言葉を紡ぐことにより「去る者は日々に疎し(out of sight,out of mind)」にはならない
2023年年5月8日に淺野幸彦メールマガジン「リベラルアーツ事始め」にアップした第36回目の考察をシェアします。
淺野幸彦メールマガジン「リベラルアーツ事始め」もお読みいただければ幸いです。
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◆「leave words, leave reminiscence」
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いままで、親族、友人、ご縁をいただいた方、先輩などなど、先に逝った人たちにむけて、詩人や作家、芸術家の残した言葉とともに多くの言葉を紡いできました。
言葉にすることにより、「去る者は日々に疎し(out of sight,out of mind)」とはならず、先に逝った人たちとの思い出は私の中で輻輳していくのです。
言葉にすることにより、想い出は残り続けます。
「leave words, leave reminiscence」です。
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◆去者日以疎
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ちなみに「去る者は日々に疎し」という言葉は、古代中国の詩で作者不詳のものを集めた「文選‐古詩十九首」(*1)に出典があります。
(*1)文選‐古詩十九首:https://tinyurl.com/eyx7vsp8
古い墓のそばを通りかかった旅人が、望郷の念を詠ったのでしょう。
「去る者」とは亡くなった人のことです。「遠のいてしまうと、どんどん疎遠になる」というような意味にも使われます。
しかし、この読み人知らずの旅人は、詩を詠むことで亡くなった人たちのことを思い出しているのでしょう。
去者日以疏 去る者は日びに以て疏く
来者日已親 来る者は日びに已に親しむ
出郭門直視 郭門を出でて直視すれば
但見丘與墳 但 丘と墳とを見るのみ
古墓犁為田 古墓は犁かれて田と為り
松柏摧為薪 松柏は摧かれて薪と為る
白楊多悲風 白楊 悲風多く
蕭蕭愁殺人 蕭蕭として人を愁殺す
思還故里閭 故の里閭に還らんことを思ひ
欲歸道無因 歸らんと欲するも道に因る無し
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◆去る者は日に以(もっ)て疎し 現代日本語訳
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死んだ者は日に日に忘れられ
生きている者は日に日に親しさを増していく
城門を出て眺めやれば
ただ丘と墳墓が見えるだけだ
古い墓は耕されて田となり
松や柏は切り倒されて薪となる
ハコヤナギの木に悲しげな風が吹き付ける
それはもう悲しげで胸がつまりそうになる
故郷に帰りたくは思うのだが
いかんせん(世が乱れて)帰る方法が無い
今回は、逝った人々に向けて私が記したつたない弔辞のようなもの、死出の旅路のはなむけの文章のようなもの中からいくつか紹介します。
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◆長田弘さんの詩「まだ失われていないもの」を
Sさんの死出の旅路のはなむけに贈る
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2015年5月12日夜、皐月の台風が温帯低気圧になり鎌倉も大嵐の中、敬愛する友人Sさんを不慮の事故で失う。
彼とは鎌倉中の道という道を散策した。鶴岡八幡宮寺二十五坊(*2)があった御谷の突き当たりの明りのない隧道を抜けたら他人の家の庭に出てしまったこともあった。
よく飲み、よく話し、よく歩いた。
大学院で考古学を学びメソポタミヤ文明や、イスラム文化に詳しかった彼から、その方面のことを多く学んだ。また中東情勢や政治/文化・美学を巡って、時間のたつのも忘れて対話したものだった。
クラシック音楽にも造詣が深く、録音マニアだった彼とは、比較音楽論についてもずいぶんお話をした。
もう彼はいない。
自分に素直で率直に、なにものでもない一人の人間として生きた彼の人生はそれなりに幸多いものだったと思う。
私は彼の人生を祝福する。
彼の死の翌日、そして今日、空は晴れ上がり真夏のような暑さの五月晴れ。
もう彼はどこにもいないが、これから通夜にむかう。
自由に率直に生きぬいた彼に、やはり皐月3日に逝った敬愛する詩人、長田弘さん(*3)の詩を死出の旅路のはなむけとして贈る。
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「まだ失われていないもの」
~長田弘 詩集「黙されたことば」より~
何かがちがってくる。
風があつまってくる。
陽差しがあつまってきて、
やわらかな影が、そこにあつまる。
見えないものがあつまってくる。
ふと、騒がしさが遠のいて、
それから、音もなく
明るい塵があつまってくる。
すべてが、そこにあつまってくる。
花のまわりにあつまってくる。
ふしぎだ、花は。
すべてを、花のまわりにあつめる。
匂いのように、時間が
蜜のように、沈黙が
あつまってくる。
ことばをもたない真実がある。
空の色、季節の息があつまってくる。
花がそこにある。
それだけでちがってくる。
ひとはもっと率直に生きていいのだ。
(*2)鶴岡八幡宮寺二十五坊:https://is.gd/zTp8Jg
(*3)長田弘:https://is.gd/lwwSjj
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◆「英語には「謝罪」という言葉がない」
Sさんと話したこと:2020年5月12日
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大教養人であり、地位・金・名誉に頓着せず、それらと無縁に、生酔夢死の風狂を貫いた敬愛すべき「無能の人」、しかしそれなりの懊悩を抱えて生きた年長の友人・Sさんが逝ってからもう5年。
彼とは、逍遥しながら酒食をともにしながら、森羅と万象を巡って時には口角泡を飛ばして侃々諤々、歓談した。
そんな何かの折に、英国大使館員に長いこと日本語を教えていた彼と、英語には「謝罪」という言葉がないというはなしをした。
「apology」や「sorry」があるではないかと人は言うだろう。
しかし、「apology」は、元々、ギリシャ語/ラテン語の「apologia」に由来し、「apo(off、離れて)」+「logos(言葉)」=「(罪から離れて)逃れるための言葉」が原意だ。罪を認めて謝るのではなく、罪から逃れるための言葉。
確かに「The Apology」と言えば、「ソクラテスの弁明」であり、「ソクラテスの謝罪」ではない。
一方、「sorry」も、謝罪のための言葉ではない。
「sorry」の語源は「(炎症等で)痛い」ということを意味する sore と同じだ。
「気の毒に思う」というのも「後悔する」というのも、「心が痛む」ということ。
「ごめんなさい」というのも、「自分がやったことに、心を痛めている」ということ。
a sorry state(まずい、惨めな状態)とか、a sorry sight(悲惨な光景)というのも、「痛々しい」ということが根っこにあるわけで、「I am sorry.」も「お気の毒に」くらいのニュアンスか・・・・。
で、英語文化圏に「謝罪」にぴったりと適合するニュアンスを持った言葉がないと、Sさんはのたまわったわけだ。
だが、昨今の日本、とくに政治屋や経済屋の「謝罪」には心がなく全く内実を伴っていないので、「謝罪」いう言葉は、誰にも受け取られることなくむなしく宙を舞う。
ちなみに、「Excuse me」、「Forgive me」、「Pardon me」も、私を許せ、大目に見ろ、という意味。
「excuse」は、ex(外へ、離れて)+cuse(=causa=cause:原因、理由、非難、訴訟)が、原義だ。「非難から逃れて」→「非難しないで(ください)」という感覚なのだ。
また、「forgive」の語源は、for‐giveで、「真心をもって与えること」、「pardon」はpar(すっかり)+don(与える)である。
相手の寛容さを期待する言葉で、どう見ても「罪を認めて謝る」という言葉ではないね。
予期せぬ出来事で早く逝ってしまった彼は、英語で奥様にあやまっているのかな。「ゆるしてくれ(apology)」と・・・。
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◆「花火待つ 水と流れしものたちと」
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もうかれこれ40年近い付き合いになる畏友Nさんが2019年6月20日に逝く。
彼には執筆、編集、イベント、広告などさまざまな仕事をさせていただき、また、多くの敬愛する人たち、表現者たちを紹介していただいた。
また、私も彼にずいぶん多くの方を紹介した。
ここ12年くらいは私の紹介で逗子の法性寺の使わなくなった広い僧房に住んで、鎌倉にヒグラシ文庫(*4)という立ち飲み屋でもあり古本屋でもある文化拠点をたちあげ、自らも店主として中に入ったりしていた。そこでもまた多くの魅力あふれる方々を出会った。水族館劇場(*5)の座長・桃山邑(*6)を私に再紹介してくれたのも彼だ。
(*4)ヒグラシ文庫:https://is.gd/SoDcQF
(*5)水族館劇場:次回公演 - 水族館劇場 (suizokukangekijou.com) https://is.gd/fQAofV
(*6)桃山邑:https://is.gd/z5qbv0
かつて彼はコラージュも作っていた。1979年12月に銀座のギャラリーで開催された彼のコラージュ展に、やはり今は亡き舞踏家の室伏鴻(*7)さんに誘われて見に行った時のパンフレットはまだしっかりとってある。
暗黒舞踏(*8)創始者、故・土方巽さん(*9)書籍のために最後のインタビューをさせてもらったことも懐かしい思い出だ。
(*7)室伏鴻:https://is.gd/FcSsky
(*8)暗黒舞踏:https://is.gd/lUpagD
(*9)土方巽:https://is.gd/BVucvz
こんなことも思い出す。
2008年8月11日の鎌倉花火大会を、高台にある陋屋からさらに登った鎌倉の海を一望できる霊園の一角でNさん他、友人たちと堪能し、その後陋屋で宴を楽しんだ翌日、Nさんが自らのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト」に記していた日記が琴線に触れた。
・・・以下、Nさんのブログから・・・
「花火待つ 水と流れしものたちと」久保純夫(*10)
昨夜、鎌倉の高台にいたわたくしも連れも、また周囲の人々も、いずれはみな「水と流れしもの」と化してしまうのだ。
夜空に打ち上げられた花火もまた束の間の夢。
・・・・・・引用以上・・・・・・
夜空に大輪の光芒を放ち、少し遅れて届く爆発音の後。いつ始まるかと待つ身の期待感と一瞬の華やぎに歓声を上げる群集も、やがて花火同様、「水と流れしもの」になるという、無常の寂しさとうらはら。
海を見渡す丘、命のメモリアルが林立する霊園から眺める私たちにあまりにもふさわしい。
海上の台船から次々と打ち上げられる花火を、かつて私たちと楽しみ、この句を教えてくれたNさんも「水と流れしもの」になってしまった。
蛇足かもしれないが、花火の句をもう一つ。
「花火消え 元の闇ではなくなりし」稲畑汀子(*11)
これもまた感慨深い句だ。花火が消えた闇は、元の闇とは異なるという心情の変化は何だろう。「花火」は、悠久の時の中では一瞬にしか過ぎない「今生の生」の喩。
華やかなもの、大切な人、美しかったものが消えた後、残されたものは、もはやもとの日々に戻ることはない。
あるいは、心の無明・闇の中に以前とは異なる何かが残るのだろうか。
(*10)久保純夫:https://is.gd/7ZMvzV
(*11)稲畑汀子:https://is.gd/HszKlc
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◆ねっからのロマン主義者であった
年長の畏友Nさんの死出の旅路の
手向けにささげる詩
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ちなみにNさんは人と出会うこと人を引き付けることの達人であったが、別れることの名人(迷人?)でもあった。多くの離合集散を繰り返しながら、無類のさびしがり屋として生きた。
彼はある名前で知られていたが、戸籍上の名前はまた別であった。
なぞ多き経歴とともに語られなかった多くの言葉や思いをもって彼は秘かに旅立っていった。
ねっからのロマン主義者であった年長の畏友の死出の旅路の手向けに、生田長江(*12)の「冷ややかに 水をたたえて 斯くあれば 人は知らじな 火を噴きし 山の跡とも」という詩をささげる。
日本近代思想史家の松本健一(*13)の「美しいものを見ようとおもったら目をつむれ」という言葉がある。
(*12)生田長江:https://is.gd/QJA9VF
(*13)松本健一:https://is.gd/nuTdUD
・・・以下、引用・・・
ロマン主義精神とは何か、と十代のころより考えつづけて、それは―美しいものを見ようとおもったら、そして物ごとの本質を知ろうとおもったら「目をつむれ」という心の声である、と悟ったのは、三十代の半ばのころであったろうか。
そう悟ってみると,わたしが心魅かれる北一輝(*14)はもちろん,雲井龍雄(*15)も西郷隆盛(*16)も北村透谷(*17)も高山樗牛(*18)も乃木希典(*19)も,そうして伊東静雄(*20)も保田與重郎(*21)も蓮田善明(*22)も三島由紀夫(*23)もみな,この「目をつむれ」という心の声に従った人びとであることに気づいたのである。そう気づいてみると,生田長江がうたった,
ひややかにみづをたたへて
かくあればひとはしらじな
ひをふきしやまのあととも
という詩こそ,ロマン主義精神の一極致ではないか,と思い至った次第である。
・・・・引用、ここまで・・
引用内の全文ひらがなの詩のタイトルは「ひややかに」である。
「今では冷たい水をたたえ静寂のただよう山頂の湖が、かつては活火山で激しく火を噴いていた火口だったことを、誰が知っているだろう」というようなことか。万物流転、いろいろな喩として読める。
恩讐の彼方に・・・、「夏草や つわものどもが 夢の跡」
目をつむると瞼の裏に見えてくる、激しい情熱や、果てしない憧れ、希望や期待、美しいもの・・・、線香花火の一瞬の閃光の残像のよう。
(*14)北一輝:https://is.gd/KZO1ok
(*15)雲井龍雄:https://is.gd/3ftAWp
(*16)西郷隆盛:https://is.gd/THJK1h
(*17)北村透谷:https://is.gd/Rxtl2q
(*18)高山樗牛:https://is.gd/muILdr
(*19)乃木希典:https://is.gd/2QcCzf
(*20)伊東静雄:https://is.gd/qOkcJn
(*21)保田與重郎: https://is.gd/EoegcY
(*22)蓮田善明:https://is.gd/4z0Isr
(*23)三島由紀夫:https://is.gd/iT98NQ
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◆時が過ぎるというのは嘘だ
時は失われるのだ:2021年4月30日
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また一人、友が逝く。
先週日曜日の深夜に、共通の友人SさんからFBメッセージが送られてきた。
鎌倉駅近くの戦後の闇市跡のような雰囲気を残す丸七商店街の中に在る居酒屋「郷(さと)」(*24)のK君が急逝したという知らせだった。
まだ30代の若さで逆縁の死出の旅路。
言葉はない。
何が死因だったとか、どんな状況だったとか、そんなことはもはやどうでもいい。
ただ、もういないだけ。
無だ。寂滅だ。沈黙だ。死だ。
時が過ぎるというのは嘘だ。
時は失われるのだ。
それをしったら、しっていたら
それがわかったら、わかっていたら・・・
一昨日、北鎌倉の瑞光殿で告別式。
新型コロナ禍中にもかかわらず多くの友人、知人、そして親族に見送られて・・・。
それでお別れ。
Fare well , K !
(*24)「郷(さと)」:https://is.gd/piaK5h(現在はKくんのお兄さんが引き継いで営業しています。)
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◆天の手袋I君が逝く
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雪の朝、中学・高校時代からの親友の訃報が届く。
妻とも大変気の合っていたイラストレーターの伊藤正道くん(*25)が2012年2月17日に急逝した。
ジャン・コクトー(*26)がラディゲ(*27)について書いた言葉を思い出す。
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天の手袋を知っているか
天は手を汚さずに我々に触れるために
時々手袋をはめる
レーモン・ラディゲは天の手袋だった
それは手袋のように天のみ手にはまっていた
天がその手をぬくとそれは死を意味する
そういう死を真の死だと思うのは
からっぽの手袋を切られた手と混同することだろう
ジャン・コクトー
伊藤正道くんの追悼集に寄せた私のメッセージを記しておく。
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コクトーはラディゲの死に際して「天は、手を汚さずに僕らに触れるために、手袋をはめることが間々あるのだ。」と言ったという。
伊藤ちゃんは、僕らにとってまさに「天の手袋」だった。彼の形は手袋のようにぴったりと天の形に合っていたのだろう。
天が手を抜くと、それは死だ。
でもそれを理解できない幼子のようなしこりを心のうちに抱えている。
美しきもの見し人の早すぎる死への哀惜の念はいつまでも続く。
(*25)伊藤正道:masamichi ito.com : 伊藤正道オフィシャルサイト
(*26)ジャン・コクトー:https://is.gd/cQ6BT2
(*27)ラディゲ:https://is.gd/NMpjYd
今回は、今まで残してきた弔辞のようなもの、4人の逝った人との忘れられない思い出の断章のようなものや送る言葉を載せました。
伊藤正道くんだけは実名で記しました。
有名なイラストレーターですので、作品を知っている方も多いと思います。
ほかの方たちはイニシャルで記しましたが、いろいろと活動されていた方なので私の文章を読めばお分かりになる方も多いと思います。
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◆人間はその人が生きていたことを
誰も知らなくなった時に完全な死を迎える
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古今東西の先達が「死」を巡って多くの言葉を残していますが、この断想を締めくくるにあたって、実存主義を代表するフランスの哲学者サルトル(*28)の言葉を記しておきます。
「人間はその人が生きていたことを誰も覚えていなくなった時に完全な死を迎える」
(*28)サルトル:https://is.gd/4KBvn0
Sさんへ贈った長田弘さんの詩「まだ失われていないもの」ではないですが、私が知遇を得た多くの逝った人たちも「まだ失われていない者」なのです。
