ライ魚への弔辞
先日迷って、また本を買った。
開高健『私の釣魚大全』、古本屋で見つけて要らないと思った。
それでも、何か引っ掛かるものがあって、買って帰った。
果たして家に一冊持っていた。
買った本はデータ管理をしている。スマホにもそのデータがある。それでもその日は確認もそこそこに、持っていないものと思って、以前と同じく「要らないな」と思いながら買ったのだ。
家に増えてしまった余剰は、余剰から読まれるもののような気がして、仕方がないから読んだ。当然、魚が出てくる。
魚の話が始まると、私の脳内には釣り針の手元の映像が浮かぶ。釣り針と石と土、浅瀬の水藻や光の反射が浮かんでくる。それで石の乾いた色から春だとわかる。
本を買っただけでここまでが自動的で、想像や記憶の中で石を見ても、光りの加減で春だとわかるのは、不思議だけれども、季節の手掛かりはそこら中にある。
むしろこれを見させるために誰かが本を買わせたのではないか。
母方の実家の傍、一分も歩かないところに大きな沼がある。
今思うと、それは水田用に使われている重要な沼らしいのだけれど、子どもの頃の私にはそんなことは全然関係がない。またこの近所の男たちは魚釣りが多く、そういう男たちにも水田は二の次らしく、その沼には魚が多くいた。
皆の釣り場になっていた。
釣りのスポットには表と裏がある。
道路に面した日の当たる表岸、神社の裏から入って行ける対岸の日の当たらない裏岸とがあって、私の母方の祖父は神社裏の裏スポットが定位置になっていた。そこへ私も連れられて行った。
祖父はヘラブナ釣りの名人といわれていた。
少なくとも近所の男の子は私にそう教えた。
「俺の家のじいさんは鯉とかを釣る名人なんだ。お前の家のじいさんはヘラブナ釣りの名人で、ヘラブナ釣りの方が偉いんだ」
それを聞いて、釣りを全然知らない私は何か驚くものがあった。
だから、私もどこか祖父のことを偉いと思っているところがあった。
その祖父が、春を待って、待って待って待ちに待って、それで釣り解禁の数日前に神社裏に行ったりする。そのまま釣りを始めてしまったりする。昔のことではあるし、近所の男どもの厄介さったらないから、それぞれがそれぞれを許したりで、いつの間にか釣りが始まる。
その春に連れられて、私も神社裏のスポットで、沼の水面の光りのざわめきを爽やかに眺めながら釣りをした。
私は濁った沼で、浮きを頼りにする釣りをしたこともないし、その感覚も養われていないから、沼での釣りは詰まらない。そう釣れるものではない。その間に祖父はどんどんと釣って、私は魚の入ったバケツを眺めるのを仕事にしていた。無口な祖父の釣り糸の揺れを凝っと見ていたりした。
子どもには退屈な時間だが、子どもながらに祖父に付き合って、ヘラブナ釣りで偉いはずの祖父を仰ぎ見るような感じで、凝っとしていた。
そうして、突然、静かで清々しい沼面が突然、古い神々の怒りで震え出したかのように、春の細い煙のような静けさは破られた。
子どもの私にはそれまで春に霞んでいた綿毛のような空気が、ビリビリと震えて、揺れる沼面も飛び散る水飛沫も、張り詰めたり撓んだりする糸の煌めきや釣り竿のしなりも、世界を揺るがすものとしてはっきり現れて来た。
「ライ魚だな」
祖父がそれだけ言った。
それから釣り竿に集中した。
沼面の大騒動は祖父の頑強な腕や体躯に制されて、あっという間にライ魚が私のすぐ目の前に飛び出して来た。ライ魚は釣られた勢いで岸辺に落ちて、土を体に擦り付けた。どちゃどちゃと何度かその鱗を飛ばし、それからライ魚は重い体をくねらせて暴れるから、自分で自分をも傷つけた。
その体のくねるようすで、神社が揺れて、何かの怒りが裏鳴りするように思われた。
そして、次の瞬間、その暴れ狂うライ魚は、頭をバンと打たれてぴくぴく震えた。
石でもう一度、バン、それからバンバンと打たれた。
祖父の手中の石がライ魚を打ちつけた。
石と石とで挟まれたライ魚はその荘厳な威厳を取り落とした。命はあっという間に、最後の震えの中に到達した。沼も神社もしんとした。
考える間もない。
嘲笑も恨みも、正義も勇敢も、憐憫も愉悦もなにもない。
なんの判断もない。ライ魚は釣られて、それからすぐに石に挟まれて痙攣して、それから止まった。
石で打たれたという感じではない。釣られたままにそのまま自動で石に挟まれて、それからその石の上に張り付いた。
祖父はそれら一連のことをやり終えて、また少し釣りを続けて、今日は釣れないということで、私たちは帰った。
私は祖父を好いていた。
何か正しいことをする人だと感じていた。それから誠実な人だという気もしていた。祖父は大工で、意味があることをする。意味がないことをしても、それが別の意味を持っている。そういう人だと子どもながらに感じていた気がする。
そして、太い腕。祖父の腕はあまりにも太くて、体力自慢で柔道の強い父も、この祖父には敵わなかっただろう。そういう祖父の太い腕は正しさの象徴だったのかもしれない。正しさと安心感との違いも分からない私は、そういうことを漠然と考えていたのかもしれない。
そんな春に、ライ魚はただ生きているだけで停止してしまった。
子どもの想像では、ライ魚というものは、数百年を生きる古代魚だ。
この釣りあげられたライ魚はこの沼で千年を生きて、この日にとうとう祖父に釣り上げられ、その太い腕にやられてしまった。それまで残虐に他の魚を喰い散らし、沼底の泥を押し分け我が物顔で擦り歩いて来た鋭い牙の悪者が、ついにその命を取られてしまった。
千年の命が終わった時、私は何か神社にすまないような気がした。
不思議と祖父を悪いとは思わなかった。ライ魚が悪いと思った。
それでも、すまないという気持ちとあっと思う何かがあった気がする。
しかし同時に、その死に何の意味も差し挟まれていないことに、本当はそのことに驚いていたのかもしれない。
それまでの子ども教育が私にすまないという気持ちを植え付けていたけれど、同時に本当のところでは、死というものがある形でやってくるわけではないということを、私はすでにこの時に知っていたのかもしれない。
有名で、よく引用されるものに、志賀直哉の「城の崎にて」がある。
あれは屋根の上の蜂の死骸や、首に串を刺されて、それらが閊えて水から上がることが出来ない鼠、その鼠を聴衆が騒ぎ立て石を当てて殺してしまう話が出てくる。
そこには周りの人々の感情も、死期を察した志賀の感情も含まれている。
私はすでに小さな子どもの頃に、そういうものではないということが、はっきりわかっていた気がする。
死を死として括弧に括っている人々の生き方が、本当はそういうものではないということがわかっていた気がする。
作家は、というか何かを理解するときに、こういう形式になるだろう。
あることがあって、死があって、それをどう捉えるかということになる。
作家はそれを操作し、他人や自分の感情を演出していく。
私は正直に書くとき、そういうものではないと思う。
そういうものではないとき、私は涙が流れて、それから後にやっと、そういう人たちに言わせれば、これこれこういうことだよね、と言葉になってくる。
死は生だ。
生からの距離として皆測っている。
でも、そういうものではない。
千年を生きたライ魚は石の上でどんどん崩れていった。
数日間、私はライ魚を見に通った。白い肉が見え始めたのは鳥か何かが突いたのだろうか。
白い肉は茶色にくすんで、何か汚くなった。虫も飛んだ。
それから鳥がいよいよ持ち去れる大きさになったのか、数日後にはライ魚はどこかへ行ってしまった。
当たり前の顔で泳いでいったのかもしれないと思った。また沼の底へ這っていったのか。
そして、神社裏のその石の上に黒いシミが残った。
それまでの出来事はなくなって、シミになった。それだけという気がした。
春は少し進んだけれど、何かが変わったというものでもない。
私は突然、あの石のシミを白鳥も見るだろうな、と思った。
そういうものだろうと思ったのだ。
祖父はくも膜下出血で亡くなった。
頭の血管が破れて亡くなった。
これに関連性はない。ないけれど、同型という論理上のことで、私はそれを書かなければならなくなっている。
弔辞を読む時、私たちは誰へ向かって読むのか。
私はいつでもこの家で弔辞を読む役で、それを回避させない力が働いている。
私は祖父の弔辞を誰へ向かって読んだのだろうか。
祖父へ向かって読むふりをして、会場に来ている人へ読まなければならない。
会場へ来ている人々とは殆ど面識もない。それでも何か故人のことを語る。しかし誰へ向かってなのか?
死を信じている人々へ向かって、私は死を信じていないから、記憶の中のライ魚も生きている。そういうときに、私はこの春の悲しさをどう扱えばいいのかわからない。
説明はあとからやってくる。それがそれだということは、いつでも後からやって来る。
弔辞はそういう儀式で読まれて来る。ライ魚はそうやって死んでいく。
しかし、祖父は死んでいない。
それでも悲しく、言葉にするなら悲しくて、そしてまだ太い腕を私に見せている。
本当に正直に、何を書いているのかわからなくなってきた。
誰かが私にさせていることと、誰へ向かって書いているのか、祖父へ向かって書いているのか、それらの違いもわからない。
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