✨【掌編小説】2月29日
2月28日
なんとか、今日が終わった。山本はレモンサワーをベッドサイドに置いて、くたくたの身体をベッドに乗せた。
明日から3月。年度末の追い込みと緊張は入社10年目でも変わらない。会計処理や顧客への報告書、申請も承認もやるべきことは全部やった。
特に今年の年度末は特別だ。明日から会社は、新体制になる。
外国のファンドに買収され、会社の形態そのものが変わるのだ。規定も、人事も、概念も新しく生まれ変わる。
明日は明日で大変になるだろう。アタマがくらくらしてきた。山本はそのまますうっと眠りに落ちた。
リリリリリリリリリリ
充電し忘れた携帯が忠実に仕事をする。
山本は片目で携帯の時計を見る。
7:00
いつもの起きる時間だ。
開けっ放しのカーテンから薄く白い光が入っている。
山本はもう一度鳴ろうとしているアラームを切ってのらりと起き上がった。ん?なんか違和感。なんだ?
もう一度携帯の画面を見る。
7:02
時計の下の日付の表示。。。
2/29?
今年はうるう年ではない。2月は28日までのはず。。
携帯がバグってるのか。
デスクのカレンダーを見ると最後の欄に29とある。
訳が分からずいつものテレビ番組をつける。
「2月29日金曜日の天気は・・・・」
どういうことだ?昨日年度末であんなに仕事をしていたのに。
29日って。。もう一日あったのか?
会社全体で勘違いなんてことないだろう?
山本は反射的に身支度をして外に出た。
いつもと変わらない道、駅も、行きかう人も。でもなんだこの違和感は。
歩きながらゆれる携帯画面を見る。やはり2月29日と表示されている。
会社のビルの前に来るといつも出店しているキッチンカーがあった。
コーヒーがうまいので朝はたまに購入している。
いつもの店主がいたので山本は声をかけてみた。
「今日って、何日でしたっけ?」
「えー?29日ですよ。2月29日。」
店主はコーヒーの湯気に包まれている。
「今年29日ありましたっけ?」
「今日は2月29日ですよ。」
店主はそう言ってコーヒーを差し出した。
コーヒーを受け取って山本はビルの中に入った。受付に人はいない。
スキャンをして中に入る。
山本はエレベーターに乗り込んだ。6階を押す。すーっと上がっていくが、不思議とどこの階にも止まらずドアが開いた。1台しかないのでいつもなら必ず誰かが途中階で乗ってくるのに。
フロアに明かりはついていた。
しかし、オフィスに人がいなかった。
デスク周りは片付いているわけでもなく、PCも電源がついている。
ただ、人がいないのだ。
壁の時計を見る。
8:45
いつもならもうみんなオフィスにいる。
時間がずれたのかな。俺だけ知らない?
山本は自分のデスクの椅子に座り、青白く光るPCを見る。
ログイン画面になっている。いつものデスクトップだ。
カレンダーを開くとやはり2月29日(金)とあって、スケジュール欄はぽっかりと空いている。昨日までのスケジュールは全て終わっていて、新体制の3月1日からの予定がずらりと並んでいる。
今日、、、29日はタスクも会議も何もない。
メールボックスを開く。山のような未読メールもなく、送信履歴は昨日で途切れている。つまり、今日は何もない日ということか。
立ち上がり、会議室のドアを開く。ホワイトボードは昨日の会議のポストイットが貼ってあるままだ。しかし人はいない。だがオフィスは完全に止まっているわけではないのだ。
どういうことだ??
携帯のグループChatを開く。
おはようございます。みんなどこにいますか?
送信できたものの誰も既読をつけない。
出社時間はとっくに過ぎている。そう、今日は休みなのだ。
日曜日?いや、とにかく休みなんだ。
エレベーターのボタンを押して途中階も押してみた。
やはり、このビルの中に人はいない。
ロビーにも誰もいない。受付のデスクも誰も座っていない。
外に出ると、街は普段通りに動いていた。
キッチンカーや、スーツ姿で早歩きで行きかう人々も。
山本は目の前のカフェに入った。
コーヒーを注文する。
携帯をひらく。誰も既読にならない。
SNSをみてもやはり今日は2月29日のようだ。
あるはずのない1日。
会社の部下や同僚たちは一体どこにいるのか。
コーヒーは美味かった。窓から景色を見る。
今日1日どう過ごそうか山本はぼうっとしていた。
「休めってことだよな。。。」
そうだ、今日一日何もすることはない。
毎日仕事に追われて休日も仕事ばかりだったから、急な空白にどうしたらいいかわかない。
このまま家に帰ろうか
流行りの映画を観に行こうか
本を買いにいこうか
ドライブしようか
実家の犬に会いに行こうか
山本はたちあがり、店を出た。
いろんなシーンが頭をめぐる。
見上げると、高いビル群が山本をのぞき込む。
その向こうに真っ青な空があった。
いい天気なんだな。
山本は少し頷いて、緩やかに歩き出した。

翌朝、山本はオフィスへ足を踏み入れた。
いつもと変わらないPCの機動音、コーヒーの香り。
早めに出たのに、みんなもう出勤している。
山本はとてもすっきりしていた。
なんだか新しい気分だ。
入口付近にあるデスクに、2年後輩の澤田がいる。
いつもギリギリに出勤して、汗だくでシレっと席に着く。
今朝は珍しく、椅子に寄りかかって悠長にコーヒーを飲んでいる。
「あ、山本さん、おはようございます!」
なんだかリラックスした表情だ。
「早いな、珍しい。」
「ええ、なんかスッキリ目が覚めました、今日。なんか俺、余裕ですよ。」
「山本君、おはよう。」
後ろから大きな声がした。
いつも仏頂面で愚痴ばかり言ってくる赤松さんは山本の苦手なタイプだ。
今日は信じられない三日月目で挨拶してきた。
眉間に深く刻まれた縦のシワは変わらないが表情は晴れやかだ。
「今日から新体制。よろしく頼むよ。」
肩をポンと叩かれ、山本は苦笑いした。
デスクについて周りを見渡す。
キーボードをたたく音も
会話も表情もみんななんだかゆったりしていた。
オフィス全体が深呼吸しているみたいだ。
いつものオフィスがいつもと違う。
昨日何してた?不思議と誰も口にしなかった。
山本も、それを喉の奥に閉じ込めながら席に着いた。
あるはずのなかった1日はきっとみんなにもあったのだ。
コーヒーを置いて、PCの電源を立ち上げる。
カレンダーは3月1日。
山本はにやりと頷いて、キーボードを打った。

いいなと思ったら応援しよう!
🌸サポートいただけたらとてつもなくうれしいです。
頂いたサポートでたくさんたくさん記事を書いていきます。