたるところに氾濫して大安売りだ。

 これほどいたるところで、王子様や王女様といった言葉が安易に使われている状況からは、昭和の王子様を知っている老人としては、無責任な粗製乱造ではないかと思ってしまうのだが、現実にそうした言葉を見たり聞いたりしている世間の人たちは、私ほどには気にしていないようだ。むしろ、現れたらと思ったらすぐに消えていく、使い捨ての安い道具のような一種の流行語として認識しているのだろう。思えば、王子様や王女様に限らず、様々な言葉の取り扱いが、最近増々軽くなっているようだ。そういえば、今は芸能界では「神」が一年中バーゲンセールになっている。

 そういうわけで、言葉をその本来の滋味(味わい)というか、視覚的な意味を持つ漢字表記と併せることで、日本語独特のニュアンスを大事にしたいと、老人は自らを戒めている。そして、芸能ニュースやCMのような粗製乱造にならないように気をつけたいものだ。ところで、私のような時代遅れの死に損ないを、蔑称の意味で「昭和の王子様」と使ってみるのは面白いのではないか、とふと思った。そう、「昭和の王子様」とは、令和における絶滅危惧種なのでした。


<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、音楽を基にした散文詩及び短編小説集です。>


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きーやん(木下裕治) しがない年金生活の一方、健康状態の関係から身体を使う仕事は難しいため、趣味と実益を兼ねてnoteに様々な投稿をしています。皆さまからの私の投稿へのご支援をいただけることは、今後さらに多種多様な投稿を継続していくことにつながりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。