崇徳天皇に逢はむとぞ思ふ⑦
白峯寺から2か月後の2024年1月
【天皇寺】と【白峰宮】に行ってきました。
天皇寺と白峰宮は隣接している、
というか同じ敷地内にある感じです。
白峰宮は明治維新以前は【崇徳天皇社】だったそうで
鳥居の額束には【崇徳天皇】と書かれています。
崇徳天皇は讃岐に配流になって3年間は
綾高遠の自邸【雲井御所】に仮住まいをされ
そのあと鼓岡の木の丸殿に移り住まれた、
という説と
この天皇寺があった場所に幽閉されていた、
という説があります。
そして、約6年余り幽閉された後の長寛2年(1164年)旧暦8月26日に崩御。
これも、病死説、自害説、殺害説があります。
ご遺体の処遇について朝廷からの返事を待つ間、二十一日間と言われていますが
夏の暑い時期にご遺体が傷まないようにと
【八十場の霊泉】というところにご遺体が保存され、まるで生きているかのようだったと言います。
その霊泉に浸されている間、御所があった辺りから夜な夜な神光が放たれ森が光っていたそうです。
そしてその後、この場所が祀られるようになったとか。
【八十場の霊泉】には、古代に讃留霊王(ヤマトタケルの第5皇子タケカイコオウ、またはヤマトタケル、またはヤマトタケルの異母兄神櫛王)の伝説があります。
先日購入した
【四国新聞社編讃岐人物風景1 古代の名僧と宰相】
に讃留霊王のことも載っていましたのでご紹介します。
瀬戸内海に出現した悪魚(海賊とも言われている)退治に千人余りの軍兵を率いて海に出た讃留霊王。
軍船もろとも飲み込まれながらも、腹を中から引き裂いて悪魚を退治しましたが、毒気にあてられふらふらになって福江の浜に上陸。
そのとき神童が壺に霊水を持って現れ王と八百人の兵士たちに捧げたところたちまち回復したとか。
(二百人ほど亡くなっているということですね…)
この水は【八百蘇場(やほそば)の水】と言われ、今でも白峰宮の近くに湧き出ているそうです。
讃留霊王という名前は、讃岐に留まった霊王という意味のようで
城山(きやま)に留まり【城山長者】と呼ばれたそうです。
この悪魚退治の日が五月五日菖蒲(しょうぶ=勝負)の節句というのも面白いです。
そしてここにもう一つ、興味深いことが書いてありました。
高松市錦町の真言宗の古刹弘憲寺に
【讃留王神霊】の掛け軸が寺宝として保存されているそうで
同寺十六代住職によると
「綾氏祖となった讃留霊王は同氏の守り神でその昔、島田寺(現在の綾歌郡飯山町近く)の本尊だったが、その後廃寺となった折、同寺の寺宝がすべて弘憲寺へ移された」
のだそう。
讃留霊王は、綾氏の祖…
配流となった崇徳天皇を讃岐でお世話したのが綾高遠で
その娘、綾の局は崇徳天皇の御子をお二人産んでおられます。
綾氏ですよね。
八十場の霊泉が繋ぐ縁。
そして、わたしの父は綾歌郡で生まれました。
十河氏の先祖を遡ると、景行天皇の御子、神櫛王に行き当たります。
ヤマトタケルの異母兄弟でもあり、
タケカイコオウとは叔父と甥の間柄。
ひょっとしたら、神櫛王自身が讃留霊王だったのかも知れません。
わたしが崇徳天皇に惹かれたのも
偶然ではなかったのかも知れませんね。
ちなみにですが、わたしの妹は名前に【綾】の一文字をいただいています。






ここで不思議に思ったのが
この三つ重なった鳥居。
このときは珍しいなぁと眺めていましたが
ここにまた謎があり
今になって答えがわかってきたような気がしています。
それは次の⑧にて。
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