【シロクマ文芸部】シャボン玉を放つ
#シロクマ文芸部
お題:「シャボン玉」からはじめるnote
(1628文字)
シャボン玉がひとつ、剛の目の前をたゆたっている。どこから来たのだろうと辺りを見回すと、ふたつ向こうのベンチで、小学校に入るか入らないかくらいの男の子が、まだ若い両親に挟まれて座りストローを吹いていた。
次から次へとシャボン玉が生み出され、それぞれ風に乗り、落ちる桜の花びらと交差するように空へと向かう。そのひとつが上には登らず、剛の目の前にやってきたのだ。その玉は力無く剛の足元に落ちて消えた。
「お願い別れて」
日曜の昼、ソファに寝そべりながらテレビを見ていると、外出先から帰った妻の美和子が頭を下げた。
「は?」
状況が飲み込めず、間抜けな一言を発するのが精一杯だった。
美和子とは結婚20年以上。一人息子の建人は県外に住んでいて、来年地方の国立大を卒業する。
「何も要らない。慰謝料も払う。だからお願いします」
相手は10歳も下の男。建人の高校の時の教師だという。48歳の美和子に38歳の教師。まさか、一週間の間にふたりの女に別れを告げられるとは思っていなかった。
剛には長く付き合っている女がいた。会社の総務の女で、彼女が入社して間もない頃からだから、もう12年になる。
「結婚しようと思って」
久しぶりにラブホテルで事を済ませ、ベッドの端に腰掛けた女は、背を向けてブラジャーのホックを止めながらそう言った。
「は?」
その時も剛は間抜けな一言を発するだけだった。
「だからさ、今日で終わり」
「あ、相手はいるのか?」
女は一枚ずつ服を着ていく。
「いないわよ。これから婚活。だってもう34よ」
女は全ての服を着終わって、こちらを向いて髪を束ねながら「ごめんね」と笑った。
「やっぱり子供が欲しいなって思うのよ」
「今まま探したって良いじゃないか。相手が見つかったら、おとなしく身を引くよ」
「それじゃだめよ。またダラダラ続いちゃう。もう終わらせたいの」
「俺のこと、嫌いになったか?」
「嫌いになったらしないでしょ?最後にしたかったのよ。良いから服着て。延長になっちゃう」
妻の美和子との関係はとっくに冷めていた。それでも結婚生活を維持できていたのは、この女の存在があったからだ。「結婚は考えていないから、このままの関係がいいの」その彼女の言葉に甘えていた。
女からの別れを承諾して5日後、今度は美和子から「別れたい」の言葉。頭の中を整理したくて、何も言わずに家を出てきてしまった。
シャボン玉は次々と生み出され、みんな空に向かって登っていくが、またひとつ剛の方にふわふわとやってくる。そういえば、建人が小さい頃、ああやって俺と美和子が両脇に座って、シャボン玉をさせていたような気がする。いつから冷めてしまったのだろう。
美和子からの愛情を感じることができず、それでも当たり前のように生活は続いていた。このままこの時間が続いていくのかと思っていた。しかし当然だが、美和子も同じように感じていたということだ。
俺は美和子に愛情を注いでいたか?その答えはわかっていた。ただ見ないようにしていただけだ。
自分の心の隙間を埋めるために、会社の女を利用していた。それで家庭が続くなら、むしろ良いとさえ思っていた。美和子も心の隙間を埋める相手を見つけていたって不思議じゃない。そしてそこに愛情を見出せたなら、新しい生活に飛び込みたいと思うのが当たり前だ。
自分だけが上手くやっていると思っていた。そんなわけはないのだ。
「フフフ」
思わず笑いが込み上げる。
「ハハハハ」
声が大きくなる。
「ワハハハハハハ!」
剛は目の前をたゆたうシャボン玉を指先で弾いて立ち上がった。シャボン玉の親子が剛を驚いたように見つめる。
「仲が良くて良いですね。夫婦仲良く、それが子供にも一番ですよ」
夫婦は驚いた顔のままゆっくりと少しだけ頭を下げる。剛は大きく息を吸って吐き出してから歩き出した。
慰謝料なんて要らない。あのシャボン玉のように空に放ってやろう。幸せになってくれれば良い。なぜか本気でそう思った。それが最後に残った妻への愛情なのかもしれない。
終
久しぶりにシロクマ文芸部に参加させていただきました。
なんとなく書き始めたので、何が言いたいのかよくわかりませんが、小牧幸助さんよろしくお願いします
