✨【掌編】いつもの風景
病室の白い天井を見上げながら、私はスマートフォンを指でなぞっていた。
窓の外の空も、季節の匂いもここでは何も感じない。
面会は禁止。家族に会えない日が続いた。
写真フォルダを開くと、そこには特別な写真ばかりが並んでいる。
旅行の景色、レストランの料理、乾杯のグラス。
普段から写真を撮る習慣がなく、滅多にいかない旅行や滅多に食べない料理、いわゆる特別な日の断片ばかり記録していたのだ。
家族の写真や動画はもっぱら夫の担当だった。
私はカメラが苦手だったし、
「肉眼で見て記憶に焼き付けたいの」
少し気取った理由を並べて写真や動画を撮らなかった。
今になって気づく。
画面に並ぶその特別な写真たちは、どれも不思議なくらい何も感じなかった。胸が少しも動かず、むしろ寂しさがじわりと広がった。
写真を閉じ、代わりにLINEを開く。
子どもたちからの短いメッセージ。
「おはよう」
「今、宿題中」
「ママ、早く帰ってきてね」
指が自然と動画通話を押していた。
画面越しに映るのは、ねぐせのついた子供たち。
洗濯物が干しっぱなしのリビング、湯気の立つ朝ごはん。
それが、たまらなく愛しかった。
画面越しに話す夫の顔さえ、こんなに整っていたのかと思う。
寂しくなるたび、LINEの着信音を待った。
ある日、夫が子どもたちの動画を送ってきた。
画面の中では、兄弟がズボンを下げて、カメラに向かってふざけた顔でおしりを揺らしていた。
「ママーーーー!!」
変なポーズをとって、声を揃えて笑っている。
思わず声が漏れた。
「ばかだなあ」
こわばっていた胸のどこかが、ゆるりとほどけた。
つーんとこめかみが痛くなり、ぼやけた画面を何度も何度も再生した。
「ままー--!!」げたげたと笑う声を耳に刻む。
特別な風景も、高級な食事も、
このいつもの風景には敵わない。
アルバムには残さない、なんでもない日常がこんなにも愛しく、
胸を焦がす風景だったとは。
こぼしたケチャップの跡
流しっぱなしのテレビ
ソファーで眠る犬
片付かない勉強机
私は今日もまた、「いつもの景色」を待っている。

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