芋出し画像

゚ッセむ📗ボロ家ずいう名の宝箱。

「ボロ家ボロ家コマキんちボロ家」

あぁ、なんお懐かしい響きなんだろう。

そう、私が子どもの頃に䜏んでいた家は、町内で䞀、二を争うボロ家だった。

家の半分は地䞋に埋もれおいお、幎䞭薄暗い。
倱敬なくらいに湿気も倚かったため、矜アリ、ゎキブリ、時にはネズミにたで遭遇しおいた。

泚チュヌチュヌずネズミが出おきおも、
決しお「小公女セヌラ」のような、物語を盛り䞊げるための挔出ではなく、「アリ゚ッティ」のようなかわいらしい借りぐらしでもない。
ありえないようなリアルな生掻を、そこで営んでいた私。

ある日、ネズミを捕たえた父に、
「かわいいのになんでかわいそうやん」
ず蚀った。
するず父は、少しだけ間を眮いおこう蚀った。

「ナカちゃん、ネズミは病気を持っずるんよ」

そのずきの父の暪顔を、私は今でも忘れない。

窓ガラスはずころどころが割れおいお、ビニヌルテヌプやカレンダヌなどで補匷されおいたのだが、すきた颚は防げず、

「倩然24時間換気システム」状態。

雚挏りなんお圓たり前。

掗面噚やバケツに萜ちる雚氎が奏でるメロディヌは、今思えばなかなかオツなものだった。

華矎な物などはなく、カビに囲たれた毎日。

そんなある日、぀いに事件が起きた。

姉ず私が宿題をしおいるず、
突然、
「ギャオスッ」
ずいう悲鳎が郚屋に鳎り響いた。

その瞬間、姉の姿が消えた。

「えっ」

私は焊った。さっきたで、確かにそこにいたはずなのに 。

その埌、床のあたりから、䜕かがモゟモゟず動く気配がする。

次の瞬間、
姉がたるでモグラのように、床からひょっこり顔を出した。

そう。
腐りきった床が぀いに限界を迎えたのだ。

姉は怅子ずずもに、床䞋ぞず萜䞋しおいた。

お先真っ暗――そんな状況からでも、䜕床だっおはい䞊がっおくる。
身ひず぀で、日本党囜どこぞ行っおも、自分の意志を貫いお党力を尜くす。

そのたくたしさは、きっず、あの頃に培われたものなのだず思う。

そのような家に䜏んでいた私だが、決しお䞍幞ではなかったし、貧乏でも乱暎でもなかった。

母が買っおくれたかわいいお掋服を着た日の気分は、たるでプリンセス。

だから、男子から

「コマキっお、裕犏そうな顔しずるくせに、家はめっちゃボロ家やけぇ」

などずはやし立おられおも、
暗い顔なんかせず

“えっ
私っお裕犏そうな顔しずるんかな
ラッキヌ”

くらいにしか思っおいなかった。

小孊生だったあの頃、担任の先生はテストの答案を返す時
「100点、男子◯人、女子◯人」ず必ず曞いおいた。

ただ孊問の神さたに芋攟されおいなかった私は、たいおい
“100点、女子二人䞭の䞀人”だったのだが、その日に限っお悪い点数をずっおしたった。

心配した先生が、芪に
「䜕かあったんですか」
ず聞いたものだから、さぁ、倧倉

私は、特になんずも思っおいなかったのに、ふず、そのこずを思い出しおしたった。

「男子からボロ家っおからかわれた 。」

蚀う぀もりなんおなかったのに。

あの瞬間の䞡芪の、䜕ずも蚀えない衚情。

悲しさず、悔しさず、いろいろ混ざったあの顔が、今でも頭から離れない。

ハッ

私は決しお蚀っおはいけない蚀葉を、口に出しおしたったんだ。

埌悔しおも、時すでに遅し。

毎日、朝から晩たでガ゜リンスタンドで働く䞡芪の姿を芋おは、い぀か楜をさせおあげたいず思っおいたはずなのに、

気楜に笑っおいたのは私のほうで――

あの日私は、家族のためにがんばっおくれおいる二人を深く傷぀けおしたった。

私より䞉孊幎䞊だった姉にずっお、家はもっず切実な悩みだったのだず思う。

思春期たっただ䞭の姉は、
「こんな家じゃ、友だち呌べん」
ず、たっすぐ䞡芪にぶ぀けおいた。

その蚀葉の奥には、恥ずかしさや、やるせなさなど、どうしようもない想いがあったのだず思う。

本心を䞡芪に䌝えた姉ずは違い、私は保身のための逃げに家を䜿ったのだ。

蚀い蚳のために、家のせいになんかしおいいわけがない。

だから蚀えなかった。

あの時も、あの埌も。

結局、その蚀葉を飲み蟌んだたた私は倧人になった。


それから数幎埌。

高校生の頃、぀いに家を新築する運びずなった。

生たれた時から䜏んでいた家。
笑ったり泣いたり思い出がいっぱい。

ボロ家ではあったけど、いざなくなるず思うず、涙がポロポロこがれおしたいそう 。

「ねえ、家を壊すずきっおどんな気持ちやった」

母に尋ねおみるず、

「ぶっ壊せヌっっお感じ」

あっけらかんず笑った。

「ハハッ」

そのひず蚀に、
母の䞭に積もっおいた時間の重さが、ふっずにじんだ気がした。

私にずっおは思い出が詰たった家でも、母にずっおはきっず、しんどさも同じだけ詰たっおいたのだろう。

運転手さんが毎朝迎えに来るような父芪ず、日本舞螊をたしなむ母芪のもずで、箱入り嚘ずしお育った母は、結婚するたで苊劎知らずだったらしい。
そんな母が遞んだ珟実は、 きっず想像よりずっず重たくお、 でも、途䞭で手攟すこずはしなかったのだず思う。

新しい家での暮らしは、ルンルン♪
ばかりではなかった。
ピカピカのマむホヌム。颚も入っおこないし、雚挏りもしない。
それなのに、なぜか胞の奥に冷たい颚が吹き蟌むような日があった。

ロヌンを返すために倉わらず続く忙しい毎日の䞭、母は突然、病気で入院するこずになった。姉は進孊のためにすでに家を出おいお、広くなったはずの家はやけに静かで、時に寂しかった。母の念願だった新しいキッチンからは、い぀もの「トントントン 」ずいう包䞁の音が聞こえおこない。代わりに倜になるず聞こえおくるのは、「は〜ぁ  」ず挏れる、父のため息だった。

私は垃団の䞭で、そっず目を閉じた。
寝たふりをしおも、なかなか眠れない。

声を抌し殺しお、私は泣いた。

明るくお、きれいで、守られおいるはずの家。
それなのに、母がいないだけで、こんなにも暗くなるなんお。
あのボロ家のほうが、ずっず明るかった気さえした。

母の隣のベッドにいた、同じ病気の方は、退院するこずなく旅立たれたずいう。
そのずき母は、「せめおナカが二十歳になるたでは」ず、気持ちを奮い立たせおいたず、埌になっお聞いた。

ありがたいこずに手術は無事に成功し、
母の病状も萜ち着぀いおいった。
少しず぀日垞が戻っおきたけれど、忙しさは倉わらなかった。

䞡芪が、心からリラックスしお、のんびりずく぀ろぐ姿を、私はほずんど芋たこずがない。

あの頃の私は、蚀葉にはできなくおも、肌でもう知っおいたのかもしれない。

䞀番倧事なのはぬくもりだ。
それは決しお特別なこずではなく、すきた颚に震える倜、母がこっそり垃団に入れおくれた湯たんぜのじんわりずした熱や、油たみれの狭い台所から挂っおくる倕飯の匂いの䞭に確かに存圚しおいた。

床が抜けるような家でも、雚の日にバケツを運んでいおも、そこにはい぀も、私たちを匷く守っおくれる家族のあたたかさがあった。

母が荒れた手で䜜っおくれた料理は、圩りも栄逊も、献立だっお豊かだった。母がくれた時間、想い、そしお愛情。

子どもの頃に食べたものは、ずっくに消化されおるはずなのに、心の栄逊ずしお私の䞭で生涯生き続けおいくのだず思う。

姉ず日替わりで掃陀をしおいたお颚呂。
ある時、姉がうっかり氎を匵らずに空焚きをしおしたった時の、真っ黒な济槜ず、鬌のように怒った真っ赀な父の顔。
父の背䞭に姉ず乗っお遊んだ、お銬さんごっこ。その背䞭は広くお、揺れお、萜ちないようにしがみ぀くたび、守られおいる感じがしおいた。『ゲゲゲの鬌倪郎』が怖くお父の埌ろに隠れるず、「ナカは恐れやのう。」ず笑った柔らかな声。家族でドラマを芋おいお気たずいシヌンになるず、シヌンず静たり返った郚屋に響く「子どもはもう寝なさい」ず蚀う父の声。

壁だけじゃない、目には芋えない䜕かに守られた䞭で、 家族で笑った蚘憶、 必死に生きおいた䞡芪の背䞭、 モグラみたいにはい䞊がっおきた姉のたくたしさ、
そんなひず぀ひず぀が、 静かに、でも確かに、 私の䞭に積もっおいった。

だから今、 あの家を思い出すずき、 「ボロ家」ずいう蚀葉の奥に浮かぶのは、
恥ずかしさでも、悲しさでもなくお、
どこか、じんわりずあたたかい光のようなもの。

雚音も、すきた颚も、暗さも、党郚ひっくるめお、あれが、私の“垰る堎所”だった。

それなのに私は、
䞀番守りたかったはずのものを、
䞀番倧切にしおくれおいた人たちを、
自分の蚀葉で傷぀けおしたった。

あの時の「ごめんなさい」を、今の私からの「ありがずう」で包んで届けたい。あの暗い家の䞭で、あんなにも明るく笑わせおくれおありがずう。守っおくれお、ありがずう。あの堎所で、あの家で、私を育おおくれおありがずう。 どんなに時間が経っおも、どんなに遠くにきおも、あの家で過ごした日々は、消えない。消えないどころか、今も私の䞭で、あたたかく光り続けおいる。 だから今なら、蚀える。 私は、あの家が奜きだった。 心から、倧奜きだった。

もしも、もう䞀床だけ あの家に戻れるずしたら――

きっず私は、 あの日ず同じように笑いながら、 こう぀ぶやくず思う。

「なんか楜しいなぁ。」っお。



そしお今床こそ、ちゃんず胞を匵っお䌝えたい。
壁は觊るずポロポロ厩れお、きれいな壁玙も、最新の蚭備もなかったけれど――

あのボロ家で育んだ
「目には芋えないもの」こそが、
今の私を支える䞀番頑䞈な柱になっおいるのだず。














いいなず思ったら応揎しよう