『戦後日本経済史』全文公開:はじめに
『戦後日本経済史』 (東洋経済新報社)が6月25日に刊行されました。
これは、はじめにの全文公開です。
はじめに
私たちの世代の記録を残したい
私たちの世代は、戦後日本の復興と高度成長、そして1990年代以降の日本経済の停滞と衰退を目の当たりにした。いま振り返れば、経験したさまざまな事柄が、日本と世界の大きな変化の一部だったと実感する。戦後のすべての期間にわたる日本経済の歴史を、自らの経験と重ねて語ることができるのは、我々の世代が最後になる。だから、我々は、その記憶を語る必要がある。そしてそれを、日本の将来を築く用に供する必要がある。
ある出来事がどれほどの重要性を持つのか? それは、「良いこと」だったのか「悪いこと」だったのか? 「成功」だったのか「失敗」だったのか? これらの評価は、私の判断による。その判断は、世の中の一般的な評価と食い違っていることもある。
食い違いは、90年代以降について顕著だ。この時代のさまざまな出来事や政策に対して、人々が受け入れていることを、私は否定的に評価している場合が多い。
日本人はトミーノッカーズになったのか?
戦後80年間を振り返ると、ある時点から日本の社会が「ヘンになった」という感覚を払拭できない。
ある時点まで、日本人は貧しかったが、勤勉に働いた。それは、相応に報われた。社会を指導する人々は、尊敬すべき人格の人たちだった。
政策もそうだ。日米安保条約は学生運動の対象となったが、私にはまともな方向と思われた。所得倍増計画も健全な経済政策だった。石油ショックへの対応も適切だった。
しかし、あるときから、日本人の考えがおかしくなった。社会を指導する立場にいる人たちの考えも、尊敬できるものとは考えられなくなった。そして、日本全体が間違った方向に進んでいると思えてならなかった。
こうした変化を最初に感じたのは、1980年代後半のバブルの時代である。地価が暴騰し、いくら働いてもささやかな「わが家」が手に入らなくなった。その半面で、投機でいくらでもあぶく銭を稼げると、多くの人が考えた。
バブルが崩壊してしばらく経ってから気がついてみると、世界における日本の地位が、大きく下がっていた。それなのに、多くの日本人は、日本が依然として世界一だと考えていた。
経済政策についてもそうだ。どう考えても効果があるとは考えられない政策が、社会に受け入れられた。その典型が、アベノミクスと異次元金融緩和政策だ。「日本銀行が国債を大量に買い入れれば、日本が豊かになる」という政策を、人々は受け入れた。
スティーヴン・キングの小説に、『トミーノッカーズ』というのがある。宇宙のどこかから来た正体不明の化け物の宇宙船が発する放射線のために、町中の人が同類にされてしまうという話だ。キングは、前書きで、「これは架空の物語だが、トミーノッカーズは実在する。これを冗談と思う人は、ニュースを聞いていないのだ」とわざわざ断っている。
私は、日本人はトミーノッカーズになっていないと信じているが、それは、ニュースを注意深く聞いていないためかもしれない。
10年前、日本は世界第3位の経済大国だった
2015年に、私は『戦後経済史』を東洋経済新報社から上梓した。この年は、戦後70 年にあたる。いま読み返してみると、それから10年間に、世界が大きく変化したことに驚く。
15年には、GDP(国内総生産)の規模で、日本は、アメリカと中国についで、世界第3位だった。中国のGDPは、すでに10年に日本のGDPより大きくなっていたが、差はそれほど大きくなかった。しかし、いまや中国のGDPは日本の約4・5倍だ。
そして日本は、ドイツに抜かれ、世界第4位になった。IMF(国際通貨基金)の予測によると、25年にインドに抜かれて、世界第5位になる。近い将来に、イギリスやフランスに抜かれる可能性もある。
一人当たりGDPで、韓国と台湾に抜かれた
GDPの規模より重要なのは、一人当たりGDPで表される国の豊かさだ。
G7サミット(主要7カ国首脳会議)諸国の一人当たりGDPを見ると、2015年においては、日本は第6位だった。2000年には日本はG7諸国中のトップだったので、この時点ですでに日本の凋落は顕在化していたのだが、さらに驚くのは、15年と24年との比較だ。
この間に、日本以外の国の一人当たりGDPは、大幅に増加した。アメリカは、実に50%の増加だ。ヨーロッパ諸国も、イタリア以外は、20%台後半から40%台の増加だ。ところが、日本の一人当たりGDPは、この間に約5%減少した。つまり、この10年間、日本経済は歩みを止めたどころか、逆行したのだ。いまや、OECD(経済協力開発機構)加盟国38カ国中で、日本は第22 位だ。
成長しているのは、G7諸国やOECD加盟国だけではない。アジア諸国・地域の成長はもっと顕著だ。日本は、24年に一人当たりGDPで韓国や台湾に抜かれた。こんな事態になろうとは、10年前には考えたこともなかった。この10 年間に、世界の多くの国々が成長を遂げた。そして、日本の相対的な地位が低下した。
アベノミクスが導入された年である13年において、スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)が作成する「世界競争力ランキング」で、日本は世界第24位だった。14年には第21位だった。しかし、15年からつるべ落としに下落し、24年では、世界の67カ国・地域中で、第38位にまで落ち込んだ(第11章参照)。
「同じ場所に留まるには、一所懸命に走らねばならぬ。もし別の場所に行きたいのなら、その倍の速さで走らねば!」
これは、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』で、赤の女王が発した言葉だ。私はこれを「赤の女王の相対性原理」と呼んでいたのだが、最近では、キャロルが21世紀の日本を予測して、日本人に向けて発した警告ではないのかと思えてきた。
この10年間、日本では時計が止まっていた
この10年間に、世界は驚くほど変わった。それにもかかわらず、日本では、時間の進行が止まったかのようだった。そして、10年前の思考法と基準・尺度から脱却することができなかった。
最近、それを痛感させられるニュースが2つあった。
1つは、2024年5月に、テレビ向け液晶パネルを生産するシャープ堺工場が操業を停止し、大型液晶パネルの生産から撤退したとのニュースだ。
シャープは16年に債務超過に陥り、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入った。その後、シャープについてのニュースを聞くことがなかったのだが、赤字の原因になった液晶パネルの生産からはとうに撤退したものと思っていた。しかし実際には、この8年間、液晶パネルの生産は変わりなく続けられていたのだ。この記事の見出しは、「遅すぎた撤退」というものだった。
もう1つは、日本銀行が、24年12月に、過去25年間の金融政策を検証する「金融政策の多角的レビュー」を公表し、13年に導入された異次元金融緩和政策は、「導入当初に想定していたほどの効果は発揮しなかった」としたことだ。
しかし、異次元金融緩和政策は、2年間で目標を達成するとしていたのだから、効果がないことは、15年の時点で、「多角的レビュー」を実施するまでもなく、明らかだった。だから、その時点で終了すべきだった。ところが、実際には、それから約10年間、日銀は失敗した金融緩和政策に固執し続けた。日銀の行内では、10年間、時計が止まったままだったのだろうか?
世界はこの10年間に大きく変わった。しかし、日本では時計の針が止まっていたので、何も変わらなかった。日本の地位が大きく低下したのは、当然のことだ。
Curiouser and curiouser
『不思議の国のアリス』で、不思議の国に迷い込んだアリスは、「curiouser and curiouser(ますます不思議になる)」という有名な言葉を発している。日本経済の過去10年間を振り返ると、この言葉は、日本が抱える深刻な諸問題に対する日本政府や日本銀行の対応ぶり─正確に言えば、不対応ぶり─と、政権が次々に打ち出す意味不明で摩訶不思議なスローガン(「令和版所得倍増計画」「新しい資本主義」「デジタル田園都市国家構想」「令和版列島改造計画」等々)を予見し、それらを形容する言葉としてキャロルが創作したものではないかと思えてくる。
仮にキャロルが生きていていまの日本を見たら、アリスの言葉を修正して、「curiouser and curiouser, and more and more curiouser」と書いたに違いない。
2015年版との違い:日本衰退の原因分析
いま反省すれば、2015年に刊行した『戦後経済史』は、戦後復興と高度成長、そしてバブルの描写が中心になっており、1990年代以降の日本経済衰退の問題を解明できていなかった。そもそも、この衰退が長期的で重大な問題であるとの認識が不十分だった。
日本の衰退について論じているのは、同書の286~295ページと、エピローグ(307~321ページ)のみ。賃金の長期停滞を、図表6─2ではっきりと示しているにもかかわらず、それを重大問題として論じなかった。何という問題意識の浅さかと、いま読み返して不思議に思う。
以上を踏まえて、本書の内容は、日本が没落する過程の分析が中心になる。
2015年版『戦後経済史』のエピグラフで、私はゲーテの『ファウスト』の冒頭にある言葉を引用した(1)。私が実際に経験したときにはよく見えなかったものが、『戦後経済史』を書く過程で見えるようになったと感じたからだ。しかし、いま振り返れば、その時の見方はなんと不十分だったかと痛感せざるをえない。本書の最大の目的は、それを補うことだ。
本書のエピグラフでは、T・S・エリオットの詩を利用した。なぜこの詩を引用したのか? それについては、第12章の最後で述べることにする。
(1)Ihr naht euch wieder, schwankende Gestalten! Die früh sich einst dem trüben Blick gezeigt. Versuch ich wohl, euch dismal fest zu halten?(Faust. Zueignung).
昔、私の曇った眼に映ったことのある定かならぬ姿が、再び私に近づいてくる。されば、こたびこそ、汝らを確実に捉えよう(『ファウスト』、献呈。野口悠紀雄訳)。
本書の各章の概要は、つぎの通りだ
第1章 焼け跡からの復興
私の家族は、1945年3月の東京大空襲を奇跡的に生き延びた。
終戦(45年)から朝鮮戦争が始まる50年頃までは、日本が復興を遂げた時代だ。
私は高校生のときに、世界を動かしているのは物理学だと考えていた。この背後にはスプートニクの打ち上げがある。映画『遠い空の向こうに』の主人公と同じ考えだ。このため工学部に進学した。
第2章 奇跡の高度成長
1950年代半ばから、日本は奇跡的な高度成長を実現し、産業構造も生活環境も、大きく変わった。東京オリンピック、新幹線、高速道路などは、日本が先進国の仲間入りをしたことを象徴する。
ニクソン・ショック、変動為替相場制への移行などを経て、世界経済が大きく変貌した。日本は、アメリカを抜いて、世界のトップに上り詰めた。さまざまな機会が次々に開けていくのを実感した。私たちの世代は、このような社会で働くことができた恵まれた世代だった。
73年に石油ショックが起き、高度成長が終わった。これは、日本経済に重大な影響を与えるはずだったのだが、日本は適切に対応できた。
第3章 「世界一の日本」とバブル。そして崩壊
石油ショックを克服した日本の国際的な地位は上昇し続けた。日本人は自信を持ち、それまでの謙虚な態度を失った。
国際的な研究会が頻繁に開かれた。テーマは、日本はなぜ強いのか? アメリカやイギリスはなぜダメなのか? といったことだ。
日本型経済システムとは何かについて、多くの支持を受けたのは、通商産業省が指導して日本経済を成長させたという考え(「日本株式会社論」)だ。それに対して私は、戦時体制として導入された制度改革が、戦後の日本にうまくマッチしたという「1940年体制論」を主張した。
そしてバブルの時代が始まった。地価と株価がどこまでも上がり続けると、多くの日本人が信じた。私は、これはバブルであると指摘した。
第4章 1995年:日本病の始まり
日本の経済指標は、1995年に突然天井にぶつかり、それ以降、長期の停滞過程に入った。なぜこうした変化が起きたのか? これを解明することは、長期停滞から脱出するための重要な課題だ。停滞の原因として通常指摘されるのは、バブルの崩壊による銀行貸し出しの減少だ。しかし、本書は、この考えに対して否定的な意見を述べる。
第5章 中国工業化とデジタル敗戦
日本経済の長期停滞をもたらした本当の原因は、1980年代からの世界経済の大きな変化に、日本が対応できなかったことだ。
変化の第1は中国の工業化であり、第2はアメリカで起きたIT革命だ。日本がナンバーワンと持て囃されている間に、世界が大きく変化した。
日本はこれらに対応して、経済構造を大改革することが必要だった。しかし、それによる社会的摩擦を恐れて、改革を拒否した。そして、高度成長期の経済社会体制を温存しようとした。
第6章 外需依存成長からリーマンショックへ
日本政府は、円安によって従来型の産業構造を延命させる政策をとった。これが、日本を衰退させた基本原因だ。
2000年代初めの大規模円安介入の結果、自動車産業や鉄鋼業が復活した。これは「外需依存型の経済成長」と呼ばれた。輸出が増加したのは、円安だけによるものではなく、アメリカで生じた住宅価格バブルと密接に関連して、アメリカ人の自動車購入が増えたからだ。このメカニズムは、リーマンショックによって崩壊した。
リーマンショックは、円安政策が機能しないことを示すものであったのだが、日本ではそのようには理解されず、円安に対する要求がますます強まった。
第7章 日本の製造業は、垂直統合と官主導で衰退した
中国の工業化とIT革命によって、世界的な水平分業化が進んだ。アメリカの製造業はファブレス化した。しかし、日本の製造業は、垂直統合型の大規模工場の建設に突進した。2000年頃から、製造業が国の補助政策に依存する傾向が顕著になった。
第8章 大規模金融緩和で、日本の劣化が進んだ
2013年に異次元金融緩和が導入された。消費者物価上昇率を2年以内に2%に引き上げるという目標は、誤りだった。また、国債購入によって物価を上昇させるという手段も誤りだった。
この政策の本当の目標は、円安によって企業利益を増やすことだったと考えられる。円安で利益が増えたので、企業は技術革新を怠り、日本の劣化が加速された。
日本が失敗した基本的な原因は、経済構造の大きな改革が必要だったにもかかわらず、それを行わず、円安という安易な手段に依存したことだ。
第9章 賃金が、30年間も上がらなかった
1995年以降、日本では名目賃金が上がらず、実質賃金は傾向的に下落した。つまり、日本人は、貧しくなった。
この間に、付加価値に対する賃金の比率はほとんど一定なので、賃金に対する分配率が低下したわけではない。だから、これは、労使交渉では解決ができない問題だ。継続的な実質賃金の引き上げのためには、生産性向上が不可欠だ。
第10章 老いる日本が負う過去の成功の重み
本書のテーマは歴史だから、過去のことを論じればよいので、未来を論じる必要はないと言えるか? そうではない。過去を論じるのは、未来に影響を与えるためだ。未来は、歴史の理解なしには成り立たない。
人口の高齢化や社会資本の劣化にどう対処するかが、未来に向かっての日本の大きな課題だ。
第11章 世界トップだった日本の競争力は、いま世界最低に近い
競争力の世界ランキングに見る日本の地位の低下は、日本の経済指標の落ち込みと見事に一致している。1980年代には世界一だった日本の順位は、その後、ほぼ継続的に低下した。また、アベノミクスの導入以後、地位低下が加速した。いまや世界最低レベルに落ち込んでいる。とりわけ問題なのは、上級管理職の国際感覚だ。
第12章 終わりが始まりである
一人当たりGDPがOECD加盟国の平均値以上であることは、先進国であることの条件であると考えることができる。そこで、OECD平均を1とするグラフを描いてみると、日本の曲線は1970年代の初めに1を超えた。つまり、日本は先進国の仲間入りを果たした。この曲線は、95年頃を軸とする左右対称形になる。つまり、95年以降の日本は、それまでの歴史を逆行してきた。そしていま、日本は先進国の仲間入りをした70年代前半に戻った。この趨勢が今後も続けば、日本は先進国の地位から滑り落ちることになる。我々は、これからの歴史を、新しい可能性を追求する過程となしうるだろうか?
2025年3月
野口悠紀雄

