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第4章:独立して見えた「個」の生存戦略。

第1章から第3章にかけて、私は「規格外の肯定」「引き算という技術」「意志の仕分け」について語ってきた。これらはすべて、私が20年という歳月をかけて、デザインという荒野で拾い集めてきた知恵の断片である。

本章では、よりパーソナルな視点に立ち、組織という安全な規格を脱ぎ捨て、一人の「個」として生きる道を選んだ私の生存戦略についてお話ししたい。これは単なる独立の記録ではない。変化の激しい現代において、自分らしくありながら社会と繋がり、持続可能な表現を続けるための「生き方のデザイン」の記録である。


組織という「規格」を脱ぎ捨てた日

10年務めたデザイン事務所を辞めたとき、私の手元に残ったのは、数枚のポートフォリオ。そして「自分は、何者でもない」という、喉の奥がヒリつくような不安だけだった。

組織の中にいれば、私は「デザイナー」という既成の規格の中に収まっていられた。会社で獲得した案件を、会社の看板を背負い、組織のルールに従って整える。そこには守られた安心感があり、ある種、整えられた環境の「ハウス栽培」のような安全圏が存在していた。適度な温度、栄養のある土壌、そして外部の風雨を遮るビニール。その中で育つことは、プロフェッショナルとしての基礎を固める上では極めて有効な時間だった。

しかし、大阪の片隅でondという一人だけの事務所を立ち上げた瞬間、そのビニールは跡形もなく消え去った。私はむき出しの「個」として、雨風の吹き荒れる荒野に放り出されたのである。

そこで突きつけられたのは、あまりにも単純で、重い問いだった。
「あなたに頼む理由は、何か?」

「綺麗に作れます」「納期を守ります」といった、教科書通りのまっすぐな言葉は、独立した個人の世界では挨拶にすらならない。なぜなら、その程度の価値であれば、より安く、より速く、より大きな組織がいくらでも提供しているからだ。マーケットという名の荒野において、均一な「まっすぐなキュウリ」になろうとすることは、自らコモディティ化の渦に飛び込むようなものだった。


「選ばれない理由」が、実は「選ばれる理由」だった

独立して最初の数ヶ月、私は必死に「プロフェッショナル」の皮を被ろうとしていた。欠点を見せず、弱音を吐かず、あらゆる要望に100点満点で応えられる万能なデザイナー。そんな完璧な自分を演じていたのである。

来るもの拒まず、何でもします!何でもデザインやってます!という構え方だった。選んでる場合じゃない状態だった。

しかし、不思議なことに、そんな「角の取れた自分」に興味を持ってくれる人は誰もいなかった。完璧に整えられたプレゼン資料、そつなくこなす進行、破綻のないデザイン。それらは、誰からも否定されない代わりに、誰の心も動かさなかったのである。

転機は、あるクライアントから言われた一言だった。「君の作るものは、時々すごく“面倒くさい”よね。でも、その面倒くささが、今のうちの商品には必要だと思うんだ」

一瞬、ショックを受けた。自分では完璧に整えていたつもりが、隠しきれなかった自分のこだわりや執着、そして効率の悪さが、相手には「面倒くささ」として漏れ出していたのだ。しかし、その瞬間に視界が開けた。ずっと隠そうとしていた自分の「歪み」こそが、実は他者から見た私の「価値」であり、唯一無二の魅力だったのだ。

万人から好かれるために形を整えるのをやめ、自分の歪みを隠さず、むしろその歪みを愛してくれる人だけを探す。これが、私が最初に掴んだ個としての生存戦略だった。独立して生きるとは、自分を規格に合わせることではなく、自分という規格を世界に提示することだったのである。


ギルド型組織:個の才能が共鳴し、最高打点を生むチーム

自社においては、固定の正社員という形に縛られず、極めて柔軟で強固なチーム編成を敷いている。これは単なる組織の規模の問題ではなく、常に最高のパフォーマンスを発揮するための戦略的な選択なのだ。

プロジェクトごとに、私が全幅の信頼を置くフォトグラファー、エンジニア、イラストレーターといった「外部の脳」と強力なタッグを組む。彼らはそれぞれ、自身の専門領域において「特化した才能(歪み)」を持つプロフェッショナルである。自分一人の規格の中に閉じこもるのではなく、こうした尖った才能たちと深く交わることで、一人では決して到達できない高さへとデザインを飛ばしていくのだ。

一人のディレクターとして私が担うべき役割は、単なる管理や命令ではない。クライアントから預かった大切な素材の泥を丁寧に落とし、その芯にある輝くような個性をチーム全員で共有することである。「この歪みを、どうすれば世界で最も美しく見せられるか」という一点に向けて、関わるメンバー全員の熱量を束ね、共鳴させていく。

それぞれの分野で自立したプロたちが、共通の目的のために集い、最高の仕事を完遂してはまた次へと軽やかに動いていく。この「ギルド型」のあり方こそ、変化の激しい現代において、最も純度の高いクリエイティビティを発揮できる形であると確信している。

自分の限界を認め、他者の個性を深く信頼すること。そして、それぞれの才能が最も輝く場所を設計すること。それもまた、余計な執着を削ぎ落とした「引き算」の先に見えてきた、新しい繋がりの形なのである。


YOGŪという「自社実験室」がくれた視点

デザイナーがクライアントワークだけに依存し続けることには、実はある種のリスクが潜んでいる。求められる期待、正解とされる最大公約数に合わせすぎるあまり、自分自身の「本当に作りたいもの」や「美しさの直感」が、いつの間にか麻痺してしまう恐れがあるからだ。他者の意志を形にするプロフェッショナルであればあるほど、その献身性が、自分自身の核となる創造性を削り取ってしまう皮肉が生じる。

私が知覧茶のブランド「YOGŪ(ヨグ)」を自ら立ち上げ、運営し続けているのは、単なるビジネスの多角化やサイドビジネスのためではない。自分のデザイン思想を、100%純粋な形で注ぎ込み、検証することができる「実験室」が必要だったからだ。

ここでは、クライアントワークでは到底提案できないような仮説を、自らのリスクで実行に移すことができる。

  • 「説明的な要素をすべて排し、余白を極限まで広げた時、人の心はどう動くのか?」

  • 「効率や利便性をあえて捨てて、『手間を売る』という不便さに、価値を見出す人はいるのか?」

これらの問いに対して、私は自ら資本を投じ、自らの手で茶葉を包み、発送ラベルを貼り、顧客の手元に届くまでのすべての責任を負うことで答えを出してきた。

それは、机上の空論ではない。経営者として、売上の増減に一喜一憂し、在庫の重みに神経を尖らせる。そうした切実な「痛み」と、感想のレビューに救われる「喜び」を実体験として刻み込むことで、私のデザインには変化が訪れた。クライアントに対して提案する言葉の一つひとつに、かつてなかった重みと、同じ地平に立つ伴走者としての体温が宿るようになったのである。

「デザインを売る人」から、「ブランドを生きる人」へ。

この立ち位置の転換こそが、私の生存戦略をより強固なものにした。自らの哲学を全身全霊で体現する場所を持つことは、結果としてクライアントワークの質を押し上げ、より深い信頼関係を築くための揺るぎない土台となったのである。自社ブランドという鏡を持つことで、私はデザイナーとして、そして表現者としての自分を、常に研ぎ澄まし続けることができている。


20年目の「整理」:デザインは、生き方そのものになる

20年前、駆け出しのオペレーターだった頃の私は、コンマ数ミリの文字のズレを直すことに全神経を注いでいた。画面を限界まで拡大し、タイポグラフィの美しさを1ピクセル単位で追い求める。そのディテールへの執着は、今も私の血肉となり、プロフェッショナルとしての土台を支えている。しかし、キャリアを重ねた今の私が向き合っているのは、もはや視覚的な整列だけではない。それ以上に「人生のズレ」や「ブランドの迷い」といった、より根源的な歪みを整理することに重きを置いている。

かつての私にとって「デザイン」とは、見栄えの良いビジュアルを作り上げることと同義であった。しかし、20年という月日を経て、その定義は大きく変容した。今の私にとって、デザインとは「生きる姿勢を整えること」そのものである。

それは、自分にとって本当に必要なものだけを見極め、不必要な虚飾を削ぎ落とす作業だ。世の中の「正解」に合わせて自分を矯正するのではなく、自分の内側にある「曲がった本音」を認め、その歪みを信じて一歩踏み出すことである。

このプロセスは、一冊のパンフレットを制作することも、新しいブランドを立ち上げることも、あるいは日々の暮らしの中で丁寧に茶を淹れることも、すべて同じ根っこで繋がっている。表面上の形を整える前に、まずは心の中の混濁を整理し、純度の高い意志を抽出する。その「生きる姿勢」が定まって初めて、デザインは単なる情報伝達の道具を超え、魂を宿した表現へと昇華されるのだ。

私が拠点とする大阪という街は、洗練された都市の顔を持ちながら、人間味と泥臭さが絶妙に混ざり合う、生命力に溢れた場所である。整いすぎた「規格品」よりも、個性がはみ出した「歪んだキュウリ」が愛されるこの街で、私はこれからも不器用な個性を慈しみ、磨き続けていくだろう。

情報の密度に押し潰され、整いすぎた世界に息苦しさを感じている人々へ。 私はデザインを通じて、心地よい違和感と、呼吸のできる風通しの良い余白を届けたい。

削ぎ落とした先にしか見えない景色がある。 整理の果てにたどり着く、潔い生き方がある。 20年という節目を越え、私は今、改めてその「整理」という名の創造に、静かな情熱を燃やしている。


「個」として生きる、その先にある景色

「個」として生きるということは、決して孤立し、孤独になることではない。

むしろ、自分を殺して「規格」の中に無理やり収まろうとしていた時の方が、よほど孤独だったのではないかと、今の私は思う。周囲の期待に応えるために自分の角を削り、誰からも否定されない代わりに誰の心にも触れられない「記号」になってしまうこと。それこそが、最も寂しい生き方だったのかもしれない。

勇気を持って自分の「歪み」を認め、それをさらけ出してみる。不完全で、時として不器用なその形を隠さずに提示したとき、不思議なことが起こり始める。その不揃いな形に共鳴し、「それが欲しかったんだ」と手を差し伸べてくれる誰かが必ず現れるのだ。その繋がりは、利害関係を超えた、深く静かな信頼に基づいている。

世界の決めた「正解」という名の規格は、一見すると心地よく、私たちを迷いから守ってくれる。しかしその内側で、どこか息苦しさを感じているのなら、ほんの一歩だけその外側へ踏み出してみてほしい。

そこには、既存のルールや誰かの引いた境界線に縛られない、あなただけの自由な場所が広がっている。

不必要なものを削ぎ落とし、自分の内側にある意志を丁寧に仕分け、最後に残った「自分自身の本音」と真っ向から向き合ったとき。あなたの目の前には、かつてないほど美しく、豊かな「余白」が広がっているはずだ。

その空白は、何もない場所ではない。あなたがこれから描き出す、新しい可能性を受け入れるための聖域である。

その余白に、次は何を描こうか。 整理の先にある、まだ誰も知らない新しい物語を、私はこれからもこの大阪の街で見つめ続けていく。


PHILOSOPHY
温度をもった生きたデザイン
ディレクションで音頭をとり、デザインで温度をあげる。

私たちは、ブランディングやビジュアルデザイン、コミュニケーションを通して、見た目以上に“伝わる”もの、“残る”ものをつくり続けます。
もし、さらに知りたい方がいらっしゃいましたら、私たち株式会社オンド のウェブサイトもご覧いただけると嬉しいです。ぜひお立ち寄りください。


PROFILE
折尾祐希 
クリエイティブディレクター・コピーライター

株式会社オンド 代表取締役
大阪・梅田を拠点に、事業とブランドの軸を骨太にする。導き手&伴走型。デザイン業界20年以上。引き算の美学とその裏側の泥臭い思考プロセスを綴っています。

HP:https://ond-ond.com
EC:https://yogu.jp/

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