サクッと山谷と吉原散策。
前回の記事の続きである。
最初に浅草に行った私達は、タクシーで山谷がある
荒川区南千住の泪橋交差点へと向かった。
泪橋とは、南千住駅付近にある小塚原処刑場に向かう罪人が近親者と最期の別れをして泪を流した橋と言うのが名前の由来らしい。
タクシーのおじ様が浅草辺りの出身の方ですごく詳しく説明して下さったのでサクッと訪問したのでまた散策に来たいなと思いました。

山谷とは、西成、寿町に並ぶ日本3大ドヤ街の1つである。
東京都台東区の北東部清川、日本堤、東浅草一体の通称。
日雇い労働者向けの簡易宿泊所が多く立ち並ぶ。(wiki)
ドヤとは、宿を逆さまに読んだことから簡易宿泊所のことをドヤと呼ぶ。

山谷と言えば昔は暴動などが起きて、ブイブイ言わせてた方が多かったが、今は高齢化で福祉のお世話になってる方が多いのだとか。
タクシーの運転手の方が「小さい頃は泪橋からあっちは親に行っちゃ行けないとか言われたけど、今の山谷は夜でも女性1人で歩ける安全な所だよ」と。
確かに周りを見てみると、お身体が不自由そうな高齢者の方が多い印象。
簡易宿泊所も安く泊まれるだとかで今では外国人バックパッカーの方も多いんだとか。

山谷の中を進んで行くと昔ながらのお弁当屋が。
そのお弁当屋に向かってピースとかポーズをとっている高齢者が、、、。これも山谷ならではなのだろうか?
山谷を土手通り目指して進んで行くと、

その左側には、

↑の建物は国の有形文化財に登録されている。
なんとも味わい深い建物である。
桜鍋は吉原へ向かう男性たちの精力付けの為に出されたのがきっかけだそう。
いつかは食べてみたいものである。

当時、吉原の出入り口は吉原大門しかなく、
馴染みの遊女への名残りおしさで客が振り返った事から
見返り柳と言う由来になったらしい。

吉原大門から吉原の内部までの道は少しカーブしている。
当時の幕府が、一般人が気軽に吉原を見られる事を風紀の乱れと考え、道をカーブさせる事によって見づらくさせたのだとか。

吉原の中に進んで行くと何人か黒服の方が立っていて電話しながら、「あー、ごめんなさい。直ぐに違う女の子向かわせます。チェンジで!」と。
どの世界も厳しいですね。

吉原を進んで行くとベンツとか高級車が多い。
一体何者なのだろうか?


今日1空気が重いなと感じた吉原弁財天。
関東大震災で多くの遊女が焼け死に、圧死、溺死した場所である。
彼女達の悲劇を供養するために観音像がある。

吉原遊郭は、江戸幕府公認の遊郭として当初は日本橋付近にあり、明暦の火災後、浅草寺裏に移転「新吉原」と言った。(wiki)
トルコ風呂からソープランドに変わったり、今もなお性産業として生き続けてる街である。
山谷、吉原。
まだ行き足りない場所があるのでまた追々散策するつもりである。
