暮らしの中の、小さなゲーム
幸せは、ものの見方で変わる。
「ないものに目を向けず、あるものを見るように」と、よく言われます。
確かにそうなのだろうと思いますが、頭では分かっていても、なかなか実感するのは難しいものです。
そんな時、私はちょっとしたゲームをします。
今日が令和ではなく、戦時中の日本だったら、私はどう暮らすだろう。
そう思ってみるのです。
不思議なことに、その瞬間から、水道の蛇口をひねれば水が出ることも、お米を炊けることも、冷たい麦茶を飲めることも、すべてが贅沢に思えてきます。
我慢をするためではありません。
今あるもののありがたさを思い出すための、小さな暮らしの遊びです。
朝起きると、外から飛行機の音が聞こえてきます。
我が家の上空が通り道なのか、飛行機がよく飛びます。
その音を聞くと、私の「戦時中の昭和暮らし」に、少しだけ臨場感が出てきます。
庭に出て、井戸ポンプを押して水を出す。
洗濯に使った残り水を、植木にやる。
家庭菜園の野菜や草を摘んで、雑炊を作る。
お米も配給だと思えば、一粒だって無駄にはできません。
塩も、醤油も、お砂糖も、使える量は限られている。
そう思って台所に立つと、今の私たちの暮らしは、普通に暮らしているだけでも、どれほど贅沢にあふれているのだろうと思います。
蛇口をひねれば水が出る。
冷蔵庫には食べ物がある。
好きな時にお米を炊き、お砂糖を使い、温かいお風呂に入ることができる。
それなのに私たちは、いつの間にか、それを「普通のこと」だと思うようになりました。
私の小さなゲームは、その普通を、もう一度見直すために始めたものだったのだと思います。
ところが、いつしかゲームだったはずの暮らしが、少しずつ私の日常になっていきました。
井戸ポンプの水を使い、食べ物をなるべく無駄にせず、あるもので工夫する。
贅沢を我慢するのではなく、すでにある豊かさに気づいて暮らす。
そうしているうちに、いつの間にか「昭和の暮らし帖」になっていったのかな、と。
この頃、そんなことを思います。
