「オケバトル!」後半戦 9. 魂の協奏曲
9. 魂の協奏曲
アルメニアの作曲家でピアニストのアレクサンドル・アルチュニアンは少年時代、夏を過ごしていた田舎の避暑地で、日々トランペットを熱心に練習するモスクワ音楽院の学生、バルタサリアンと知り合った。元々ブラスバンドにも親しんでいたピアノ少年の心に、トランペットの存在も深く入り込んだことだろう。
音楽院を卒業したトランペット青年は、アルチュニアンの暮らす首都エレヴァンの歌劇場のトランペット奏者として着任し、再会した2人は熱き友情を育むことになる。しかし戦争が彼らを引き裂いた。第2次世界大戦だ。
アルチュニアンは戦時下、学業を中断しつつも心にあふれる音楽を書き記していた。勇壮で、アルメニアの民族色豊かなテーマを、バルタサリアンは大そう気に入り、ぜひトランペット協奏曲にして欲しい、するべきだと説得する。アルチュニアンもアドバイスを受け入れテーマを温めてゆくも、ほどなくしてバルタサリアンは兵役に就き、協奏曲の完成を見ることなく戦死してしまう。
アルチュニアンは戦後に作曲したカンタータでソビエト連邦国家賞を受賞するなど、アルメニアとソビエトの作曲家としての道を確実に歩み始める。そして終戦から5年を経て、ようやく亡き親友の願いに応え、トランペット協奏曲を完成させる。民族的ながら叙情的で、躍動感あふれる華麗な作品は圧倒的な人気を得て、瞬く間に世界中のトランペット奏者の重要なレパートリーとなり、アルチュニアンの代表作として世に広く知られていく......。
「実は、若くして亡くなった俺の親父も大好きだった曲で。親父もラッパ吹きでしてね。いつかソリストとしてオーケストラと、この曲を共演するのが夢だったんだ」
敗者の館での舞台リハーサルを終え、仲間からの心からの拍手で称えられたトランペットの上之忠司。
皆に丁寧に礼を述べつつ、アルチュニアンとトランペット協奏曲のエピソードを静かに語り、自分の想いも合わせて伝えていく。
「アルチュニアンの親友で、オーケストラの首席を務めるほど才能にあふれながらも、戦争で若くして命を失ったトランペッター。見事な協奏曲として完成されたこの曲を奏したかったであろう想いと、叶うことのなかった親父の夢が、俺にとっては重なりましてね」
込み上げてくるものがあるように、上之は言葉を詰まらせ、聞いている皆も涙ぐんでしまう。
「アルチュニアンがこの曲を書き上げた年齢と同じ歳の頃、30代で亡くなった親父の歳を、自分は遥かに超えちまったが、親父は親父。永遠に若いままだけどね。この曲を良く聴いてたし、いつも丁寧に練習して、大切に取り組んでたんだ」
少ししんみりしてしまった皆の意識を高めるべく、おしまいは力強い言葉で締めくくる。
「もちろん俺自身の夢でもあったからね。オーケストラとの共演は。だから今回、こんな凄いチャンスを与えてくれたこと、心から感謝してる。ありがとう!」
気の利いた言葉など返せずとも、温かな拍手と涙でうるんだ微笑みで応える敗者チーム一同。
「本当に、最高のオーケストラだよ」
この舞台でこうして集い、演奏するのが、まるで最後であるかのような錯覚に皆がとらわれてしまう。
勝っても負けても、ここ敗者の館で奏せるのは本当に最後なのかも知れない。
舞台袖で、我らが敗者チームによるフルート協奏曲を見守る3人。
元々編成に入っていないトランペットの上之忠司と春日拭子に加え、「コントラバスは4人で程よくバランスが取れるし、トランペット協奏曲での指揮に集中するといい」との仲間の配慮で、フルート協奏曲には乗らなかった多岐川勉。
夕刻に行われた舞台リハーサルでの感動を各々が胸に抱きつつも、今まさに現在進行形で行われているシャミナードのフルート協奏曲にしっかり耳を傾けていた。
仮にこうして仲間の演奏を見守る心意気もゆとりもなく、続く出番でソロや指揮といった、自分が重要な役割を果たす曲のみに完全集中する必要があるのなら、誰かに居場所をきちんと告げた上で、楽屋などのバックステージにこもっていれば良い話。舞台袖に居ながらにして、本番で奏されているものとは異なる曲に思いを馳せるなんて、決してあってはならないのだから。
本番の演奏中、続く曲の為に舞台の袖で待機する者、あるいは舞台を見守る者の鉄則として、お喋りはもちろん、「決して音を立ててはならぬ」という常識については前回の章にても触れたが、ここでもうひとつ、スピリチュアルな掟も伝えておきたい。
あるピアノ・リサイタルの本番中、ステージマネージャーをしていた女性は、舞台に通じるドアの小窓からピアニストの背中や鍵盤を舞う腕などを見守りつつ、彼の奏でる音楽に完全に集中していた。
ステマネの仕事は、舞台の進行状況次第で休憩時間の長さやアンコールの有無などをその場で的確に判断してゆくタイムキーパーの役割や、演奏者がスムーズに舞台と袖を行き来できるよう、ドアの開閉、とりわけ終演を暗に知らせるべく最後にドアを閉めるタイミングなど、演奏者の精神的ゆとりや疲労状態も見計らう必要がある。
陰アナウンスの役目が当日いきなり回ってくることもある。その公演時もまた然りであったが、原稿を読み上げたりせず、会場の空気も感じながら自らの言葉でマイクを通じて観客に語りかけたい彼女は、実は本番中も、終演時の挨拶の言葉を頭の中で反芻したいところであった。演奏会を締めくくるに相応しい完璧な陰アナウンスを目指すべく。
——— 以上を持ちまして、終演とさせて頂きます。ご来場、誠にありがとうございました。この後、演奏者がロビーにご挨拶に参ります。CDをお買い上げの方にはサインも致します。公演の記念に是非お買い求め頂けますと幸いです。尚、アンケート用紙の回収にも、ご協力下さいますよう、お願い申し上げます。どうぞ気をつけてお帰り下さいませ ———。
といった具合である。演奏者がその場で「やはりロビーには行かない」と言ったり、トークが長すぎたりで舞台進行が長引き劇場の撤退時刻が迫ってしまい、サイン会はしない流れがその場で決まることもあるので、状況次第での臨機応変なアナウンスが求められる。そして演奏会の印象を貶めることのない質の高いアナウンスも心がけねばならない。言い間違え、言い直しなどもっての外。
しかし選曲や、CD用の収録、周到なリハーサルの段階から、当のピアニストと共に楽曲や演奏に親しんできた彼女としては、「たとえ袖に居たとしても、アナウンス内容など、本番中に邪念は持つべきでない。奏者の呼吸に合わせて共に音楽に身を委ねるのだ」と自らに言い聞かせ、律儀な心意気で完全に舞台に集中していた。
それはショパンのスケルツォ全曲演奏中の第3番でのことであった。
「すみません」
確認事項があったらしく、音響ブースに座る劇場スタッフからいきなり声をかけられ、彼女は心底ビックリして飛び上がった。その瞬間、それまで何のミスも危ういところもなくショパンを奏でていたピアニストが、いきなり結構目立つミスタッチをしたのだ。
超常現象の話ではない。
空気の流れ、感情や集中の乱れといった、ちょっとした波動が、どうやら実際にあるらしい、ということだ。
その後、演奏が上手く行かなくなったなんてこともなく、アクシデントはその一瞬だけ。
ステージマネージャーが舞台袖からピアニストへ送っていた念が急にプツっと途絶えたから? 彼女があんまり驚きすぎた衝撃の波動が演奏者に伝わってしまったか? あるいは全くの偶然?
繊細なアーティストを怖がらせてはいけないので、後にも先にも彼女はもちろん彼にそんな話はせず、謎は謎のままとされた。
袖に立つ者にも演奏への責任が生じる。鉄則として、邪念は排除、舞台の音楽に耳を傾け呼吸を揃える心構えが大切なのだ。
話をバトル館の舞台に戻そう。
バトラー最年少の星原淳は、有出絃人による指揮のもと、非常に落ち着いて澄み切ったフルートを奏でていた。聴いているだけで心が無限に澄み渡り、神経も研ぎ澄まされていくようだ。オーケストラもひたすら美しく済んだ透明な音色で寄り添っている。
舞台袖の3人も、次の曲のことなど考えず、しっかりと仲間の呼吸に合わせていた。そして見事にフルート協奏曲を終えて袖にはけてきたソリスト、指揮者、オケの一同を絶賛の拍手で迎えゆく。
審査員陣は立ち上がって惜しみない拍手を送っていた。
多彩なソリストによるモーツァルトで音楽を心から楽しみ、透明なフルート協奏曲では洗礼を受けたかのように心を浄化された。
しかしそれらは、敗者チームが選んだ次なる曲、アルチュニアンのトランペット協奏曲の為の、実は序奏であったと、このあと審査員らは思い知らされる。
コンサートマスターは有出絃人。指揮を務めることもできたが、フルート協奏曲に続いて同じ人物が振るよりも、曲の深いメッセージを理解しており、民族的な音楽に近い血筋も受け継いでいるロシア系の多岐川勉にチャンスが与えられた。指揮そのものよりも、曲への想いや解釈には自信があったので、トムくんも遠慮せず大役を快く引き受けた。そしてソリストが一喝オヤジの上之忠司となると、コンマス、指揮、ソロと、それだけでも最強のトライアングルではないか。
オーケストラのトレモロをバックに、上之忠司のトランペットによる緊迫感を伴うファンファーレが厳かに鳴り渡り、アルチュニアンのトランペット協奏曲が開始されたところから、この曲、この演奏が、尋常ならぬものと審査員陣は度肝を抜かれてしまう。
——— いったい何が起きている? ———
あとはもう、ただただ圧倒されるばかり。
荘厳な叙事詩のような序奏を経て、一気にテンポが速まり、エネルギッシュで爽快な主題をトランペットが勢いよく高らかに奏でゆく。遥かな昔から叙事詩や神話の舞台ともされてきたアルメニア高原を駿馬で疾走するような爽快感。民族調の凝ったリズムはいとも軽やかで、かなり高度な技巧が駆使されるも、上之はそうしたことを感じさせることなく鮮やかに歌い、客席にもオーケストラにも、心からの喜びや躍動感がしっかり伝わっていく。
この長大なテーマは二度、三度と現れて、楽章が途切れることなく奏される楽曲全体を効果的に支配する。
ゆったりと落ち着いたテンポの中間部では、様々な想いが交差するような、作曲家や奏者の魂が訴えかけてくるような哀愁に満ちた叙情性が深く心に染み渡る。
速いテンポで第1主題がよみがえり、気分は再び高揚するも、一転して穏やかな情景に。トランペットはミュートを用いて深い静けさに沈み込むといった風に、緩急が交互に展開し、技巧と叙情性が見事に溶け合いながら、聴き手を壮大な別次元の世界へと誘いゆく。
ラスト間際に現れる50小節にも及ぶカデンツァは、この曲の献呈を受けたトランペッターのドクシチェルによって後付けされたもの。多くのトランペッターに取り上げられている定番の名カデンツァを、上之は尊重しつつも、その中に第一主題冒頭の爽快なテーマもさらりと入れた。それはこの曲を愛奏していた彼の亡き父親の細やかな案によるもので、元のカデンツァを知る者にとっても、思いがけずの贈り物のような感動を誘う計らいとなる。
カデンツァから一気にラストを迎え、圧倒的な余韻の中、しばし時が止まり完全な静寂に包まれるも、上之がトランペットを下ろし、多岐川が指揮棒を下ろしたところで、審査員の3人は飛び上がるように立ち上がって惜しみない拍手で称えるのだった。
「講評は、AB合同チームの演奏も聴き終えてから、ということだがね」
審査委員長の長岡幹が、異例ながらも感極まった様子で感想を述べてしまう。
「バトル史上最高の芸術、魂のこもった奇跡の舞台と言えようね。ソリストはもちろん、このオーケストラは素晴らしすぎるよ。脱落なんて、あり得ない」
「そうですね! 脱落なんて考えられませんね」
青井杏香も感激しながら同意するも、長岡の次の言葉に愕然とする。
「既に勝ちは決まりだから。勝利は君たちのものだよ!」
♪ ♪ ♪ 参考演奏 ♪ ♪ ♪
アルチュニアン トランペット協奏曲
Tp.セルゲイ・ナカリャコフ
※ 敗者チームの演奏は想像にお任せで、どちらかというと、次週のAB合同チームの演奏イメージです。......と言いながら、ABチーム、果たして演奏させてもらえるのでしょうか???
次回 10.「崖っぷち協奏曲」( 7 /18 土曜日 深夜0時公開)に続く.....
