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秦氏とわたし

相生というところに住んで
秦河勝公の存在を知り
何かに取り憑かれたように
それから秦氏、秦河勝公のことを
調べて回っている。

「秦氏がね」
って言っても
「誰それ?」
ってなるのがわかっているので
周りの人にもほとんど言ってない。

こんなに日本の礎を築いた人なのに。

学校の授業では名前すら出てこない。
普通に歴史が好きな人でも
秦氏のことは知らない人がいる。
気づいて掘ってみないと出てこないのだから
当然かも知れない。

「聖徳太子のブレーンだった人よ。
平安京を作るのに財産とか土地とか提供した人よ」
っていうと、びっくりされる。

広隆寺、松尾大社、伏見稲荷大社は知っていても
秦河勝を知らない。

弥勒菩薩半跏思惟像の写真は見たことがあっても
秦河勝を知らない。

太秦、嵯峨野、嵐山に行ったことがあっても
秦河勝を知らない。

どれだけ隠されているのか。

でも、一度知ってしまうと
あっちにもこっちにも
秦氏や秦河勝公の痕跡が出てくる。

そうなってから振り返ってみると
ずっとそばにいたんじゃないかなと思えてきた。

小学生から大学生くらいまで
わたしの髪を切ってくれていた美容師さんが
「秦さん」だった。

明るくて豪快な人で
おばちゃんだったけれどセンスが若くて。
天パで扱いにくいわたしの髪を
いつもかわいくショートにしてくれていた。

大学生のとき、アメリカに留学する前にカットに行くと
「アメリカ人になめられたらあかん」
と言ってサービスでメッシュを3本ほど入れてくれた。笑

そのメッシュが効いたのか
アメリカ人から声をかけられることがあり
その中の一人がわたしが日本人と知って
"Shinto!! Shinto!!"
と嬉しそうに言ってきた。

そのときは何のことかわからなかったが
大学の購買部に行ったときに
表紙に鳥居が描かれた「Shinto 神道」のペーパーバックが並んでいるのを見て
ああ、これか!と気づいた。

それと同時に、
「いや、でも神道のこと聞かれても何も答えられへん…」
という焦りが出てきた。

自分の国の宗教なのに、
何も教えられていないし、
何も知らない。
何も知らないことにも気づいていなかった。
これはかなりやばいことではないか、と思った。

他国から来ている学生たちは
「自分の国を良くしたい、豊かにしたいからアメリカに学びに来た」と言っていた。
自国の問題を理解していたし
そのための解決策も頭にはあり、
そのために何を勉強したらいいのか分かった上でアメリカに来ていた。

日本人の学生といえば…
就職に有利だから、
自分探しのために、
英語が話せるようになりたいから、
という利己的な目的が多いように感じた。

中には
アメリカ人の彼氏/彼女が欲しいから、
と言っている子もいた。

そのときに頭に浮かんだのは
「日本人は根無し草だ」
ということば。

これは大人になってもずっと頭の片隅にあった。

仕事で「国生み神話」に出会ったときに
ああ、これだ!と感じた。

日本人が、日本人であることを思い出すのに
歴史と神話の学び直しが必要だと。

そのときわたしはもうキリスト教の洗礼を受けてしまっていたので
神社やお寺にいくことはご法度。
でも、こっそりいろんな神社やお寺を見て回っていた。

そのうちに、あれ?
キリスト教と神道、似てるところあるやん?
この神様って、イエス様ぽくない?
あれ、仏教も同じこと言ってない?
みたいなことがポロポロ出てくる。
根っこは同じなんじゃないの?

でもそんなこと大っぴらには言えないし。

教会では役員をするまでになっていて
神社に行っていることがバレたら大ごと…

そんなときに、教会内でごたごたがあり
内部の人間関係にほとほと嫌気がさしてしまい
役員を降りて、教会とも距離を置くようになった。

自分の人生だから、自分のやりたいように生きよう。

そうして開き直ってこのnoteにも
クリスチャンであることを明かした上で
日本の神様のことを書きまくっている。

いろいろ調べていくと
フランシスコ・ザビエルが来日するずっと前に
日本には景教という形でキリスト教が
すでに入っていた、ということを知った。

それらを持ち込んだのが渡来人たちだ。
なんなら、その人たちの中には
古代イスラエルの失われた十支族の子孫がいるとか
日本人とユダヤ人は共通の遺伝子を持っているとか
いやいや、日本から世界に出ていったのだよとか、

やっぱりそうやんねー!
と思うことがたくさん出てきた。

2022年3月、娘といっしょに京都を旅した。
このときは二人して平家物語にはまっていて
平家物語に出てくる女性たちの足跡を辿るというマニアックな旅をしたのだ。

せっかくなので
当時の天皇や皇族の雰囲気を味わおうと
京都御所にも足を運んだ。

これは紫宸殿で撮ったもの。

このときは秦氏のハの字も知らない。

ここはもともと
秦河勝公の邸宅だったところだそうだ。
平安京を作る際に
秦河勝公はここの土地をまるごと提供したのだ。

ここに写っている
「右近の橘」は
秦河勝公のものだったそうだ。

ここで秦河勝公に出会っていた。

さかのぼって大学生のころ、
留学する前にわたしは
寝屋川市のスイミングスクールで
コーチのアルバイトをしていた。

寝屋川市も

秦河勝公ゆかりの地であることを最近知った。

寝屋川には太秦という地名もあって
そのあたりには古墳もたくさん見つかっている。

時期は違うけれど
同じスイミングスクールでバイトをしていた人と
三十年ぶりくらいに不思議なご縁で繋がった。
その人はいま高知県で漁師をしていて
幡多郡(はたぐん)というところに住んでいる。
高知県といえば、長宗我部元親。
この人も秦河勝公の末裔だそうだ。

わたしのご先祖様は讃岐の十河氏。
戦国時代、十河軍は長宗我部軍と最後まで戦ったのだが
粘りも虚しく十河城は長宗我部軍に明け渡されたのだという。

掘れば掘るほど、出てくる秦氏。

きっと深いご縁があるのでしょう。
どこまでもお供いたします。
河勝さま。



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yuka あなたの愛をしかと受け止めます!お気持ちありがとうございます💕