【掌編】鍋とピアス
シロクマ文芸部お題:「鍋の具は」から始まる小説、エッセイなど
(3429文字)
「鍋の具は何?」
「じゃがいもに、人参、キャベツ、それにソーセージね」
「へぇ、カレー鍋ってソーセージなんだ」
「たまには変わった鍋も良いでしょ?」
加奈はそう言って笑った。でもその笑顔は少し寂しそうに見える。明日、私たちは別れることになる。
加奈に初めて会ったのは5ヶ月前、昨年10月の初めのことだ。
私は東京本社から仙台支店の応援に短期転勤でやってきた。古くからの顧客のシステムを改良することになったのだが、古いプログラミング言語が使われていて、仙台支社にはそれが書けるプログラマーがいなかった。それでベテランの私に白羽の矢が立った。
「それじゃ、大塚さん。これがマンションの鍵。名義は会社じゃなくて大塚さんになっているけど、もちろん家賃は会社で払いますから。何かあっても会社から大家さんに連絡しますから言ってください」
総務の女性がそう言って私に半年間暮らす部屋の鍵を渡した。
マンションの部屋はワンルームだが12帖の広さがあり、日当たりも良好で快適に暮らせそうだった。さらに、前に転勤してきた人が使っていたという家具が揃っていて、好きに使って良いとのことだった。
転勤前に見せてもらうと、ベッドもダイニングテーブルも冷蔵庫も全て掃除や手入れが行き届いていて、人が使っていたものを使うということに嫌悪感はなかった。
「食器類まであるわよ。いいじゃない。何も揃える必要ないし」
妻はそう言って喜んでいた。
転勤初日。その日は一通りシステムの説明があり、それが早めに終わったので定時に退社した。
近所のスーパーでビールを2本と惣菜を買い、部屋に帰るとチャイムが鳴った。
「はい、どちら様でしょうか」
インタフォーンに映っていたのは女性だった。
「え?あれ?篠田さん、じゃないですか?」
女性は少し慌てた様子で言った。
「もしかしたら前に住んでいた方ですかね?私は昨日引っ越してきたので」
「そうでしたか。すいません。その部屋にピアスを忘れてしまったので。でも篠田さんが引っ越したのではピアスは無いですよね。失礼しました」
そう言って引き返そうとする女性に、私は「待って」と声をかけ、玄関に行ってドアを開けた。
「家具もみんなそのままなんですよ。もしかしたらピアスもあるかもしれません。探してみますか?」
「良いんですか?」
「良いですよ、どうぞ」
私は女性を招き入れた。それが加奈だった。
部屋に入った加奈は、部屋が篠田という男が住んでいた頃のままということに少し驚いていた。歳は30代半ばくらいか。肩より少し長い黒髪がふわっと揺れると良い香りがした。
手にしていたエコバッグが重そうだったので、ダイニングのテーブルに置くように勧めた。来る途中に買い物をしてきたのだろう。篠田という男と食べるつもりだったのだろうか。
「篠田さん、大阪に帰ったんですね」
加奈はそう言いながらサイドボードの引き出しを開ける。
「ああ、前の人は大阪支社から来たって言ってました」
「同じ会社の方なんですか?」
「ええ。その篠田さんには会ったことはありませんが、ここは会社の借り上げなので」
「そうでしたか。あ、ありました」
そう言って加奈は赤い和風なピアスを掲げてみせた。
「ありがとうございました。あのう、良かったらそれ、食べてください」
「え?なんですか?」
私はエコバッグの中を覗いた。中には鶏肉や野菜が入っている。
「せり鍋の材料です。仙台名物なんですよ。鍋のもともあるので簡単にできます。鍋とカセットコンロはたぶん台所の一番下の引き出しにありますから」
台所に行ってみると、確かに鍋やコンロがあった。
「それじゃ、ありがとうございました」
そう言って部屋を出ようとする加奈に私は思い切って言った。
「あ、あの、せっかくだから一緒に食べませんか?」
加奈は驚いていたが、すぐに表情を和らげて、
「それじゃ、仙台にようこそということで、私が作ります」
と笑った。
次に会ったのは近所のスーパーマーケット。それぞれ夕食を買いに来ていたが、また鍋でもしますかということになった。
それから週に一度のペースで加奈が私の部屋に来て、ふたりで鍋を囲んだ。
男と女の関係になるのに、それほど時間は掛からなかった。
年が明けてもその関係は静かに続いていた。そう、静かに。
私は言うまでもなく不倫であり、この関係を進展させるわけにいかない。それを受け入れているからなのか、加奈の方からもそれ以上の関係を求めてこなかった。
一度、山形の温泉に泊まりに行こうかと提案したことがあったが、
「ありがとう。でもそういうのはいいよ。週末は家族のところに帰って」
そう微かに笑顔を見せた。
加奈は毎週水曜日に部屋に来るようになった。水曜日が我が社のノー残業デーだということを知っていたからだ。
チゲ鍋、石狩鍋、水炊きなどのオーソドックスなものから、トマトチーズ鍋など変わったものまで、加奈のつくる鍋をつつきながらビールを飲み、そして一緒にベッドで眠った。
私としては、篠田の残したベッドで加奈とそのような関係になっていることに複雑な思いがあった。嫉妬でもあり、罪悪感でもある。しかし、篠田のことは加奈には訊かなかった。不倫であり、今の仕事が終われば東京に帰らなければならない自分に、それを訊く権利はない。
仙台の一番寒い時期が終わり、3月になるといよいよ仕事の終わりが見えてきた。仙台の寒さは骨の芯から冷えるようで厳しかったが、加奈のおかげで乗り切れたように思う。
私は東京に帰ってからのことを考えた。狡いとは思いつつ、なんとか加奈との関係を続けられないか。1ヶ月に一度でも会うことができないか。
「あなたが帰ったら終わりよ。私はそれで良い」
何も求めてこない加奈に罪悪感が膨らむ。分かっていたことなのに。
「それじゃ、ピアスを買って。私に似合うのを選んできて」
私たちはカレー鍋を食べ終わるとベッドに入った。
「加奈、これ。似合うかどうかわからないけど」
私は買ってきたピアスを渡した。
「わぁ、綺麗。ありがとう。これ、サファイア?」
「そう9月生まれの誕生石」
「覚えていてくれたんだ」
「当たり前だよ」
加奈はピアスをつけて「似合う?」と聞いてきた。私は黙って頷いた。そして思わず「ごめんな」と言葉が口をついた。
「謝らないで。私も楽しかったし。良いのよ、これで」
翌朝、目を覚ますと加奈は部屋を出て行った後だった。面と向かってさよならを言うのが嫌だったのだろうか。
私の私物は衣類だけで、段ボール2箱を自宅に送るとそれで引越しは完了だった。
5ヶ月間世話になった部署に顔を出して挨拶を済ませ、私は総務部に部屋の鍵を渡しに行った。
「はい、これ部屋の鍵です」
「ご苦労様でした。また遊びに来てくださいね。仙台は近いし」
総務の女性は鍵を受け取りながらそう言った。
「そうですね。今度は妻とのんびり観光に来ます」
「そうしてください」
「それじゃ、お世話になりました」
頭を下げて部屋を出た私を総務の女性が追いかけてきて「大塚さん」と呼び止めた。
「何か変わったこと、なかった?」
「変わったことですか?いや、特に」
「はぁ、それじゃ良かった」
安堵の表情で息を吐き、総務の女性は話を続けた。
「それなら話しちゃうけど、前にあそこに住んでた篠田さん、事故で亡くなったのよ」
「そうなんですか」
それは初耳だった。
「そうなの。でもあの部屋でじゃないのよ、車で仙台港に落ちちゃったの。彼女と一緒に」
私は加奈の顔が頭に浮かんだ。
「彼女と?」
「そう。篠田さん、不倫だったみたいでね。任期が終わって帰るところだったから、もしかしたら無理心中じゃないかって噂が立ってね」
「ふたりとも亡くなったんですか?」
「そう、ふたりとも。無理心中の噂で大家さんが怒っちゃってね、外での事故だから事故物件には該当しないんだけど、なんていうの、ルームロンダリング的なことはしてくれって」
「ああ、それで私の名義に?」
「そういうこと。まぁ、でも良かったわ。何もなかったなら。それじゃ」
そう言うと総務の女性は戻って行った。
私の手には加奈を抱いた感触がはっきり残っている。それが幽霊?そんなバカな。
私は我に返って加奈の携帯に電話をかけたが、電話の向こうからは「ただいまおかけになった電話番号は現在使われておりません」というアナウンスが流れるだけだった。
次にあの部屋に入った社員がいたかどうかは確認していない。
しかしきっと、私がプレゼントしたサファイアのピアスはあのダッシュボードの中にある。そう思った時、どこかでチャイムの音が聞こえたような気がした。
終
シロクマ文芸部に参加させていただきました。よろしくお願いします。
