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『良いデジタル化 悪いデジタル化』:  全文公開 第5章の6

良いデジタル化 悪いデジタル化』(日本経済新聞出版)が2021年6月19日に刊行されました(日本経済新聞出版)。
これは、第5章の6全文公開です。

6 ワクチンパスポートを導入できないガラパゴス日本

世界で広がるワクチンパスポート導入論
 ワクチン接種が進むにつれて、「ワクチンパスポート」導入論が世界的に広がっている。これがコロナ後の世界に向けて経済活動を再開させる際の切り札になるという見方が多い。
 ワクチンの接種が最も進んでいるイスラエルでは、すでに「グリーンパスポート」が発行されており、ホテルやジム、劇場などへのアクセスに広く利用されている。
 イギリスでは、ボリス・ジョンソン首相が、夏の休暇シーズンまでにワクチンパスポートを導入する方針を打ち出した。接種者を優先して海外渡航を復活させていく。2021年6月末以降は、スタジアムや劇場への定員までの入場を許可する。
 エストニアでは、ワクチン接種証明書所持の旅行者には、検疫・隔離措置を免除する。デンマーク、スウェーデンなどの北欧諸国も、独自のデジタル・ワクチンパスポートを発行する。
 EUは、夏までにワクチンパスポートの発行を計画している。日本からEUを訪れる場合、搭乗の際にワクチンパスポートの提示が求められる可能性がある。
 中国は、中国製のワクチン接種者に限って隔離なく入国を認めるという構想を発表している。
 アメリカ・ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事は、2021年3月26日、新型コロナワクチン接種済みあるいは検査で陰性だったことを州内で証明するモバイルアプリ「Excelsior Pass」を無料で公開したと発表した。
 2月のG7サミットも、ワクチンパスポートについて統一制度の導入を参加国に訴えた。

日本政府は消極的
 日本でも全日本空輸が、国際航空運送協会(IATA)によるデジタル証明書アプリの導入を進めている。
 ただし、日本政府はあまり積極的ではない。
 河野ワクチン接種担当大臣は、2021年2月21日のテレビ番組で、ワクチン接種済み証明書に否定的な見解を示し、「証明書を持っていなければ何かができない、という制度をつくることに意味はない」と強調した。
 しかし、3月15日の参院予算委員会では、「国際的にワクチンパスポートが必要という状況になれば、日本も検討せざるを得ない」と方向転換した。ただし、「国内で接種証明書を使うことは考えていない」とした。

2つのタイプのワクチンパスポート
 「ワクチンパスポート」と言われているものの中には、性質が異なる2つのものがある。これらが区別されずに議論されると、混乱する。
 一般の人が「ワクチンパスポート」として想像するのは、ワクチンの接種を受けた場合に、その事実をスマートフォンで表示して証明してくれる仕組みだ。これを「接種証明型」と呼ぼう。この証明を持っている人は、コロナに対する抗体を獲得していることになる。
 これを政府が発行すれば、それを提示することによって、行動規制を解除できる。集会に参加したり、レストランなどにも入れる。コロナ後の世界に向かって、感染の拡大防止と経済活動の再開を両立させる最強の手段と考えられる。
 ニューヨーク州で導入されたのは、このタイプのものだ。ワクチン接種を受けた人が、店を訪れたり、イベントに参加したりするため証明書となる。
 しかし、「ワクチンパスポート」と言われているもののすべてが、そのようなものではない。
 例えば、全日空が実証実験したというのは、海外旅行者が出発前にPCR検査を受け、その結果をデジタル化し、パスポート番号とともに示す仕組みだ。目的地での入国条件の証明に使用する。これを「渡航型」と呼ぼう。
 全日空の場合は、スイスの非営利団体と世界経済フォーラムが推進するプロジェクト「コモン・トラスト・ネットワーク」が開発したアプリである「コモン・パス(CommonPass)」が使われる。
 この証明は、「接種証明型」に比べると簡単にできる。しかし、証明を持っている人が抗体を獲得しているかどうかは分からないので、「接種証明型」に比べれば、効力は弱い。
 今後はPCR検査結果に加え、ワクチン接種証明としても機能するよう検討されているが、現在ではその機能はない。
 前述したように、EUなどでは、ワクチン摂取の証明を要求する可能性が高い。それを考えると、「渡航型」ではなく、「接種証明型」のワクチンパスポートが必要とされるだろう。
 国内では、地方公共団体が発行する紙の接種証明書を持ち歩けばよいかもしれない。ただし、その場合には、本人を証明する書類も別途提示しなければならず面倒だ。またトラブルも起きるだろう。だから、国内でも、スマートフォンにQRコードなどで示せる接種証明が望ましい。

日本政府はなぜ消極的なのか?
 ワクチンパスポートに日本政府が当初否定的だったのは、マイナンバーカードによるワクチン接種管理が頓挫した直後だったからだろう。
 ところが、EUなどでワクチンパスポート導入の動きが活発化し、海外渡航者に必要となる可能性が出てきたため、対応せざるを得なくなったのだろう。
 ただし、考えられているのは、「渡航型」のものであると報道されている。そして、認証の基準を決定する際に、EU証明書と世界経済フォーラムが提唱する「コモン・パス」を参照すると報道されている。
 日本政府は「接種証明型」のワクチンパスポートは、依然として否定している。なぜ、このように消極的なのだろうか?
 考えられる第一の理由は、「接種証明型」のパスポートをつくるには、ワクチン接種記録のデータベースが必要であり、その構築が容易でないことだ。
 なぜ難しいのか?
 日本の場合、ワクチン接種は地方公共団体が行っており、全国統一の仕組みはない。
 しかも、接種の際の本人確認は、マイナンバーカード、運転免許証、健康保険証など、さまざまな手段で行われている。
 このような状態では、国がワクチン接種証明をしようとしてもできない。
 仮に、ワクチン接種管理をマイナンバーで行っていれば、国全体の統一したデータベースができていたかもしれない。しかし、本章の2で述べたように、これは2021年1月に断念したことだ。

接種記録システムVRSでできるデータベースを活用できないか?
 これについて、一つの進展があった。国(内閣官房IT総合戦略室)が整備するワクチン接種記録システムVRS(Vaccination Record System)が、4月12日から稼働したことだ。
 これまでの予防接種では、手入力や外注によってデータ化していたため、自治体の予防接種台帳に記録されるまでに2〜3カ月を要していた。VRSは、ワクチン接種時に接種会場で国が配布する専用のタブレットを使用し、地方自治体が発行する紙の接種証明書を読み取る。すると、接種情報が接種記録システムに登録される。必要な時間は、1件あたり数秒。こうして、接種記録をデジタル化して管理することが可能になった。
 このデータベースを用いれば、接種の記録を追跡できる。例えば、運転免許証証で本人確認をした人は、免許証番号と氏名との組み合わせで検索すれば、必ずその人の接種記録が出てくる。したがって、原理的には、「接種証明型」のワクチンパスポートを構築することができるわけだ。
 証明書をほしい人は、国が運営するワクチンパスポートのサイトにスマートフォンでアクセスして、マイナンバーカードを読み取らせる。そして、住所、氏名、ワクチンの接種場所のほか、接種の際に本人確認として用いた情報を入力する。例えば、運転免許証で本人確認した場合には、運転免許書の番号を入力する。すると、VRSのデータベースを参照して、その運転免許証番号の人が接種したかどうかを確認できる。こうして、接種記録とスマートフォンの持ち主が紐づけられることになり、スマートフォン上に証明書を表示することができるわけだ。
 ただし、この方式で証明を得られるのは、マイナンバーカードを持っている人だけだ。マイナンバーカードなしでも証明の発行は可能だが、本人確認が不十分だと、問題が起きるかもしれない。
 ところが、実際に運用が始まってみると、どうもおかしい。首相官邸ホームページに掲載されている「これまでのワクチン総接種回数(高齢者、都道府県別)」によると、4月21日までの10日間での高齢者の接種済み者は、全国で3万9306回となっている。
 日本の65歳以上の高齢者の数は約3617万人である。これは、3万9306人の920倍だ。このペースだと、高齢者の一回目の接種が完了するまでに、9200日、つまり、約25年間かかる!
 5月20日に再び調べたところ、4月12日からの累計で、1回目完了が166万人(高齢者の4・6%)となっている。加速はしているのだが、この数字で計算しても、高齢者の接種完了に900日近くかかる。つまり、3年近くかかる。絶望的な数字であることに変わりはない。
 ワクチン接種は、命に関わる問題だ。それに関するデータシステムがこのような状態であるのは、大問題だ。
 これでは、ワクチンパスポートなど作成できない。最大の謎は、このような事態に対して、政府から何の説明もないことだ。

プライバシーは確かに重要な問題
 日本政府が「接種証明型」のワクチンパスポート発行に消極的な理由として第2に考えられるのは、プライバシーの問題だ。
 ワクチンパスポートは、プライバシー上の重大な問題を引き起こす可能性がある。なぜなら、ワクチンを接種しなかったのは、健康上の問題があったためかもしれないからだ。
 ワクチン接種の有無で集会への参加などを制限すれば、ワクチン未接種者への差別にならないか?
 アメリカ連邦政府は、「連邦政府は、アメリカ人のプライバシーや権利が守られるべきだというシンプルな考えを持っている。人々を不公平に扱うことはない」とし、「アメリカ人に証明書を持ち歩かせるようなシステムは支持しない」との考えを示した。
 ところで、問題は、それだけでない。もう一つの問題は、「そのような微妙な健康上のデータを国が管理してよいのか?」ということである。
 ただし、この問題については、解決策がある。それは、マイナンバーカードのような中央集権的仕組みではなく、ブロックチェーンを用いることだ。
 これについては、ニューヨーク州の仕組みが参考になる。

ニューヨーク州は、ブロックチェーンを使う
 ニューヨーク州が導入した「エクセルシオール・パス」は、IBMが開発したブロックチェーンを用いる。
 ワクチン接種を受けた人が店を訪れたり、イベントに参加したりするための証明書となる。まさに、先に述べた「接種証明型」のワクチンパスポートだ。
 証明書を取得するには、ニューヨーク州が運営するエクセルシオール・パスのウェブサイトにアクセスする。
 そして、名前、生年月日、郵便番号、ワクチン接種情報(場所、種類、接種日)、検査情報(場所、種類、検査日)などを入力する。すると、QRコード付き証明書が取得できる。
 ニューヨーク州は、「ブロックチェーンや暗号化などの安全な技術がエクセルシオール・パス全体に組み込まれており、データは保護され、検証可能であり信頼できるものになってる。アプリ内で個人の健康データが保存されたり追跡されたりすることはない」としている。

韓国もブロックチェーンを用いたパスポート
 同様の仕組みは、ほかでも試みられている。
 韓国でもブロックチェーンを用いたパスポートを検討している。
 また、世界的な危機管理サービス企業のインターナショナルSOSは、国際商業会議所(ICC)と連携して、「AOKpass」を立ち上げている。このアプリは、ブロックチェーン技術を活用して、利用者の健康状態を保存するものだ。2020年9月に、パキスタン発アブダビ行きの路線で最初の運用試験が行われた。
 アメリカでは、マイクロソフトやオラクル、ロックフェラー財団が支援するNPOコモンズプロジェクトなどの有志連合「Vaccination Credential Initiative」(VCI)が、世界共通のデジタル・ワクチンパスポートの開発を進めているが、VCIとブロックチェーンを用いたワクチンパスポートの開発も行われている。
 以上で述べたブロックチェーンを用いるワクチンパスポートは、分散型IDの一種である。データは、中央集権型組織が管理するのではなく、自分が管理する。そして必要になったときにそれを相手に示すのだ。

究極のガラパゴス?
 日本はワクチンの開発を行うことができなかったし、接種も先進国の中で最下位に近いほど遅れた。
 そして、ワクチンパスポートも、発行されるのかどうか、本稿執筆時点では不確実だ。
 ブロックチェーンを用いてプライバシーを保護しつつ接種を証明できる仕組みが開発されつつあるにもかかわらず、そうしたものが必要だとの議論さえ起こらない。
 ワクチンパスポートに関するこうした現状は、ポストコロナに向かっての社会の正常化が大きく遅れることを意味する。
 世界の多くの人々がワクチンパスポートを獲得して自由に移動したり集会に参加できるようになっても、日本人はできない。
 これまで、日本独自の奇妙なシステムを表わすのに、「ガラパゴス」という表現がよく使われた。
 ワクチンパスポートをめぐる日本の状況を見ていると、天を仰いで、「ガラパゴス、ここに極まれり!」と嘆息せざるを得ない。


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