「オケバトル!」後半戦 4. 負け組からのしっぺ返し
4. 負け組からのしっぺ返し
この2、3日、白城貴明の心にずっと引っかかっていた事態があった。
繰り返し思い返しては後悔するばかり。
それは合唱団を迎えてチャイコフスキーの合唱バトルを終えた後、一昨日の夕方のこと。
※ ※ ※
次なる課題、エルガーの《威風堂々》演奏の折、Bチームに抜け駆けし、
「中間部のメロディー〈希望と栄光の国〉を、客席の合唱団に本番でいきなり歌ってもらう」
という最高のアイディアを思いつき、合唱団に直談判へと向かっていたら、ロビーラウンジで有出絃人に出くわした。
このバトルで最初のルームメイトで、すぐに親友レベルの存在となりながらも、彼が優秀すぎてBチームに引き抜かれたせいで、今は互いにライバルの立場。合唱団をズル賢く起用するという抜け駆け作戦は、親友であれど秘密にせねばなるまい。
「ついにエルガーですね! 振るんでしょう?」
エルガー狂である自分の熱き想いを汲んで、ライバルながらも心から喜んでくれている絃人くんに対し、
「もちろん。容赦しないからね!」
と、自分は返すのみにしておく。
不敵な笑みを浮かべつつ、がっしりと2人で握手を交わしたのだった。
※ ※ ※
なぜ、言わなかったのか。
その夜、合唱団作戦が功を奏し、我々Aチームはまんまと勝利を収め、そのせいでライバルチームの有出絃人は責任を取り、自ら脱落するに至ってしまう。
翌日、その事実を知り、心の底から悔やむことに。ライバルチームを抜け駆けするズルい手の内を、なぜ親友に明かしてやらなかったのかと。
有出絃人はアイディアを横取りしたり、真似したりするような人間ではない。決して。ただ話すだけで良かった。覚悟したまえと告げるだけで。
負け続けの自分のチームには、もうあとがなく、エルガーを熱愛する者の威信をかけていたとはいえ、なぜ彼に伝えてやらなかったのかと、自分はなんて心の狭い人間なのだと、すっかり自己嫌悪に陥ったのだ。
実際は、当の有出絃人は脱落などどこ吹く風で、ボロディンでは敗者チームのコンマスに堂々と収まって復活してきたわけだから、心配など無用であったものの、やはり《威風堂々》で、自分が卑怯にも親友を裏切った感は拭えない。
彼が今回の挑戦曲を受けて、どう出るか?
この先、何らかの形で音楽活動を共に続けてゆきたい大切な仲間となりゆく存在ながら、この「敗者復活の大バトル」では、どちらかのチーム全体が勝利し、片方全員は脱落することになるのだ。
「敗者チームの鼻を明かしてやる」
「奴らに太刀打ちできるわけがないさ」
最高の選曲と、仲間は浮かれていても、貴明にだけは、ある程度の予測がついていた。
かの絃人くんなら、あらゆる手段を講じて平然と対抗してくるだろう。この選曲が絶対的に我々合同チームに有利と言うわけではない。
あちらに有出絃人が居る限り。
そしてこのエルガーの協奏曲を大切に扱ってくれるに違いない。彼もまた、自分と同じくらいこの曲を愛し、熟知しているのだから。
それに彼は掟破りの天才でもある。何かしらのしっぺ返しを仕掛けてくるだろう。
だが、そうしたことをあえて仲間に言う必要もなかった。敗者チームがどう対抗して来るか? なんてことは案じたって仕方のないこと。それは「彼」次第なのだから。
それが合同チームの敗北につながろうとも、今度こそは真っ向からフェアに勝負したかった。
貴明としては、これで絃人くんへの後ろめたさも少しは晴れるかも知れないと開き直り、エルガーという心から敬愛する作曲家にだけ意識を向け、本気の本気で本番に挑んだのだった。
結果は......? 胸を打つ哀愁の第1楽章から、超絶技巧の第2楽章をいとも鮮やかに弾き終え、絶賛拍手の嵐となる。
さあ、勝ち組AB合同チームから受け取った痛烈な挑戦状。敗者チームがどう対処してくるか?
「大変申し訳ないんですが、我々チェロの中に、今すぐ弾ける人間......、いないんですよ」
エルガーのチェロ協奏曲の、見事すぎる演奏による挑戦を受けた敗者チーム。まずチェロのメンバーが正直に仲間に告げる。
カメラも回ってる前で、よくもそんな無責任で恥ずかしいこと言えたもんですな! なんて責める輩はいなかった。できないものは仕方あるまい。しかし、どうする? こうした話し合いも含め、1時間以内で本番を迎えねばならないのだ。
基本的には誰かが代表で話し合いを仕切るというより、年功序列を気にせず皆が自由に意見していく雰囲気の敗者チームであったが、時間もなく、エルガーとなると話は別。
「分かりました」
やはりそうか、と思いながらも有出絃人があっさり受け入れ、話を進めていく。
「ヴィオラの方々はどうです? 挑戦できそうな可能性を秘めた方は?」
ヴィオラ族も飛び上がって首を横に振るばかり。
「そもそも、ヴィオラでもオーケーなの?」
という管楽器からの声に対し、
「チェロが誰も弾けないなら仕方ないでしょ。ヴィオラ奏者がアレンジして、エルガー本人のお墨付きを得ている、この曲のヴィオラ版も存在してますし、他に道はないので」
説明しつつ、絃人は再度ヴィオラの面々に確認する。
「数少ないヴィオラのレパートリーですし、皆さん勉強は一応なさってるんですよね?」
「譜面をさらいはしても、そもそも自分がソロで演奏するチャンスなんて皆無ですし」
「誰もがモノにできる曲ってわけじゃないですし」
「完全に暗譜するまで取り組むほどは......」
はい。カメラの前でもヤル気ゼロなんですね。それなら、
「じゃあ遠慮なく。自分がヴィオラで弾かせてもらいますよ」
あっさり言い放つ。
いつもヴァイオリンと共にヴィオラも携えているとはいえ、我が身は第一にヴァイオリン奏者。一応、ヴィオラが本業のヴィオラパートの面々を、先ずは立てる礼儀を通しただけの話なのだ。
良かった! 絃人さん、ヴィオラも自信満々で弾けるんですね! やはり流石だわ。と、一同飛び上がって、ひと安心。ほっ。
だったら最初から遠慮せずに言ってよね! なんて言葉は、温厚なヴィオラ族の口からは発せられない。
「指揮は必要ですか?」と問われ、
「振りたい方がいなければ、弾き振りでいけます」
と、絃人は軽く答え、皆も安心する。座って奏でるチェロでは難しかろうが、ヴィオラは立ってソロを奏するスタイルなので、オーケストラへの指示も出しやすかろう。
「コンマスに、多くを頼ることになりますが」
絃人の言葉に、今度はヴァイオリン族が互いに緊迫の目線を交わし合う。自分1人の脱落ならまだしも、チーム全体の命運がかかっているのだ。
既に多くの者が、このバトルでもコンサートマスターを経験済みの強者だ。熱血の山岸よしえ、同じくヤバおばながらカリスマ人気の安部真里亜。実力はあれど気弱な会津夕子は除外として、初期に指揮を務め、信頼も厚いミッキーこと山寺充希もいる。
彼らが自信満々で「お任せを!」と言いたいのか、今回ばかりは勘弁して欲しいのか、ポーカーフェイスで真意は読み取れず。時間がない。
「まず第一条件として」
やむなく陰の支配者、トロンボーン安条弘喜の出番となる。
「この曲の演奏経験があり、熟知している方、あるいは演奏は未経験でも、呼吸のように慣れ親しんでいる方。エルガーという作曲家にかなり詳しくて、皆をリードできるコンマスの器でありながら、ソリスト兼、指揮者としての有出さんと、目線だけで意思疎通ができる方」
それって、第一条件だけじゃないですよね。という突っ込みは控えるとして、最後の言葉に反応した多くの者から客席後方に大人しく座っていた別所正道に、さぁーっと視線が向けられる。
「私、ですか?」
いえいえ、このチームには新参ですし......、なんて言葉はナンセンス。別所正道はコンマス王らしく、覚悟を決めて立ち上がる。
「やりましょう。本番の経験はないですが、愛聴版も幾つかある大好きな曲ですし、スコアレベルで熟知してるので。お任せを!」
「でしたら指揮、されたいですか?」
という絃人の気遣いに別所は、自分は指揮はムリだし、コンマスの方が上手くいくと辞退する。
有出絃人と別所正道が握手を交わし、一同が拍手する中、有出が皆に提案を持ちかける。
「できれば演奏前にナレーション、入れて欲しいんですよね」
ナレーション? いいですね! バトルの差別化もできるし。という賛同を得て、
「エルガーの想いを少しだけ伝えたいんですよ。バトルとか工夫を凝らすとかは関係ナシに。短い原稿、用意しますから」
それからチェロとヴィオラの面々を見渡し、逃げに回った責任とってよねと言わんばかりに少々威圧的に言い渡す。
「皆さん方の中で、どなたか。落ち着いたトーンで、マイク慣れした方」
確かにヴィオラ&チェロ族は、声も低めで穏やかな語り口の傾向にある。
「内山秀幸さん、敗者館でコンシェルジュのアナウンス、いつも落ち着いていながら、良くとおる声だし、最適でない?」
「いや、大人の女性のしっとりした声の方が。江利奈さん、あなたこそ」
さっと身を引き、先輩を立てる内山くん。
大人の女性? 若い男性? 本人どうしでモメ始めたので、絃人は、
「録音でも、マイク使ったぶっつけ本番でも。仲間内で相談しといて下さい。あ、できれば口笛もさらっと」
ええっ!? 口笛〜?
と、驚く一同。
「口笛ときたら、やっぱり管楽器の方がお手のもの? ですかね」
軽く言いながら、仕掛人、有出絃人は例によっての更なる提案を慎重に切り出す。
「実は重大な相談が......。全責任は自分がとるにしても、まずは皆さんが賛成して下されば、の話なんですが」
そんな言いようをしながら、我らの意見はお構いナシで、実は決定してるんだよね。有出さんのことだから。
既に殆どの者が有出絃人とチームを組んだ経験があり、型にはまらない彼の傾向や有無を言わせぬ正しき独裁ぶり知る敗者チーム一同も、提案を聞く前から、はいはい、どうぞ。と、賛成の姿勢を見せる。
そのアイディアが、彼らの想像を遥かに超えた、下手したら全員失格になりかねない掟破りであると知って、皆が卒倒しそうになるのだが。
客席には3名の審査員。その後方に、1時間前に素晴らしい演奏を終え、勝手に勝利を確信しているAB合同チームが気楽な表情で入場してきた。
舞台には勝者から挑戦状を受け取った敗者チームが揃っている。コンマスは大胆にも、今朝になって敗者の仲間入りをしたばかりの別所正道ではないか。うー、むむむ。
しかし指揮台も、チェロ奏者の為の椅子も用意されておらず?
そして「彼」は舞台に乗っていない。
「つまり、やはり彼奴が弾くのか」
「その上、指揮までも1人でこなすと?」
司会の宮永鈴音が現れて、前チームの白城貴明からの要望の際と同じく、有出絃人の指示どおりの言葉を、一句違わずそのまま告げる。
「エルガー作曲、チェロ協奏曲。作者も公認のヴィオラ版による演奏です」
「公認のヴィオラ版があったか!」
「ヤラレタ! 第2楽章の超絶技巧はチェロより弾きやすいでしょうから、楽勝?」
「いや、だったら尚更チェロの方がポイント高いはず」
客席が不穏な空気に包まれる中、当の有出絃人が珍しくヴィオラを携えて舞台に登場。起立した一同と共に客席に挨拶、皆が着席したところで、舞台に哀愁漂う口笛が鳴り渡る。
「誰?」
「どっから?」
「トランペットの上之さん!」
「しいっ!」
第1楽章に現れる 9/8拍子の物哀しいフレーズを、舞台のトランペットの定位置で上之忠司がすまして吹いるところに、女性の声による録音の、優しいアナウンスが被ってくる。
「死の床にあったエドワードは、チェロ協奏曲の懐かしのメロディーを、そっと口笛で友人に聴かせ、微笑んで言いました」
次はエルガーとおぼしき男性の声。
「じきに僕も死んでしまうだろうけど、いつか君が、あのモルヴァーンの丘を歩いている時に、このメロディーがふと聞こえてきても、怖がらなくて良いからね。きっとそれは、僕が歌っているのだから」
本番が始まったものと、最初は誰も思わなかった。
何故ならば曲が違うから。
オーケストラと共にそっと奏でられる、ヴィオラのソロによるアダージョ。それはチェロ協奏曲の第1楽章ではなく、第3楽章であったから。
審査委員長の長岡幹は「何てことを......」とぼやき、隣の青井杏果は溢れる涙を抑えられない。ゲスト審査員の夢乃虹恵も、何が起きているのかと呆気にとられるばかり。
口笛、ナレーションに続く、静かなアダージョ。何て効果的な、ぐさりと胸を打つ演出なんでしょう!
どちらの舞台でも、だから司会は、あえて楽章を言わなかったんだ!
ようやく気づく者も現れ始める。
合同チームの仲間が、白城貴明の様子をそっと見やると、彼はうつむき、肩を震わせて泣いているではないか。期待こそすれど、確信はしていなかった展開なのだろう。美しいアダージョの響きも手伝って、思わずもらい泣きしてしまう面々も。
舞台の有出絃人は、心ここに在らずのよう。指揮をするそぶりは見せず、敬虔な祈りのような、ひたすら穏やかな、息の長いヴィオラのソロに、コンサートマスターの別所正道が率いる弦楽器と、クラリネット、ファゴット、ホルンだけが静かに添えられる。
舞台のオーケストラも、客席の面々も、そして周囲のスタッフ陣も、誰もが心深く感銘を受け、エルガーの魂が漂うイングランド西部の、のどかな丘陵地帯へと優しく誘われる。
幻想的な、夢のような天上のひとときが過ぎ去り、皆の意識が現実世界に引き戻されたのは、第3楽章の音が静かに消え去り、完全な静寂の間を置いた後、ふと有出絃人がヴィオラの調弦を施し始めたから。
第4楽章。オーケストラによる深刻調の短い序奏に導かれ、ヴィオラ・ソロが哀愁感あふれる力強いカデンツァをたっぷり歌い上げ、序奏から続き楽章全体を支配する、歯切れが良くリズミカルながら悲哀に満ちたテーマが、多彩に変化しながら展開されてゆく。
やがて激しき感情の盛り上がりと共に速度が落とされ、チェロパートによる重厚かつ勇ましき咆哮が大地を揺るがすが如くに鳴り渡る。ここはチェロ全員とのユニゾンで完全に一緒の動きとなる。有出はチェロ陣の前に向かい合って立ち、自分の音量はチェロの陰に溶け込ませ、メリハリの大きい動きはしっかり合わせつつ、思い切り生き生きとチェロを誘導する。見た目の迫力や、パフォーマンス感満開の様子は舞台ならでは。
壮大な盛り上がりはオーケストラ全体へと、うねりながら広がり、これ以上ないほどの豊かな響きを舞台にもたらしゆく。激情も音響も最高潮に達したところから、鮮やかなヴィオラのソロを受けて音楽はいったん落ち着きを見せ、第3楽章で見られた内に秘めた情感がとめどもなくあふれていく。
終結部は、第1楽章の冒頭ヴィオラの壮絶な独白が静寂の中に回帰される。そこにオーケストラがこの楽章のテーマを力強く奏で、圧倒的な迫力をもって簡潔に締めくくられる。
バトルや課題の枠など関係なしに、間違いなく称賛に値する舞台であった。審査員の3人が迷わず立ち上がると共に、挑戦者たる客席のAB合同チームも全員が、わあっと叫んで立ち上がり、心からの拍手を送りゆく。
しかし番組の制作総指揮にして審査委員長の長岡幹の立場としては、厳しく対処する必要があった。
同じ曲で優劣を競い合うバトルのはずなのに、事もあろうか違う曲で対抗してくるなんて!
先ずはこうしたトンデモ事態の謎の解明である。鍵を握るは司会兼、バトラーのサポーターとして事情を知り得る宮永鈴音か?
中立な立場であるべき鈴音は、エルガー好きの2人のライバル、合同チームの白城貴明と敗者チームの有出絃人、チェロとヴィオラのソリストの狙い、そして純粋にエルガーの音楽を愛する想いに気づいてしまったが為に、舞台袖で聴きながら感動のあまり不覚にも涙してしまう。ヘアメイク担当にメイクを整えてもらう間に何とか感情をコントロールして、少し遅れながらもプロフェッショナルな態度で下手から晴れやかに登場する。
「合同チームから敗者チームへ。見事なまでにバトンが手渡されたようですね!」
ヘアメイクの女性は、今度は客席の階段を駆け上がり、レギュラー審査員で、同じく相当泣いたであろう青井杏香の元に猛ダッシュで駆けつけるが、元々薄化粧でTV出演時もマスカラすらしていない杏香は、自分は大丈夫だからと、フェイスパウダーを叩いてもらう程度にして、隣のゲスト審査員、夢乃虹恵を気遣うそぶりを見せる。
彼女は派手な舞台メイクながらも、涙は流さない気丈な習性を身につけているので、パンダ目にもなっておらず、落ち着いた貴婦人の威厳を保っている。
「演奏の前、出だしの静かなナレーションと口笛の演出は、非常に効果的でしたね」
長岡委員長が何か怒り出す前に、ゲストの虹恵が素直な感想を述べ始める。
「あそこから一気に、エルガーの魂の世界に否応なしに引きずり込まれてしまいましたわ」
「本当に。心のこもった演出には胸を打たれました」
少し落ち着きを取り戻した青井杏香も言葉を添える。
「演奏会場で配られるプログラムもそうですが、解説という計らいが如何に絶大な効果をもたらすかを、改めて思い知らされました。しかも口笛のメロディー、後半の楽章には出てこないのに、最初の楽章からのリレーのように、しっくりきましたし」
「先ほど司会の鈴音さんも言われたように、たいへんお見事なバトン・リレーでしたわね」
虹恵も手を叩いて称賛するも、審査委員長の立場としては、やはり厳しい態度を貫きたい長岡である。
「宮永くん? 司会の曲目紹介で、あえて楽章を伝えなかったのは、こうしたトンデモない陰謀を、君も把握してたということなのかね?」
長岡が怒りを爆発させるか、単純に演奏そのものを評価する姿勢を見せるかは、進行役の宮永鈴音や、宥め役の青井杏香の手腕にかかっていた。まずは鈴音が正直に対応する。
「あ〜、すみません。私はどちらのチームからも、『原稿どおりに読んで下さい』と言われて、ただそれに従っただけなんです」
舞台リハーサルの様子は見ていたし、とりわけ敗者チームの奏する楽章が合同チームが挑戦してきた楽章と異なると仰天したものの、白城と有出、そんな2人の暗黙の絆に、すっかり心を打たれてしまう。なるほど、自分が楽章を言わなければ、挑戦曲は「エルガーのチェロ協奏曲」という枠内で選択でき、異なる楽章であれどルール違反にはならないし、納得してのアナウンスであった。
「全く何てことしてくれたんだろうね! 司会の言葉を暗号みたく利用して」
長岡が呆れてふんぞり返る。
「仕掛け人は例によって有出くんかね? これじゃあ、バトルになりゃしない!」
そこで杏香が丁寧に事態を解明していく。長岡に対しても、視聴者に対しても。
「仮に敗者チームがヴィオラ・ソロで同じ楽章を、つまり第1と第2楽章を再現したとしても、聴き手は、わあー凄い! 超絶技巧だわっ! て、感激はするでしょう。でも、やっぱりヴィオラより、チェロで弾く方が遥かに難しそうだし、第1楽章の哀愁感だって、チェロの懐の深さには、ヴィオラの音域ではどうしたって敵わない印象だし、結局はチェロで奏した合同チームに軍杯を上げる流れになるのは目に見えてるわけですよ」
司会も質問の形で補足する。
「つまり敗者チームから、白城さんのレベルに匹敵するチェリストのソロが出なかった時点で、負け同然と? 完璧なヴィオラで対抗しても、同じ楽章なら勝ち目はなかった。ということでしょうか?」
「元がチェロの曲ですしね」と杏香。
「あらまあ! それじゃあ異なる楽章が奏されたことで、バトルという枠を超えて、見事な『競演』になったのね?」
杏香に続いて虹恵も自分が理解できるよう状況を整理し、更に杏香が長岡を納得させるべく、話をまとめる。
「こうしたハプニングこそが......。ライバルを打ち負かすなんて戦いの目的でなく、純粋に芸術の世界を描き出そうという姿勢こそが、長年続くこのアート番組において、最も大切な心意気なのではないでしょうか」
「しかしだね」
長岡が首を傾げて気になる問題を追求する。
「敗者さん方のチームでは、チェロのソロを弾ける者はいなかったわけね?」
「いなかったというより、自分がヴィオラで弾きたいと言い出したんです」
チェロ族、ヴィオラ族が逃げに回った流れは無かったことにして、有出絃人が舞台から声を上げて、堂々と罪をかぶる。
「たまたま自分だけがヴィオラでなら、完全に暗譜で弾ける用意ができてたってことだけです。チェロの白城さんがそうであったように」
慌てて顔を見合わせる敗者チームのチェロの面々。我々は自ら「弾けない」宣言をしたというのに、庇ってくれるのか。
だが長岡は容赦しない。
「まあ、君の名演が聴けたんだから良いけどね。どうかね、プロの奏者たる者、突然のハプニングで急きょ本番代役が当日いきなり回ってくる、なんてこともあるんだからね。少なくとも有名曲に関しては、備えよ常に。いつだってベストな演奏を披露できるよう、心がけておくもんだと思うがね。むろん、ピアノみたいに協奏曲のレパートリーが多すぎる楽器は別にしても。オケマイスターを目指してバトルに参加してるなら、一介のトゥッティ族に埋もれてるだけでなく、当然の如くソリストだってこなせる実力も備えててもらわんとね」
一介のトゥッティ族、という言葉にカチンとくる者も多いが、急な代役が当日降り注ぐといったハプニングも稀にあるし、それは実力発揮の大チャンスでもある。オーケストラ相手にソロで協奏曲ができることは、限られた者、選ばれし者の特権で、演奏家にとって最高の体験なのだから。
そろそろ話題の軌道修正をせねばと、司会が審査員に質問を投げかける。
「演奏そのものについての講評は如何でしょうか?」
「あ、その前にお尋ねしたいことが」
と、夢乃虹恵が手を挙げる。
「4楽章に入る前、調弦されましたよね」
有出絃人に質問する。
「たっぷり弾き過ぎて、弦が狂ってしまったということでしたか?」
そうしたことは、まずあり得ない。オーケストラの激しい曲を強く弾き続けたせいで弦が切れる事態はしばしばあるも。
しかも有出絃人は、この楽章で多くのアーティストがよく奏するような、随所にアタックを付けて情感たっぷりに朗々と奏でることはあえてしていない。静かなオーケストラに溶け込んで、ひたすら美しい崇高な世界を静かに描き出していたのだから。
「ああ、ヴィオラ版は基本、チェロの1オクターヴ上になるんですが、第3楽章だけは、元のチェロと同じ音域で弾けるよう、ヴィオラの一番低い弦を『ド』から『シ♭』に調弦してあったんです。それを元のヴィオラの音域に戻したので」
有出の説明に司会が傍で補足する。
「弦楽器に本来設定された音域そのものを調整してしまう、『スコルダトゥーラ』と言う奏法ですね?」
「はい、そうです。このヴィオラ版を書いたライオネル・ターティスが、そう設定して。エルガー本人にも気に入られたそうです」
虹恵は「勉強になりました」と礼を言い、素直な感想も述べていく。
「ともかく、ただの挑戦曲と思いきや、まずはAB合同チームによるチェロ協奏曲の前半、本当に素晴らしく圧巻でした。ソリストの白城貴明さん、エルガーという作曲家も、楽曲自体も、心から愛して理解しておられることが伝わってきて、指揮者の浜野亨さんも、ソリストを信頼して任せながら、良くオーケストラをまとめてらっしゃいました」
青井杏香も同意見。
「白城さん、技術的にも内面的にも、全体の構成も、全てが完璧で、お見事すぎる挑戦演奏でしたね」
そこで客席の白城貴明に拍手が送られる。
「対する敗者チーム、Cチームと言うべきでしょうか? 有出絃人さんが完全なるエルガーの世界を作り上げて下さいました。とりわけ第3楽章。もうこれは、別次元のレベル。そして終楽章では、エルガーの人生の集大成といえるほど完成されてましたね」
青井杏香の感想に、隣の夢乃虹恵も幾度も頷き、
「同じ楽章を選んで第2楽章の超絶技巧をヴィオラで見せつけることもできたでしょうに、あえて落ち着いた夢のような第3楽章や、壮大な、まとめ描くのが難しそうな第4楽章を選ばれた心意気、見事に仕上げた手腕に、心から感動致しました」
今度は舞台の下手に立つ有出絃人に賞賛の拍手。
そこで長岡が渋々口を開く。
「演奏はソリストに負うところが大きかったにせよ、合同チームの指揮、両チームのコンマスも、しっかりソリストを支えつつ仲間をまとめて、確かにバトル史上、どちらのチームも最高レベルの演奏だったし......」
演奏自体に関しては素直な意見である。
「挑戦曲としても、良くぞこんな超絶技巧の難曲を選んだものだと、すっかり感心したんだよね」
そこで杏香がひとこと。
「ただ、ソロにとっては難曲でも、オーケストラとの合わせのタイミングだとか、音量の兼ね合い、オーケストラの技量といった、オケそのものも実力や底力が明確に示される選曲ではなかったかも知れませんね」
杏香のピリっとした意見に長岡も賛同する。
「そう。ただライバルチームに弾けるチェリストがいないと狙って挑戦の目論みが、見え見えだったからね」
「ですがバトルなのでしょう? ライバルができそうにないことを仕掛けてこその、バトル挑戦曲なのでは?」
ゲスト審査員の的を射た視点である。それも踏まえて審査委員長が勝敗の話をまとめていく。
「そうした意味では、先にボロディンの序曲を仕掛けた敗者チームね、人数が半分でスカスカのAチームとBチーム、各々には絶対足りない金管も大活躍する構成できたんだから。そのせいで強力な合同チームが生み出されちゃったんだから、自業自得。そして逆に今回は、元々は勝ち組であったAB合同チームからの攻略不可能ともいえる挑戦状に対して、敗者チームは冒頭の非常に効果的なナレーションに加えて、他の楽章で芸術的に圧倒するという強烈なしっぺ返しを喰らわせたんですから、これでおあいこですかな」
司会が首を傾げ、長岡に尋ねる。
「ええと、1回戦のボロディンは、敗者チーム改め、Cチームの勝利という印象でしたが?」
「そうです。だから合同チームつまりABチームにもチャンスをってことで、挑戦曲、考えてもらったわけでしょ」
「でも、Cチームから強烈なしっぺ返し喰らったってことは、とどのつまり、どちらもCの勝利になるのでは?」
「いや、白城くんの渾身の名演は負けにはならないよ。それに有出くんの『対決よりも、純粋に効果的な形で音楽を届けたい』っていう計らいとヴィオラでの鮮やかな挑戦も勝利に値しよう。だからこの回は引き分けね」
「勝敗はつけられませんね」と杏香。
「そう思います」虹恵もほっとしながら同意見。
「なので、チームバトルの決着は、今のところ、まだ敗者側が有利だけど.......、まあ君たちがそんなに協奏曲やりたいなら」
長岡が低い声で挑戦的に切り出した。
「いいじゃないか。協奏曲。バトルのはずが熱き友情のせいで競演になって、いっこうに勝敗がつかないなら、お次は協奏曲大会と行きますかね」
番組の厳密なスケジュールが計画どおりに行かないことに腹を立てたプロデューサーの逆襲でもある。
協奏曲大会! 意欲よりも不安に包まれる者の方が多そうな、バトラーたちの緊張の面持ち。
「今回の勝手なる企みのせいで勝敗つかずで、この先の日程、詰まってきちゃうけど、そうだな。勝ち残り精鋭部隊のご褒美海外研修の日程を減らすとか、しわ寄せは君らが被ることになるんだからね」
海外ツアーの日程が減れば、予算削減にもなりますね、という余計な言葉を鈴音は呑み込んだ。長岡が調子に乗って続ける。
「ソリストは高得点ね。指揮者を立てれば指揮者も。ああ、コンマスや首席もポイントね。まあ、失敗すれば真っ逆さまだけど。ふっふふ。つまり君たちは既に個人戦に入っとるわけですな。本日の活躍からポイントね」
「挑戦曲とかじゃなくて、それぞれのチームが都合のいい曲を自由に選択するのですか?」
司会の確認に対し、思いつきで答える委員長。
「そうだな。我々が出す課題曲、そして互いに奏し合う挑戦曲。それは2種類になるわけだから、計3曲、全て協奏曲による三つ巴の戦いにしようじゃないか」
そういうの、三つ巴って言いますかね? と思う者もいれど、いちいち突っ込まず。
「まず明日の朝、課題曲を発表する。それを踏まえた選曲で、挑戦曲を午前中いっぱい話し合って決めてくれたまえ。音出ししながらでも構わんよ。12時に挑戦状が交わされることにして、午後がリハーサルで夜には本番ね。挑戦曲の時間制限はナシにするが、常識の範囲で。全楽章は必須。『時間ないからソリストなんてムリ』とは言わせませんよ」
いや、時間ないでしょ。
明朝迄なんて待ってられまい。課題が何であれ、この後すぐに相談に入って、曲決めて、ソリストや指揮者になった者は徹夜で猛練に猛勉か......。
ヤル気よりも気の重くなるバトラーたちであった。
敗者チームもバトル参加が再開されたので、敗者の館での食事当番は当面はなくなり、三度の食事は基本、メインのバトル館のレストランやカフェで各自、自由にとることになった。
「食事のゆとりがあれば、の話だけどね」
「時間に追われる壮絶バトルが、また始まるのか」
とりあえず、敗者チームの話し合いは各自夕食を終えて敗者の館に戻ってから、ホールに集合とのことにして、ぶつくさ文句を言いながらも、一同は楽器を抱えたまま各々お目当てのレストランに、いそいそと足を向ける。
ちょっと贅沢気分で最上階のイタリアンフレンチに行きますかねと、多岐川勉や別所正道らと有出絃人がロビーラウンジに現れたところで、本日の主役、白城貴明に出くわした。
折しも撮影隊が、バトラーらのさり気ない光景を撮るべくカメラを回している中であったが、絃人は仲間に先に行くよう身振りで示し、賞賛の握手を交わすべく、貴明に歩み寄る。
「見事なエルガーでしたね!」
「いや、君らのほうこそ」
カメラの前ではあったが、絃人は思わず口にした。
「勝てたのに」
合同チームと同じく、自分たちも最初の二つの楽章を奏していたら、とりわけ超絶技巧は間違いなくチェロの方が難しさが際立つこともあるし、ヴィオラがどう逆立ちしたって百パーセント合同チームの勝ちになるはずだった。というニュアンスでの発言だ。
そこで貴明はちょっと複雑な表情を見せる。
「君に謝りたいことが」
そして一昨日、《威風堂々》の折に、自分がズルいアイディアを目論みながら、秘密にしたことを悔やんでいたと詫びるのだった。
「そんなこと」
絃人は気にも留めていなかった。
「バトルなんだから。第一あの時、僕に打ち明けてくれたとしても、マネするわけにはいかなかったんだし、結果は同じでしょ」
「いや、卑怯だった」
「やったもん勝ちは、卑怯じゃないでしょ」
だけど、そのせいで最強の有出絃人が脱落に追い込まれた感は拭えない。
「おかげで自己嫌悪に」
絃人の表情から笑みが消えた。
「まさか......」
「だから今回のエルガーこそは、フェアに勝負したかったんだ。エルガーだから、チェロだから、自分が有利にならないよう」
だから「同じ楽章」という縛りでの挑戦を避けたのか! ヴィオラでも対等に戦えるよう。エルガーの為というより、こちらが自由に対抗できるよう。それが彼の仲間を裏切ることになろうとも!
なのに自分は挑戦気分でナレーションや口笛の演出まで入れて、エルガーの為と言いながら、内心は相手を打ち負かそうと張り切っていたのだ。
絃人は混乱しながらも、親友の深い思いやりに、うっと胸が熱くなる。
青鬼の友情を知って泣いた赤鬼の心境だ。
カメラの前というのに、不覚にも流れてしまう涙を止められなかった。
5.「民衆...改め、オケを率いる自由の女神」( 6 / 13 土曜日 深夜0時公開)に続く.....
♪ ♪ ♪ 参考演奏(前回と同じ) ♪ ♪ ♪
Edward Elgar: Cello Concerto // David Cohen, Sir Antonio Pappano & London Symphony Orchestra
♪ 15'00" 〜 第3楽章のアダージョ(今回の演目)
※ コメント欄 関連写真です


