三島から村上へ━━尾辻克彦 『肌ざわり』と赤瀬川原平を読む(3)「複製技術時代の千円札裁判〈1〉」
連載になります。(2)はこちら。
https://note.com/yukawashizuka/n/ndf0d4347c8fc
・ヴァルター・ベンヤミン『写真小史』、『パサージュ論』を読む
1928年、ベルリンの画廊経営者であったカール・ニーレンドルフは、カール・ブロースフェルト『芸術の原形』の序でこう記す。
写真機の助けを借りて植物の部分を拡大することで、芸術と自然の関係を明るみに出す一冊が、たったいま世に出ることは、決して偶然ではない。しかもこの関係が、これほどたちまち人の心をつかむような直截さで表現されることは、今まで一度もなかった。〈中略〉何百枚もの植物写真において、修整を施すことなく人工の効果をねらうこともなく、たんに数倍拡大することによって、人間精神によって作られた形と、自然に成長した形とのあいだに近い類縁関係があることを証明した。
ブロースフェルトは彫刻家であり、当時国立ベルリン自由芸術・応用芸術合同学校の教授であったが、現在では『芸術の原形』のマクロに拡大された植物の写真によって名を残している。写真集に添えられたニーレンドルフの序文によれば、芸術(創造物)と植物はそもそも「親密な類縁関係」にあり、ブロースフェルトの植物を拡大した写真はそれを証明しているという。また、「映画においてわれわれは、クイックモーションとスローモーションとによって、植物がふくらんだりしぼんだりするさま、呼吸し成長するさまを体験する。顕微鏡は、水滴のなかにある世界体系を見せてくれ、天文台の器械は宇宙のもろもろの無限性を開示」し、「技術こそが、自然に対するわれわれの関係を今日かつて以上に密接なものにしている」と語る。たしかに拡大された植物の像は、柱の様式、トーテムポール、またゴシック様式の飾り、などの人工物の形象や造形に似ている。
この論における(写真)技術の擁護の基調には具体的には明示されてはいないがキリスト教信仰による神による世界の創造や、真・善・美や因果律や制作(ポイエーシス)などの古代ギリシャ哲学による技術/自然の解釈が関わっている。人類が連綿とこれまで生み出してきた創造=芸術の様式の中に、神が作りたもうた世界の一部である植物との一致をみる。そして、当時の隆盛する最新の(自然科学に依拠した)技術こそが自然をより人間と密接にさせる。人間の創造の原理を(写真)技術の中に再度発見する驚き。技術(近代における自然科学)と自然の神を介した合一。写真という技術によって、隠されていた「真」(や「善」や「美」)が突如まさに今ここ=眼前に顕現することへの驚き。写真は今では複製技術の代表ともみられているが、反面その技術には人を畏怖させる魔術や秘技的な一回性の神秘の側面が確実に潜んでいる……。
しかし、このニーレンドルフの神や西洋哲学・芸術概念を元に第二次大戦以前に発表された論は、人間が持つ技術(もしくはハイデガーのいうところの対義的に見出された「テクネー」への問い)が、人類史において歴史的に、いかに自然を収奪・馴致/共同しようとしてきたか? もしくは破壊/創造したか? また制御出来なかったか? また(ナチス等の)時の強権的な政権・国家、思想や政治に結びつき利用されてきたのか? と思考や内省(「気候変動問題」、制御不能な「原発」等)をうながすような現代の感覚や思考の様式からみれば、両者の一致を素朴にそこにみることは、些か楽観的にも思える。
一方で、ニーレンドルフのこのごく短い序文の主張にはどこか看過ごすことが出来ないものがある、と感じられる。
序文において強調的にいわれる「技術」は、対物レンズという光学装置による植物の部分の拡大(マクロ)と結像、また写真技術による像の定着だろう。そしてその像は、「銅板凹版」印刷技術による転写により、紙媒体の写真集となる。そこに彼の序文は添えられている。レンズ・写真機=写真術と印刷術という技術を用いることによって、肉眼では捉えきれていなかった植物の部分が開示・顕現される。神の創った・造った植物の細部は、写真術という技術によって、再度顕現される。それは、人類が今までに連綿と作り出した芸術・創作物と見事に一致している。
この一見不可思議ともみれる一致には、捻れが潜んでいる。再度ここにおいて眼差されるものは、トクサやクサソテツやカエデの枝などの植物ではなく、人間が作った柱や手摺りの紋様だろう。我々は普段から植物など特段の興味でもない限り細部まで眺めることはない。名を知らぬ草花や木々も多い。同様に柱やトーテムポールや建築の装飾の細部に注意することもない。すなわち、ブロースフェルトが植物を拡大した写真を撮ることによって、それら人類の作り出した人工物が、再度人間の前に顕現するのである。
ニーレンドルフは「たんに数倍拡大することによって、人間精神によって作られた形と、自然に成長した形とのあいだに近い類縁関係があることを証明した」と述べている。ここで重要なことは、例に挙げられる人工物=芸術が「人間精神」によって作られた、と指摘されていることだろう。人間によってではなく、人間の「精神」によってそれは作られた。そして、その精神の形象である人工物自体は、当の人間たちには普段は細部までは「見えないもの」であったが、写真機という技術を介して、またそこで浮かび上がった自然の形象を一回迂回しながら、再度私たちに「見える」ようになる。
ブロースフェルトやニーレンドルフと同時代の批評家であったヴァルター・ベンヤミンは、1931年にドイツの週刊新聞『文学世界』紙上に、写真についての評論・批評である『写真小史』を発表した。ベンヤミンの『写真小史』や、それに続く『複製技術時代の芸術作品』(1936)は、写真や映画といった複製技術の出現を通して、従来の芸術を巡る神秘や一回性の付置がどう変化したかを指摘し、その中でも美術史や哲学史においてもかの高名な「アウラ」という概念を提起したことで今日でも有名である。ベンヤミンは『写真小史』の中で、ブロースフェルトの植物写真についてふれている。ベンヤミンのブロースフェルトの写真への解釈は、「アウラ」論の前段階における写真における視覚の「無意識」の指摘において書かれている。
カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって意識が織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである。〈中略〉写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って、それを解明してくれる。こうした視覚における無意識的なものは、写真によってはじめて知られる。それは、衝動における無意識的なものが、精神分析によってはじめて知られるのと同様である。
ここでは「スローモーション」や「拡大」「精神(分析)」といったニーレンドルフも指摘していた用語が頻出している。また、この文章の後にブロースフェルトの写真についての分析が続くので、ベンヤミンがニーレンドルフの序文を意識していることは間違いない。ただ、両者には相違がある。
ベンヤミンはブロースフェルトの植物写真についてふれながら続けてこう書く。
しかしこの世界はいまやカメラによって拡大され、はっきりと表現されうるものとなった。ここから分かるのは、技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていくことである。
ここでは「技術」と「呪術」いう言葉が用いられている。ベンヤミンが暗に議論の叩き台としているであろうニーレンドルフの論調では、同様に「技術」に触れながらも、芸術や人類の生み出す様式が、どこか神の創造(としての植物との合致)に近づく。それに対し、ベンヤミンの論では、「呪術」という言葉の使用の通り、芸術の持つ神秘性を一旦相対化するような眼差しがある。
ただ、ベンヤミンも『写真小史』の中では、写真の持つ「呪術」性や初期写真術において人々が憶える神秘性をただ闇雲に時代遅れだと批判している訳ではない。ニーレンドルフは序の中で「芸術作品は、まさにその一回性によって、人の心を揺さぶる作用を持つ」と記述しているが、芸術作品を被う「一回性」や「いま−ここ」や「呪術」性といった性質は、初期写真術の特徴のひとつであるとともに、ベンヤミンの「アウラ」概念にとっても重要な要素である。
「アウラ」という用語については、ベンヤミンも手を替え品を替えのらりくらりと各論考の中で語っていることもあり、どうにも一言でまとめるのは難しい。折角なのでここで、ベンヤミンの『写真小史』時点における「アウラ」の説明を、おさらいも兼ねて引用してみる。
そもそもアウラとは何か。空間と時間の織りなす不可思議な織物である。すなわち、どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現れているものである。夏の真昼、静かに憩いながら、地平に連なる山なみを、あるいは眺めている者の上に影を投げかけている木の枝を、瞬間あるいは時間がそれらの現れ方にかかわってくるまで、目で追うこと
引用部分だけではかなり分かりずらいかもしれないが、「空間と時間の織りなす不可思議な織物」からは神秘性を、「目で追うこと」からは「視覚性」に関わることを、また「一回的」という言葉からは「一回性」をみることもできそうだ。「写真小史」の後に続いて書かれる『複製技術時代の芸術作品』では台頭する資本主義化のもとでの複製技術への洞察とともに、「礼拝的価値」やその対となる「展示的価値」の側面から「アウラ」論は展開されることになる。
その前段階の『写真小史』の中では、写真の複製技術が芸術作品の持つ「アウラ」を奪う、といった単純で直接的なことは述べられてはいない。初期写真術には当時の絵画に匹敵するかそれ以上の一回性や呪術的なアウラ的な側面はあった。対物レンズの光学的進化(はっきり、明るく、なる)に伴いそれが後退し失われていく過程で、職業的な肖像写真家など、寧ろ積極的に演出・捏造する写真家も多かった。また、レンガー・パッチェの芸術写真(『世界は美しい』)など「写真を流行にゆだねる」「創造的」な「物神」性を纏うような写真も台頭してくる。それらに対置されるのが、パリの街角を写したウジューヌ・アジェやメーヌ・クルルの写真、アウグスト・ザンダーの「観相学的」な人物写真であり、ブロースフェルトの植物写真と並ぶものとされる。これらの写真には「科学的な関心」がある。そして、上記の引用のように「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」(→本論で強調するとすればここが重要。テストに出ますので憶えておきましょう)とベンヤミンはいう。
ここでいわれる「技術」にはブロースフェルトの植物写真に使用された拡大(クローズアップ)や、またストップモーションのような写真機やカメラのテクノロジーの進展が関わってくる。また、その技術の進展に伴って派生してきた、写真における視覚の「無意識」の領域の歴史的な過程への関心が、ベンヤミンの写真論における重要な視点だ。
視覚の「無意識」への関心には、『写真小史』の中で「無意識的なものが、精神分析によってはじめて知られる」というように、ベンヤミンと同時代を生き、ヨーロッパの知へ絶大な影響を与えたジークムント・フロイト(1856-1939)の創始した精神分析学の影響がある。フロイトが提唱した「無意識」は、人間の意識下の自覚できない心の深層の領域であり、そこに抑圧された欲求・願望・記憶は人間の日常の行動や感情に大きな影響を与えているとされる。このような心の二層構造への関心は二十世紀の芸術や表現にも絶大な影響力を持った(例えば、ダダイズムやシュルレアリスムなどの芸術運動、20世紀後半では村上春樹の文学作品における物語構造、宮﨑駿のアニメーションなども入れてもよさそうだ。もっとも村上の場合フロイトというよりかは集合無意識に注目するユング・河合隼雄派であるが)。精神分析は、一般的に精神病患者の治療に用いられる技法=「技術」であり、その過程で患者は意識下に抑圧され忘却していたことを思い出す。この(意識下に)隠されていたものが(意識上に)明るみになる過程を、写真機の「技術」に見出したのが、ベンヤミンによる視覚の「無意識」だ。
ダダイズムやシュルレアリスムの運動や表現にくらべるとベンヤミンの視覚の「無意識」への関心には、クローズアップやストップモーションなど対物レンズの光学的な「科学的な関心」を基調としているためか、どこか乾いた即物的な感覚がある。いみじくもブロースフェルトの植物写真が、人間の「精神」が作り出したけれど日頃は忘れられていた柱や祭具や紋様や形象を思い出させたように、アジェの写真はパリの街角を、ザンダーの人物写真は同時代を生きる人々の姿形を、みるものに思い出させる。そこにあったが忘れられていたもの=「無意識」が顕現する。
これらの写真に今日的な眼からみてのノスタルジーや詩的な面も見出すことも可能ではあるが、あくまでベンヤミンが「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」というように、彼らの写真機は、「呪術」として、ではなく「技術」として、時代の無意識を写し出したといえる。ベンヤミンが関心を抱くのは、写真における「技術」の進展が、文明や社会や芸術やメディアにおいてどのように機能しているのか? ということだ。そこに視覚の「無意識」や「複製技術」「アウラ」が関わってくる。
ベンヤミンが『写真小史』において関心を持っていたのは、写真機を用いることによって神の神秘が現前することではなく、「技術」によって、同時代の社会や人々や都市の様相が再度見出されることだった。これは言いかえれば、20世紀初頭の大衆やその文化への関心ということになる。
『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』の執筆と並行して1927年から1936年にかけて、ベンヤミンは亡命先のパリのパサージュ(アーケイド)などを遊歩しながら、文化的考察や思索を深める。死後『パサージュ論』(1983)にまとめられるノートの断片的記述において、ベンヤミンは、百貨店、商品(物神、モード、流行品)、広告、万国博覧会に注目するなど、優れた大衆文化論者だった。
地獄では鉄格子が━━そのアレゴリーとして━━定着しているのと同様に、パサージュ・ヴィヴィエンヌでは正面入り口の彫像が、商売のアレゴリーを表現するものとして定着している。
シュルレアリスムが生まれたのは、あるパサージュにおいてであった。
シュルレアリスムの父がダダだとすれば、その母はあるパサージュであった。このパサージュと知り合ったときには、ダダはすでに年を取っていた。アラゴンとブルトンがモンパルナスとモンマルトルとに嫌気がさして、友人たちとの会合の場所パサージュ・ド・ロペラのとあるカフェに移したのは、一九一九年も終わりになってからのことであった。
引用した三つの文章は続けて『パサージュ論』に掲載されているが、ベンヤミンはあたかもシュルレアリスムがパサージュ=アーケイドという当時の大衆文化施設から産まれ出た、と強調しているようだ。
また、『パサージュ論』所収のノート「Ⅱ ダゲールあるいはパノラマ」の中では、
パノラマを完全に自然に似せたものにするために、人々は倦むことなく技術的な手管を使った。〈中略〉パノラマに描かれた自然の変化は本物と見まごうばかりとなることが目ざされたが、それによってパノラマは写真を越えて無声映画やトーキー映画の先駆けとなっている。
〈中略〉
このパノラマは、芸術の技術に対する関係の転換を告げるものであり、また同時に、新しい生活感情の表現であった。〈中略〉都市の人間がこのパノラマによって田舎を都市の中に取り込もうとしているのである。都市はパノラマにおいて郊外の田園風景へと拡大する。ダゲール[仏の画家・発明家]はパノラマ画家ブレヴォーの弟子であるが、このブレヴォーの店はパサージュ・デ・パノラマにあった。ブレヴォーとダゲールの使ったパノラマについての描写。ところがダゲールのパノラマは一八三九年に焼失してしまった。この同じ年に彼はダゲレオタイプの写真の発明を発表している。
と述べ、パノラマ画家であったダゲールとパサージュとの関係を結びつけ強調している。ダゲールはダゲレオタイプの発明者なので、実質ここではパノラマ画や写真という技術が、パサージュという大衆文化の「無意識」と連動しているかのように記述されている。ベンヤミンの大衆文化論はパリにおける大衆や街の「無意識」と関わるが、それはパサージュを通して同時代のダダイズムやシュールレアリスムにも流れている。また、1839年におけるダゲレオタイプ写真機の「技術」の発明や社会への進展も同じパースペクティブの連動にある、というのがベンヤミンの認識なのだ。
『複製技術時代の芸術作品』の書き出しがマルクスの資本主義生産様式の話から始まるように、『写真小史』の中では、写真が社会の中で流通する際に「物神化」の道具となることを指摘している(そういった観点からみれば、実に思想が強い文章なのだ)。ブロースフェルトやアジェやザンダーの写真は視覚の「無意識」を気付かせるが、一方で、パッチェの写真のような「創造的」な写真は、「ますます物神になってきた」ものであり、「写真を流行に委ねること」である。この認識は、前述の『パサージュ論』における「Ⅱ ダゲールあるいはパノラマ」の後半から結びにかけても同様に展開される。「写真の方も世紀の中頃から商品経済の輪を大幅に広げ」、「売上高を増やすために、写真はそのつどの流行にのった撮影技術の変化を通じて、その被写体を新しく見せるだが、そうした変化がその後の写真の歴史を決めることになる」のだ。
アジェやザンダーの写真のような、ダダイズムやシュールレアリスム運動などの同時代の波=「無意識」と連動した新しい写真が撮られる一方で、写真の像は資本主義経済化の中で、流行に沿って社会に展開されるようになっていく。それについて『写真小史』では「模像」という言葉が使われている。「事物を自分たちに、いやむしろ大衆に〈より近づけること〉は、現代人の熱烈な傾向であるが、それと並んで、あらゆる状況に含まれる一回的なものを、その状況を複製することを通じて克服するのも、同じく彼らの熱烈な傾向」があり、「模像で所有したいという欲求は、日ごとにあらがいがたく妥当性をもってきつつある」。「大衆」という言葉の通りに、この箇所はベンヤミンの大衆文化論につながる眼差しで書かれた箇所である。また「模像」においては「一時性と反復可能性が同じく密接に結びついている」。複製物としての「模像」を大衆は欲しており、それは何度でも反復できる、ということだ。
アジェのパリの街角の写真は「技術」やモチーフの選択故に「現実からアウラを掻い出す」が、「模像」が大衆の欲望として「物神化」し「反復可能性」のもとに市場に流通し拡散する。それは「アウラ」や「複製技術」論を展開する上で重要な要点となる。
ベンヤミンは「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」と書いた。『写真小史』では、写真の「技術」の展開により、神秘や呪術から離れた都市や人間精神の「無意識」を明るみに再度照らし出すような写真が台頭する一方で、「複製技術」や人々の欲望に基づいた「模像」が大衆文化・消費社会が隆盛する社会において「物神化」をうながすように流通し始めたことが示されていた。
では、大衆の欲望を喚起させるような「模像」には「呪術」的な要素はないのだろうか? 答えはおそらく「ある」であり、ただその社会の中での付置や意味が変化したことを、ベンヤミンは洞察したのだろう。「境界線は時代とともに変わっていく」とはその意味において捉えるべき言葉なのであり、「呪術」や「アウラ」の境界線も時代とともに揺れ動く。ベンヤミンは、当時の大衆社会や消費社会の只中で、そのことに気が付いていたのだ。
・赤瀬川原平《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》を読む
さてさて(ここまでお読みいただきありがとうございます、ここからが本題です)、本論はそもそも尾辻克彦・赤瀬川原平の作品についての論文のはずであった。前回の結びでは、「この連載において初めに試されるのは、彼の作品や表現において潜在している/していない/どちらでもない「思想 thought」や「運動 movement」もしくは「動き move」や「痕跡 trace 」や「傷 scratch 」を辿る・なぞる(トレースする)ということである」と書いた。その言葉通り、以下、赤瀬川原平の作品を具体的に「辿り」「なぞって(トレースして)」いくわけであるが、前段においてしつこい程にベンヤミンの『写真小史』と『パサージュ論』を読んだのは、赤瀬川の作品を辿るためである。
初めにいえることは、赤瀬川の作品は、20世紀前半に登場したダダイズムやシュールレアリスム(具体的な作家の名をあげればマルセル・デュシャン)の影響を強く受けている、ということである。例えば、彼が結成し活動したグループ「ネオ・ダダ・オルガナイザー(ネオ・ダダ)」の反芸術や、参加した読売アンデパンダン展とデュシャンの『泉』の影響関係云々。美術史の中での「運動(movement)」としてみればそれは誰しもが知る常識であろう。また、前述したように、ベンヤミンの視覚の「無意識」論や「複製技術」論や「アウラ」論も西洋において同時代に勃興した精神分析や思想や美術・芸術の潮流や時代精神のひとつであり、赤瀬川の作品もその影響はまのがれない。例えば、赤瀬川の「ハイレッドセンター」での活動(アクション)やハプニングや「考現学」や「路上観察会」、また「トマソン」への興味は、ベンヤミンの大衆文化論やブロースフェルトやアジェの写真を通過した視覚の「無意識」への関心と繋がるだろうことは容易に推察できる。むしろ積極的に強く継承し体現している。しかし、ベンヤミンの思想や思索と赤瀬川の作品の影響関係をただ指摘するにとどまることが、本稿の目的ではない。あくまで、以下において赤瀬川の作品を具体的に「辿り」「なぞる(トレースする)」ための補助線としてそれはあることは明記しておく。
赤瀬川の作品に《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》(1963年、インク、紙、90 x 180 cm)がある。
https://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/genpei_akasegawa/?mode=selected (こちらで作品画像を見ることができます)
まず、タイトルは「復讐」「形態学」「殺す前」「相手」「よく見る」に分けることができる。「復讐」「殺す前」からは不穏な雰囲気を感じる。カッコの中はサブ的なものだと考えられるが、「復讐」は「殺す」に、「形態学」は「よく見る」にそれぞれ対応しているだろう。縮小された画像では判らないが、作品のサイズは縦90cm×横180cmとほぼ一畳の大きさである。二百倍に拡大された当時の聖徳太子柄の千円札がインクによって紙に描かれている。黒や薄い緑、また朱色のインクを用いるなど、縮小された画像で見る限りかなり精巧な模写であると感じられる。本作制作と並行して赤瀬川は《模型千円札》という原版から複数枚を印刷する作品も同時に開始するが、こちらは一枚限りの手書きである。よく見ると、縦に33本、横に15本薄く線が引かれていることがわかる。これは、実際の千円札にも同様の線を引き、ブロックごとに模写したためだ。一つ一つのブロックをルーペで覗き、正確な線や柄の位置や色彩を「辿り」ながら、紙に千円札が拡大模写されていく、人力模写である。
単純にみれば、お札という物体をただ正確に人力模写で二百倍に拡大した物質を芸術作品だと強弁することは、ダダ的な反芸術行為と解釈されるだろう。また身近なモチーフを絵画として改めて鑑賞させる作品は、時代の潮流としてもあり、1962年にアンディ・ウォーホルは《大きいキャンベルスープ缶》という作品で、鉛筆によって60×45cmの紙にキャンベルスープ缶を描いている。ウォーホルの〈キャンベルスープ〉のシリーズは同年に油彩によってキャンバスにも描かれ、これは有名なキャンバスにシルクスクリーンによって印刷するシリーズに繋がる。ウォーホルはその他にも、デルモンテのピーチ缶、ペプシの広告、コーヒーラベル、またマリリン・モンロー、エルヴィス・プレスリーなどの大衆社会におけるスター・有名人など市場やメディアを通じて巷間に出回る既存のイメージを、主に1960年代から1970年代にかけて精力的に次々に、自らのファクトリー(工房、工場)において生産品としてキャンバスに作品化し、美術市場に流通させていく。同時代にロイ・リキテンスタインはコミックからのイメージを借用したが、ウォーホルを嚆矢とするこれらの美術作品の潮流は、ポップ・アートと呼ばれ定着していく。
前述の通り、ベンヤミンは1931年に『写真小史』において、写真のイメージは、複製技術の過程において大衆の欲望や無意識を反映した「模像」として流通し始めることを予見していた。ウォーホルが1960年代に始めた一連のシリーズは「模像」自体を再度美術・芸術作品の側に取り戻す・取り込む運動だといえる。そして、ウォーホルも、赤瀬川同様に、1962年に《ワシントンのポートレイトの1ドル札》において、45×60cmの紙に鉛筆でドル紙幣を拡大模写し、同年に《2ドル札(表裏)》では210×96cmの紙に2ドル札紙幣の面裏を80面シルクスクリーンで印刷した作品を発表している。赤瀬川の千円札の模写・模型のシリーズもこういった西洋文化由来の美術・芸術の潮流の一環に含まれるだろう。
赤瀬川の《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》や《模型千円札》のシリーズは以上にみてきたように同時代の美術の潮流にリンクしていたことは確かだが、その作品にはどこか、ウォーホルが死のイメージをシルクスクリーン化していったのとは別の意味で、不穏さを感じる。それは作品のタイトルだけでなく、内実からしてそう感じる。尾辻克彦『肌ざわり』の言葉でいえば、「何か不吉」「異常なこと」「不安」を感じる。どういうことか?
ウォーホルやリキテンスタインの作品には、ポップ(=ポピュラー、大衆)の名称の通りに、当時のスターが印刷・複製・流通され、人々に所有されるブロマイドのような大衆が求める明るさのようなものがある。それは、ベンヤミンの「模像で所有したいという欲求は、日ごとにあらがいがたく妥当性をもってきつつある」という写真の像の「物神化」への指摘に対応しているだろう。それが行き着く先は、大量生産・大量消費的な商品が無数に備給されるために存在するショッピングモールの店内的な平明な明るさである。また、現代でいうなら明度や彩度をより上げたポケモンカード的な明るさ、言いかえればアニメ的な彩色に行き着くだろう。
当時のポップ・アートは時代精神、大戦後の西側の資本主義社会における大衆の無意識を反映した作品ともいえる。『写真小史』が書かれてから30年弱(そして、ナチから逃れるために亡命しようとしたユダヤ人であるベンヤミンがピレネーで服毒死してから20年と少し。ちなみに赤瀬川が生まれたのはその3年前の1937年である。)、そして大戦が終結してから15年足らずしか経ってはいなかったが、時代が刻々と変化していることを、作品からも感じられる。「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」というベンヤミンの言葉に照らし合わせるなら、対物レンズが明るさを増すに連れて、画面の中から暗さが取り払われていったように、ポップ・アートからは初期写真術が持つ魔術・呪術的な感触は取り払われ、「物神化」をうながす平明な光明が作品を照らしている。「売上高を増やすために、写真はそのつどの流行にのった撮影技術の変化を通じて、その被写体を新しく見せるのだが、そうした変化がその後の写真の歴史を決めることになる」という『写真小史』の言葉通り、「技術と呪術の境界線」は確実にこの時点で変化しているのである。
では、赤瀬川の《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》はどうであろうか?
例えば、赤瀬川に先駆けて制作されたウォーホルのドル札の絵画をみてみると、ワシントンの肖像が彼の元々の職業柄か(ウォーホルは職業イラストレーターだった)、どこか柔らかく親しみやすい表情に、言ってみればポップ化されている。また2ドル札のシルクスクリーンでは同様に肖像のポップ化に加え、ドル札の柄もどこかしらのわざとらしいラフさ=雑さで描かれており、その効果によりイラスト的なポップな感触が増している。一方、赤瀬川の《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》は前述した通り、拡大こそされてはいるが精緻に模写され、縮小した画像では本物と見まごう物である。聖徳太子の肖像画は本物同様に古色蒼然としている。一見似たような作品だが、細部までみれば対照的といってもよい。
赤瀬川の用いた、ルーペで拡大像を辿り、逐一正確に実物と写像を対応させながら写すように描いていく過程は、ブロースフェルトの植物写真における、レンズによるマクロ的拡大を思わせる。貨幣であるお札に我々は普段触れているが、その細部までは普段からまじまじとは眼差さない。赤瀬川の作品においては、精緻に模写された細部がわたしたちに迫ってくる。視覚の「無意識」を作品によって意識させられるのだ。
しかし、ベンヤミンの考察する視覚の「無意識」が大衆社会における「無意識」や「物神化」と連動していたように、ポップ・アートの作品が消費社会を批評するかのように「模像」を作り出していったのに対し、お札を精緻に拡大したり、千円札を「模型」と称して作品化することにはどこか違いがあるように思える。貨幣経済では商品と商品の交換の媒介として貨幣が存在し、紙幣自体は紙切れであるが、価値が与えられている。現代の金融資本社会、キャッシュレス社会において貨幣は、最早データ上での扱いに過ぎないことも多いが、紙幣自体にはそれを求める欲望がある。現代における礼拝と迎合の対象だ。紙幣は一枚一枚固有の記号が振られ、原理的には一枚しか存在しない。故に複製や模造は許されていない。それは、一枚一枚よく見れば個的な違いがあるが、一方で千円札は他の千円札と同じ価値として使用され流通する。紙幣は個的な個性が無視され、その価値は交換時に同一なものとして扱われる。そしてそれは、市場において「物神化」をうながす欲望の媒介物でもある。しかし、赤瀬川の千円札のルーペを通した拡大像の作品は、実はお札は個的な物であると、王様は裸だと批評する子供のように、文字通り白日の元に暴露してしまう。それは本当は君と僕のように一枚一枚違う。我々が「呪術」の元に「無意識」に抑圧していた「真」を暴いてしまう。だから、「形態学」とか冷静に言いながらも「復讐」とか「殺す前」とかのタイトルの通り「不穏」だし「暗い」し「怖い」し「危険」でもあるし、故にこれはポップではない。
反ポップだ。
「技術と呪術の境界線は時代とともに変わっていく」
赤瀬川の1960年代の「複製技術時代」の芸術作品はモチーフがお札ばかりであり、当時の言い方では前衛芸術家の、真の意味でハードコアな作品である。現代人は芸術作品を舐めてやしまいか? それは御前を救うものではない。簡単に社会や消費に取り込まれるものではない。ただその間隙で孤・独な「アウラ」の裡に「復讐」を誓いながら存在する「呪術」でもある。
《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》と同時期に《模型千円札》のシリーズを赤瀬川は次々と展開していく。そして、1965年11月に通貨及証券模造取締法違反に問われて起訴されることとなる。
(4)に続く
https://note.com/yukawashizuka/n/nde1de5d86789?app_launch=false
