三月十一日の記憶
数日前まで吹き続けて気温を押し下げていた北風はひとまず落ち着いて、今日はだいぶ暖かい。朝方には曇っていた空も、時間が経つにつれて雲が薄まったおかげでいくらか明るい。人々が帰宅の途につき始まるまでの僅かな間の、静かで穏やかなひとときを過ごしている。窓を開けておけば時おり鳥の声がして、それに耳を傾けながら空を思う自分がいる。
普段使いの椅子に腰かけてキーボードを打つ。パソコン画面の白いエディタに文字が整然と並んでいく様はいつ眺めても安らぐもの――少なくとも、白紙のままの原稿よりは。冬のままの格好に多少の暑さを覚えるなら、たまにはアイスコーヒーもいい。香りは弱いけれども清涼感があって、何より季節感が変わる。暖を取りながらでも、そろそろ涼を求めたっていいだろう。もう春なのだから。
屋外スピーカーから、夕方五時を告げるメロディが今日も変わらず流れ出す。なぜか時々鳴らない日もあるものの、特段の故障などではないようだ。帰宅の合図には丁度いい時刻、近くの公園で子供でも遊んでいれば賑やかなものなのだけれど、誰もいなさそうなのは今日が平日の所為もあろう。子供に限らず、近くに歩いている人の姿はない。夕食前のいくばくかの時間を、それぞれ思い思いに過ごしているのだろうか。いまの私たちと同じように。
今日もあと数時間もすれば終わる。普段通りの明日が来る、なんて強く信じていなくとも、もしかしたら普段通りではないかもしれない、なんて不穏な疑いを持って眠る人も、そうは居まい。必然が偶然を装ってやってくるように、奇跡は平凡のフリをして辺りに佇んでいる。日常的な日常も、また。
別段、何も起きていないといえばその通りだし、どちらかといえば怠惰な一日にしてしまった。あまりに誰もいなければ寂しさを覚えるくせに、ほど近くで大声で話す赤の他人は正直鬱陶しい。まあ、それも多生の縁というものか。カオスとコスモスの間でゆらめいている者同士、お互いがお互いにとって何かしら、何処かしら必要なのだろう。たとえそこに意味は無くとも、多分。ただ、同じ瞬間を共に生きているだけ。広めに解釈すればね。
毎日そんなことを考える必要なんて勿論ない……でも、時々は思い出してやらないと、見つけられるのを待っているやつらが不貞腐れる。どこにでもありそうな、ここにしかない瞬間をちゃんと大切にしていければ――たまには、わかりやすく味方してくれるんじゃないかな。世界ってやつ。
「おつかれさま。何か飲む?」
「うん、ありがとう」
平和な日々が続けば、それが何よりありがたい。

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