見出し画像

三島から村上へ━━尾辻克彦 『肌ざわり』と赤瀬川原平を読む(1)


尾辻克彦の短編小説「肌ざわり」を読んでいたら、こんな一文があった。

「いや、わざとって……。お父さんはただ坊主頭は鏡張りだという思想を述べただけなの。思想をね」
「あ、思想。思想ね。昔は思想があったって誰かいっていたわよ」
「いまだってあるよ」
「だって昔の方が思想はたくさんあったんでしょ」
「そんな、ジャガ芋みたいにいうなよ」
「だってわかんないもんね、思想なんて。あることは知っていても実感がわかない」

尾辻克彦「肌ざわり」(『肌ざわり』中公文庫版 収録)

引用した部分を読んだ瞬間、思わず「ドキッ」としてしまった。

思想
「昔の方が思想はたくさんあった」
「ジャガ芋みたい」に「たくさんあった」「思想

会話文の中で羅列される「思想」の文字と「昔の方がたくさんあった」けれど「あることは知っていても実感がわかない」「思想」……。

思想」とはなんだろうか?

思想(しそう、英: thought)は、人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。
〈…〉
単なる直観とは区別され、感じた事(テーマ)を基に思索し、直観で得たものを反省的に洗練して言語・言葉としてまとめること。また、まとめたもの。哲学や宗教の一部との区分は曖昧である。

Wikipedia「思想」(2025/8/27 閲覧, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%83%B3 )

一応、もう一つ引いておく。

思想】1.心に思い浮かんだこと。考え。特に、生活の中に生まれ、その生活・行動を支配する、ものの見方。
2.心理・哲学

Oxford Languagesの「思想」の定義(2025/8/27 閲覧)

Wiki と ググって頭に出てきたOxford Languages の定義によれば「思想」とは「単なる直感」とは区別された上で、人間と生活の周囲に醸成する「あるまとまった考え」や「その生活・行動を支配する、ものの見方」のことである。

現代ネット文化で流通する言葉としての「思想」は元来の意味から派生して「思想強め」などのワードと共に、どちらかといえば否定的なニュアンスで使用されることも多い。一概にはいえないが、その場合の感覚としては、押しが強い、自己主張、しつこい、めんどくさい、こわい、むずかしい、空気読まない、などといった多くは忌避感に基くもので、それは自/他を区別するもの(レッテル)だろう。否定的な「思想強め」の価値観や意識の広がりの元では、大文字の「思想」を唱える行為(人物)は「思想強め」と判断されかねない。上記のネット百科全書の定義と照らし合わせるならば、「あるまとまった考え」や「その生活・行動を支配する、ものの見方」をおもてだって言明・表明することが「思想強め」ということになる。

しかし、ここ数年というか数ヶ月単位で、時代の風波も大きく変わったようで、「政治」でも「気候変動問題」でも「フェミニズム」でも「弱者男性論」でも「戦争・紛争」でもよいが、様々なイシューで「思想強め」な価値観の表明や言明は、急速に目立ってきているようにも思える。

それ以前は、どちらかといえば左翼的・リベラル側の政治主張や論調に対して、このワードによるレッテルが貼られがちであったようにみえた。しかし、米国でのトランプ大統領の再任を契機に右側・保守系の論調や主張が増しているようにもみえる。それもいってみれば「思想強め」な状態だろう。

現況においての左/右やリベラル/保守の中でも様々な立場がある訳であるが、レッテル的に単純化した上でのそれらへの「思想強め」的な立場は増大し、あえていわなくてもとなりかねない。もう、時代的にそうなってしまっているのかもしれない。そして、政治的・社会的な問題に首をつっこむ発言をしないことでそれを回避できる時代でももはやない。

拙速かつ単純に結論づけるならば、A.I やアルゴリズム、言語処理、ディープラーニング、などの弾きだす「あるまとまった考え」や「その生活・行動を支配する、ものの見方」を信じ、支持することが現代的な「思想」の持ち方なのである。

左でも右でもその論調や主義主張はデジタル・テクノロジーやネット・アルゴリズムや人工知能の元で恒常的に止揚された上で、持続的にかつ可変的なその時点での「あるまとまった考え」として、人間の間で、というよりはデジタル上で統合され出力される。Wiki がGoogle がChatGPT が弾き出した答えを信じることは、生活の隅々まで浸透していく、もしくはすでにしているだろう。

それは、X でGrok に、このポストに書かれたエビデンスは正しいか? と 訊ねてしまうあなたのことでもある。

ネットの中には「ジャガ芋みたいに」「思想」が無数に転がっている。その一つとしてアルゴリズムやA.I に紐づいたテクノロジーによる「思想」がすでに無数に浸透しつつある。デジタルが生成した「思想」は急速に世界の中で広がりつつあるのだ。

「あることは知っていても実感がわかない」現代の「思想」がこの状態である。

Wiki や Google 検索の提示する「思想」の説明を疑うことなく信じてしまう。ChatGPT やGrok に質問ばかりしているあなたもすでに充分「思想強め」(予備軍)なのである。それこそが21世紀序盤以降の「思想」のあり方なのだ(それがなんとなくでもいやなら今すぐアプリの"A.I に学習させる"項目を"不可"にしてブラウザを閉じよ)。……


冒頭の「肌ざわり」からの引用の後に「思わず「ドキッ」としてしまった」と書いた。この少なからずの驚きはこの文章を書くきっかけとなった。上記では「思想」という単語と現代のデジタル文化をめぐって拙速かつ単純なことを書き連ねてきた。

しかし、「思わず「ドキッ」としてしまった」のには、もう少し違った理由がある。

何故か?

それは三島由紀夫と村上春樹を思い出したからだ。


どういうことか? 以下に続けていく。

「肌ざわり」は、前衛芸術家・赤瀬川原平の名でも知られる(むしろその名の方が今では有名かもしれない)尾辻によって、1979年に発表された短編小説である。本作で中央公論新人賞を受賞し、小説家として大々的にデビューしているので、彼の処女小説ともいえる(その年の芥川賞候補(昭和54年/1979年下期)にもなっている)。

当時の日本の文学の世界(文壇)では少なくない注目を集めた作品だろう。のちに他六篇の連作短編と一冊にまとめられて『肌ざわり』として1980年に出版される。ちなみにその年には『肌ざわり』とは別に「父が消えた」で尾辻は芥川賞(昭和55年/1980年下期)を受賞している。

赤瀬川原平名義での前衛芸術家として、また尾辻名義での芥川賞受賞作家としても高名な人物のデビュー作とくれば、思わず芸術・文学としての実験性を宿した鮮烈かつ衝撃的な作品を想像するが、本作は決してそうではない。むしろ読書の最中の、文から漂う感触(肌ざわり)はそれとは真逆ともいえる。

小説の冒頭では、一人称で、主人公の私(父)が自宅の縁側にしゃがみ込み、空を眺め、空気を吸い、庭の植栽や走るトカゲやモンシロチョウを観察する場面から始まる。

本日は晴天である。カラリと晴れわたっている。空気が透きとおっている。不純物がない。何か不吉な感じである。これは何かが始まる。何か異常なことが。不安である。

尾辻克彦「肌ざわり」

冒頭文からして難しい言い回しなど一切なく、漢字もなるべく平明にして使用しない文章である。「何か不吉」「異常なこと」「不安」などの心境が語られてはいるが、続く天気や庭の観察は、むしろ牧歌的ともいえる描写が続く。

庭の観察ののちに「お父さん、ただいま」と娘(胡桃子、おそらく小学生)が帰ってくる。

父と娘の会話文が続く。傘や蝶、父の書いている随筆や床屋、夕食のトマトシチューのジャガ芋の話など、他愛もないが父と子が仲がよいことがわかる会話が連綿と続く。なにも事件らしきことは起こらないし、ストーリーの進展も特にない、いってみれば「日常系」のような出だしである。

尾辻克彦『肌ざわり』中公文庫の赤瀬川原平による表紙イラスト。
ジャガ芋、トマト、ピーマン、緑豆の間に座る少女。
G.Akas のサインがある。


何か不吉」「異常なこと」「不安」とはまったく真逆な状態である。物語的な展開としては、父娘のとりとめのないが楽しげな会話の妙を中心に進んでいき、最後は床屋に行った父のちょっとした顛末(=肌ざわり)が笑い話(随筆調)的に語られる。「日常系」的な細かい観察描写や会話文は、まさに文章から細やかな肌ざわりや力量を感じる。しかし、ただストーリーを追うだけなら、純文学作品としてはいささか拍子抜けする展開ともいえるだろう。

冒頭の「思想」が多用された引用文は、短編小説「肌ざわり」において登場人物の父と娘のとりとめない会話文の最中にはさみこまれる。小説全般をつらぬく親娘の軽妙ともいえる言葉のキャッチボールに突如はさまれる「思想」という強めの単語。

この牧歌的な「日常系」ともいえる小説に「思想」という言葉は似合わない。

そこには、胡桃子がいうように「だってわかんないもんね、思想なんて。あることは知っていても実感がわかない」と同質の違和感がある。

しかし、冒頭文にあった「何か不吉」「異常なこと」「不安」という意識と、文章に放り込まれた「思想」という言葉は確実に呼応している。……

「引用した部分を読んだ瞬間、思わず「ドキッ」としてしまった」のはこのせいだ。

そして、私は三島由紀夫と村上春樹を思い出した。

作中に突如提示された「思想」という言葉。ここに記述された「思想」とはなんなのだろうか?

この、尾辻によってしかけられた言葉=「思想」は、連作短編集『肌ざわり』を読み進めていくうちに、次第に、かつまざまざと、死者の側から生者の側へ、蛇が喉元に絡みつくように、じわじわと、歴史の記憶の底からよみがえってくることになる。


(本作は連載です。(2)↓へつづく)
https://note.com/yukawashizuka/n/ndf0d4347c8fc?app_launch=false



いいなと思ったら応援しよう!