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旅行記 ヨーロッパ短期旅行第七話

朝になると列車は既にフランスに入っていた。残っていたペットボトルの水を飲んでいると車掌が入ってきて昨日預けたパスポートを返しにきた。車掌はもうすぐディジョンだから準備するようにと伝えてきた。なかなか丁寧な車掌である。
身支度を整えていると「次はディジョンです」というアナウンスが響きわたり、それから程なくしてディジョンに到着した。私は荷物を引きずりながら列車を降り、駅の電光掲示板を見るとTGVが30分遅れているようだ。朝食も食べていなかったので駅の売店でパンでも買うことにした。驚いたことに売店のパンを売るショーケースの中にハチが何匹か飛んでいるのだ。中にはハチの死体がのっているパンさえもあった。しかし店員は何も気にせずそのままにしている。ハチが来るほどうまいパンと言うことなのだろうか。私はクロワッサンとチョコレートの入ったマフィンを買ったが案の定、パンと一緒にハチの死体も袋に入ってきてしまった。しかもミツバチではなくアシナガバチのような、なかなか大きな種類である。いきなり、このような不思議な体験をしたのでフランスという国が面白く思えてきた。TGVの乗車時間が迫るにつれて人々が、ホームに集まり始めた。人々の服装がイタリアとは少し変わってきた。私の前に並んでいる壮年の男性はコードレーンのジャケットに品よくやれたデニムにスニーカー姿だった。スポーティーな服装だがイタリアとは違った、こなれた優雅な雰囲気がにじみ出ていた。30分遅れのTGVがようやく到着した。日本の新幹線と比べると無骨でややカクカクした印象を受ける電車だ。予約した席につき、しばらくすると紺色の制服を着たグレーの目をした車掌が切符のチェックにやってきた。先ほど乗ってきた寝台列車に比べると人々の服装が上品になり、私の無作法な服装は若干浮いていた。列車はしばらく進むと大きな平原にでた。そこには草を食む無数の白い牛が確認できた。こんなにも沢山の牛を見たのは生まれてはじめてである。フランス人の強欲な胃袋を支えるにはこれ程の牛が必要なのかとおもいを巡らせていた。しかしそんな牧歌的な風景もつかの間で次第に景色は人間の建築物に変わってきた。いよいよパリに近づいてきた。「ギャラ・ドゥ・リヨン」という優美なアクセントと共に列車はリヨン駅に到着した。駅に降りると駅全体はやや薄暗いグレーな色の雰囲気をまとっていた。そして人の数も多くなりやはり町の規模を象徴していた。電車の入線を伝える「トゥットゥッターラ 」という女性の声が駅に響き渡り、他の国にはないフランスらしさが漂っている。私は人の波をかき分けメトロの券売機まで行った。しかしはじめてのパリメトロの券売機の購入は事の他手間取ってしまい、チップ目当ての男が教えてやるよとしょっちゅう近づいてくるので、人のいる窓口で買うことにした。プラスモンジュまで切符をお願いしますも言うと、女性の駅員は頷き、目的地までの乗り換え方法が示されたWebサイトを印刷して、切符と一緒に渡してくれた。余りのホスピタリティーにメルシーとたどたどしく言った。メトロの改札に入るとウィーンとは違い無機質な印象を感じた。改札内にもホームレスがおり、尿の臭いがツンと鼻をついた。電車内に乗り込むと重苦しい空気が漂っていた。バイオリンを引きながら歩き回る盲目の老人やダンスを車内で踊り近くの乗客にチップをせびる男、また老人からバックをひったくり逃走するスリさえいた。パリメトロの最初の印象は強烈だった。日本人が思い描く美しく華麗なるパリは見事にかきけされた。なんとか乗り換えの駅であるシャトレで下車すると次の電車に乗るため長い通路を歩いた。通路にはホームレスやチップ目当てに民族楽器を奏でているジプシーなど様々な人々が溢れている光景は強烈な印象を私に与えた。無事に電車の乗り換えが済み、プラスモンジュの駅までたどり着くことができた。ホームにある地図を見ていると背の高いフランス人女性が「ボンジュール」と話しかけてきた。「どこへ行きたいんですか?」と続けて英語で話しかけてきた。私は今回泊まるホテルの予約表を携帯で見せると、「こっちよ」と案内してくれた。「あなた日本人?」そうだと答えると「そうだと思ったのよ!私東京の浅草に実は行ったことあるの」。女性は丸いグレーの目を見開きながら話した。私は彼女がホステルの場所をてっきりしているのかと思いついていったが、どうやらそうではないらしい。携帯を見ながらうろうろしたが結局、昼間からテラス席でビールを飲んでいる坊主頭のフランス人男性に彼女は道を聞いた。男は彼女の話を聞き私を見るとニコッと笑い、道を教えてくれた。ホステルの前に着くと女性はボンボヤージュと言いながら笑顔で去って行った。このホステルの名前はヤングハッピー・ラテンクオーター・バイ・ヒップホップホステルズというやけに長ったらしい名前だ。以降はヤングハッピーと略すことにする。チェックインの時間ではないので荷物だけ預け、私はとりあえずルーブル美術館とオルセー美術館に向かうことにした。パリメトロには苦手意識を持ってしまったため歩いて向かうことにした。ウィーンやベネチアとは違い、パリの建物はみなバラ色の石でできておりとても統一感があった。セーヌ川を越え美術館に近づいてくると観光客の数が次第に増えてきた。ルーブル美術館の門の前にはジプシーが怪しいアンケート詐欺をしていたが無視して入場した。イオ・ミン・ペイのガラスピラミッドの前には長蛇の列ができており、その列の横に怪しいダフ屋がうろちょろしていた。主にアフリカ系が多いのだがしきりに中国語で「2ユーロ2ユーロ 安いよぉ!」と叫んでいた。ここに中国語が定着しているということは彼らもけっこう騙されやすいのかもしれない。騙されやすい日本人、Noと言えない日本人というのは、実は人間みんなそうなのかもしれない。ガラスピラミッドの入り口から地下へ下りやっとチケットカウンターの順番が回ってきた。チケットを購入し進んでいくと彫刻や様々な工芸品や絵画が私を迎えてくれた。展示されている絵画は大きいものが多く、その中でもアングルの描いたグランドオダリスクの裸婦像は吸い込まれるような美しさで強烈な印象を残した。しかしルーブル美術館は観光客の数もウィーンの美術館とはレベルが違いあまりにも多く、そして作品の数も膨大すぎるため、正直言うとあまり印象に残っていないというのが事実だ。モナリザの前などあまりにも人が多かったので遠くから眺めて終わってしまった。一通り展示品を見終わると私は美術館に併設されている地下のフードコートへ入った。このフードコートはフランス料理以外にもアフリカや中東料理など様々な料理が味わえるようになっており、私はクスクスにチキンを乗せたやや北アフリカチックな料理を注文した。アフリカ系のお姉さんが笑顔いっぱいによそってくれた。味はなかなかよく、朝から何も食べていなかったこともあり勢いよく平らげてしまった。腹ごしらえを済ますとオルセー美術館へ向かった。印象派を中心に近代の画家の絵が多く所蔵されているオルセーは展示スタイルもモダンでルーブルと比べてとても見やすかった。膨大な量のゴッホやモネの作品には圧倒されたが、ゴッホの絵に強い感心を示していたのは韓国人の旅行客であった。しかもゴッホの作品の中でも自画像の絵の前だけに集まっているのである。理由は分からないが韓国でどこかの有名人がSNSにでも紹介したのかもしれない。私はローヌ川の星月夜に見とれていた。夜のローヌ川沿いの町と空に浮かぶ星月夜を描いたこの作品は言い知れぬ孤独と耽美な世界観を私に感じさせた。1人でヨーロッパ旅行をし、その美しい世界に魅了されている自分の内面をこの絵が表しているかのようにも思えた。10分はその絵を見つめていた。一枚の絵にこれ程の世界を描けるのはやはりゴッホが狂気の画家だったからなのか。他にもオーベルの教会という絵があった。私の父が好きな絵だ。ゴッホが晩年に書いた絵とされ、教会の前を二手に分かれた道は生きるか死ぬかを表しているという。結果的には死を選んだゴッホだったが命を削って描いた絵は海を越え多くの人の心に炎を灯している。他にも印象派の名作が数多く並べてあり、このような体験をさせてくれるフランスには感謝である。私はオルセー美術館を後にすると目的地もなく歩いた。エッフェル塔の下を歩いたり、路地裏をぶらつき果物屋で絞りたてのオレンジジュースを飲んだりした。どこを歩いても様々な景色を見せてくれるパリだが、次第に帰国が迫っていることも感じた。ロシア皇帝がパリ万博時にフランスへプレゼントしたとされる橋の上でぼぉっと考えていると既に太陽は傾きつつあった。エッフェル塔はシャンパンように光はじめた。私は重い足取りでホステルに戻った。

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