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夜を纏う

 ょっと疲れるとすぐに何にも浮かばなくなるから書けない気分を吹っ飛ばすいちばん手っ取り早い方法としてまず一行を書きつけている。何となく書けないなあとかついつい思っちゃうからその通りになるわけだ。そんなら書きつけてしまえばいい。それが書くのに値するかどうかは一旦さておいて、頭の中では常に何かくだらないこともそうでないことも考えているはずだからそれを文字に起こせば自ずと文章は生まれるはずであろう。難しく考える余裕のない時にまで難しく考えようとすると結局は手が止まる。行き詰まった時こそ行動を起こすチャンスなのだ。知らんけど
 夜が早くなり秋虫の声が響き出すとワケもなくしんみりとした気分になってしまうのも事実だ。救難信号とまで言わなくとも、心も体もいくらか休みたがっている。好きなことに好きなように没頭する時間は大事なのだが、一日の疲れが保たれたままの余暇は惰性で浪費されてしまう場合の方が多い。そこに生産性は皆無で、今その無気力な悦楽に手を伸ばしてしまえばきっと後悔がつのるだろう。目標が遠ざかることはないにしても1㍉も近づかない。「書きたいから書いている」と「書かなければならないから書いている」は両立するのだ。

 げ出したものをもう一度拾えるようになるまでには結構な時間がかかる。いくつかの体験を伴った話ながら「人によるやろ」とは言わないでくれたまえ身もフタもないし。誰もがやる気スイッチのオンオフを瞬時に切り替えられるとも限らないし、続けられるンなら最初から続けといた方が良い。目指すものがあるならなおさら――ただそれが強迫観念とか義務感に変わってしまったら一旦離れるべき時だ。「楽しんで」続けられるかどうかはひとつの判断基準としてわかりやすい。半分くらい意地と気合いで出来てる今日の記事とてルンルン気分で書いてるわけではないにしろ、苦行に感じてるわけではないからまだまだやっていける。しかし残念ながら面白いかどうかとはまたちょっと別の話である。そんな時は心のコウメ太夫が叫ぶ。チクショー
 マァこうして自己の存在を刻んでいけるだけでも僥倖じゃないか。もしかして30年後とか50年後にまでなったらこの記事が保存されたサーバーも無くなってるかもしれないが、今日たまたまコレを読んだアナタのハートには刻まれたかもしれない。そんな風に考えてみたら何書いたって楽しいものさ。悪いね前述したとおり、夜が長い日は仄かに寂しいんだ。人ひとりの自分語りにほんのひととき付き合ってくれたなら、有難い話さね。

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神月裕 読んでいただきありがとうございました。よろしければサポートお願いいたします。よりよい作品づくりと情報発信にむけてがんばります。