サンフランシスコ近郊で起きた「地下の爆弾」サンブルーノ・パイプライン爆発事故
2010年9月9日、アメリカ・カリフォルニア州サンブルーノ。
サンフランシスコ国際空港からほど近いこの住宅街で、その日、多くの住民はいつも通りの夕方を過ごしていた。仕事から帰宅した人々は家族と夕食を囲み、テレビを見たり、子どもたちは宿題をしたりしていた。
しかし午後6時11分。
その平穏な日常は、一瞬にして消し飛ぶ。

地面の下から轟音が響き渡り、直後、巨大な火柱が住宅街の中心部から空へ向かって噴き上がったのだ。
目撃者の多くは「飛行機が墜落したと思った」と証言している。
実際、この爆発の衝撃はあまりにも大きく、アメリカ地質調査所(USGS)はマグニチュード1.1相当の地震として記録した。
原因は地下に埋設されていた天然ガスの高圧パイプラインだった。
直径約76センチにも及ぶ巨大なガス管が突然破裂し、大量の天然ガスが噴出。そのガスに引火したことで、住宅街の真ん中に巨大な火炎地獄が出現したのである。
爆発直後に発生した火柱は300メートル以上の高さに達したとされる。
これは東京タワーに匹敵する高さだ。
住宅街の中に突如として東京タワー級の炎が現れたと考えれば、その異常さが分かるだろう。
現場に駆けつけた消防隊も当初は状況を把握できなかった。
地震なのか。
飛行機事故なのか。
工場爆発なのか。
原因が分からないまま消火活動を開始するしかなかったのである。
やがて地下ガス管の破裂であることが判明するが、その時にはすでに火災は周辺住宅へ猛烈な勢いで延焼していた。
さらに不運だったのは、当日現地で強い風が吹いていたことだった。
噴き出し続ける天然ガスは巨大なバーナーのような状態となり、炎は次々と住宅へ燃え移っていく。
住民たちは何が起きたのか理解できないまま避難を余儀なくされた。
ある者は夕食の途中で。
ある者はテレビを見ている最中に。
ある者は家族との団らんの最中に。
命からがら炎から逃げ出した。
しかし、すべての人が逃げ切れたわけではなかった。

最終的に8人が死亡。
数十人が負傷した。
さらに35軒から37軒の住宅が完全に破壊され、周辺の住宅も大きな被害を受けた。
被災地の光景はまるで戦場だった。
爆発地点には長さ約51メートル、幅約8メートル、深さ約12メートルもの巨大なクレーターが形成された。
住宅街の道路には巨大な穴が開き、周囲の家々は吹き飛ばされていた。
まるで隕石が落下した後のような光景だったと証言する住民もいる。
だが、実際には空から何かが落ちてきたわけではない。
危険は何十年もの間、人々の足元に潜み続けていたのだ。
さらに消防隊を苦しめたのは、水道インフラの破壊だった。
爆発によって水道管も損傷し、消火用の水圧が不足したのである。
消防隊は遠方の消火栓からホースを延ばし、約1.2キロメートルもの距離をつないで消火活動を続けなければならなかった。
それでも火は収まらない。
なぜなら、ガス管からは燃料である天然ガスが供給され続けていたからだ。
通常の火災であれば燃える物がなくなれば鎮火へ向かう。
しかし、この火災は違った。
地下から燃料が供給され続ける巨大なガスバーナーだったのである。
消火活動には約200人の消防士が投入された。
警戒レベルは「8アラーム火災」。
これは地域で発生し得る最大級の緊急事態を意味する。
周辺自治体からも続々と応援部隊が到着した。
さらにカリフォルニア州森林消防局も出動し、消防車や航空機、ヘリコプターまで投入される総力戦となった。
それでも完全な鎮火には翌日午前までかかった。
住宅街は半日以上にわたり炎と煙に包まれ続けたのである。
だが、この事故の恐ろしさは爆発の規模だけではなかった。
その後の調査によって明らかになったのは、「防げたはずの事故だった」という事実だったのである。
犠牲者たちと懸命な救助活動

爆発が起きた瞬間、サンブルーノの住宅街は文字通り地獄と化した。
多くの住民は、自分たちの身に何が起きたのか理解する暇すらなかった。
突然の轟音。
窓ガラスが砕け散る音。
そして家の外を埋め尽くす炎。
避難できた人々の証言によれば、まるで戦争映画の中に放り込まれたような光景だったという。
アメリカ赤十字は直ちに避難所を開設し、被災者の受け入れを開始した。
地域のショッピングセンターや公共施設も避難場所として活用され、多くの住民が着の身着のままで逃げ込んだ。
また、地元の血液センターは緊急献血を呼びかけた。
重度のやけどを負った負傷者が多数発生していたためだ。
さらに地域住民たちも救助活動に加わった。
消防士だけでは手が足りない状況の中、住民たちはホースを運び、負傷者を車で病院へ搬送し、避難誘導を手伝った。
誰もが必死だった。
街を守るために。
家族を守るために。
隣人を助けるために。
しかし、その努力をもってしても失われた命は戻らなかった。
犠牲者の一人は20歳の女性、ジェシカ・モラレスだった。
彼女は当時、恋人ジョセフ・ルイゴメスの家を訪れていた。
ごく普通の夕方だった。
しかし爆発はその日常を一瞬で奪った。
ジェシカは命を落とし、恋人のジョセフは重度の熱傷を負った。
彼は約5か月もの長期間にわたり入院生活を余儀なくされる。
楽しい時間を過ごしていたはずの若い二人を襲った悲劇だった。
さらに、ジャクリーン・グレイグと13歳の娘ジャネッサも犠牲となった。
この事故で特に語り継がれているのがジャクリーンの存在である。
彼女はカリフォルニア州公益事業委員会の職員だった。
つまり、ガス会社やインフラ事業者の安全管理を監督する側の人間だったのである。
しかも当時、ガスパイプラインの安全問題について調査に関わっていた。
老朽化したガス管の危険性を理解していた人物が、そのガス管の爆発によって命を奪われた。
この事実は多くの人々に衝撃を与えた。
事故の残酷さを象徴する出来事だったと言える。
そのほかにも81歳のエリザベス・トーレス、82歳のラボンヌ・ブリスら高齢者が犠牲となった。
また、50歳のグレッグ・ブリスと17歳の息子ウィルも命を落としている。
一家が同時に失われた家庭もあった。
長年築き上げてきた人生が、わずか数秒で終わってしまったのである。
事故から数日後、被害を受けなかった住民たちはようやく帰宅を許可された。

しかし帰宅した先で目にしたのは、見慣れた街ではなかった。
焼け落ちた住宅。
焦げた自動車。
灰となった思い出の品々。
そこには以前の日常は存在しなかった。
住民の中には家だけでなく、家族や友人まで失った人もいた。
この事故は建物を焼いただけではない。
コミュニティそのものを深く傷つけたのである。
調査で明らかになった「人災」の正体

事故発生直後、警察や捜査当局は様々な可能性を検討した。
テロ事件ではないか。
故意の破壊工作ではないか。
実際に現場は一時的に犯罪現場として封鎖されている。
しかし調査が進むにつれ、真相は別の方向を指し始めた。
問題は地下のガス管そのものだった。
爆発前、一部の住民はガス臭を感じていたという。
つまり事故の直前にはすでにガス漏れが発生していた可能性が高い。
だが、それは巨大な問題の入り口に過ぎなかった。
調査官たちが最も驚いたのは、爆発したパイプラインの構造だった。
問題のガス管は1956年に設置されたものだった。
半世紀以上にわたり高圧ガスを運び続けていたことになる。
しかも現在のような一体成型の強固な鋼管ではなく、複数の鋼材を溶接して接続した構造だった。
調査では、その溶接部分に深刻な欠陥が存在していたことが判明する。
溶接の深さが不足している。
管の厚みが均一ではない。
強度にばらつきがある。
本来なら製造段階で発見されるべき問題だった。
だが、それらは何十年も見逃され続けていた。
そして需要増加に伴い、パイプラインには以前より高い圧力がかけられるようになっていた。
長年蓄積した疲労。
製造時からの欠陥。
老朽化。
それらが重なった結果、ついに限界を迎えたのである。
しかし本当に衝撃的だったのは、ここからだった。
調査によって、パイプライン管理会社PG&Eの安全管理体制そのものに重大な問題が存在していたことが明らかになったのである。
安全軽視の代償――PG&Eに下された厳しい裁き

事故調査が進むにつれ、人々の怒りは爆発そのものから、パイプラインを管理していたPG&E(パシフィック・ガス&エレクトリック)へ向けられていった。
なぜなら、この事故は単なる設備の老朽化では説明できなかったからだ。
調査の結果、PG&Eの管理体制には驚くほど多くの問題が存在していたことが判明する。
まず問題視されたのが記録管理だった。
本来であれば、ガス管がどのような構造で造られ、どのような検査を受け、どの程度の圧力に耐えられるのかを正確に把握していなければならない。
しかしPG&Eには、それらの重要な記録が十分に残されていなかった。
一部の配管については設計図すら不完全だった。
さらに耐圧試験の記録も曖昧だった。
つまり会社自身が、自社のインフラの状態を正確に把握していなかったのである。
調査官たちは愕然とした。

数百万人にガスを供給する巨大企業が、自分たちの設備をきちんと管理できていなかったからだ。
さらに衝撃的だったのは、事故現場周辺では過去に地震対策としてパイプライン更新工事が実施されていたことだった。
しかし工事は中途半端な状態で終わっていた。
新しい配管に交換された区間もあれば、古いまま残された区間もあった。
そして運命の悪戯のように、爆発した場所は更新されなかった古い配管だった。
もし工事が最後まで完了していれば。
もし優先順位が少し違っていれば。
そんな「もしも」が何度も語られる事故となった。
だが、問題はまだ終わらない。
2012年、カリフォルニア州の独立監査によってさらに深刻な事実が明らかになった。
PG&Eは本来、安全対策に使うべき資金の一部を別用途に流用していたのである。
報告書によれば、その額は1億ドル以上。
日本円で100億円を超える規模だった。
その資金の一部は経営陣の報酬やボーナスなどに使われていたとされる。
もちろん事故との直接的な因果関係を単純に断定することはできない。
しかし住民たちにとっては十分だった。
「安全より利益を優先した」
そう受け取られても仕方のない内容だったからである。
事故によって家族を失った人々にとって、その事実は爆発そのものと同じくらい許し難いものだった。
被害者や遺族は次々と訴訟を起こした。
最終的には100人以上の原告が集まり、20以上の法律事務所が関与する大規模訴訟へと発展していく。
そして2013年。
PG&Eは499人の被害者に対し、総額約5億6500万ドルを支払うことで和解した。
日本円では600億円を超える巨額賠償だった。
しかし、いくらお金を支払ったとしても失われた命は戻らない。
焼失した思い出も戻らない。
その事実は変わらなかった。
さらに州政府も厳しい姿勢を示した。
2015年、カリフォルニア州公益事業委員会はPG&Eに対して16億ドルという史上最大級の制裁金を科している。
日本円に換算すれば2000億円を超える規模である。
だが企業の不祥事はまだ終わらなかった。
2014年には、規制当局とのやり取りの中で不適切な働きかけが行われていたことが発覚した。
裁判や行政手続きを有利に進めようとした疑惑である。
その結果、2018年にはさらに9250万ドルの追加制裁金が科された。
まさに企業全体が深刻な信頼危機に陥っていた。
連邦政府も刑事責任を追及した。
2014年、連邦大陪審はPG&Eを起訴。
ガス管安全法違反や司法妨害など、合計28件の容疑がかけられた。
そして2016年。
陪審は複数の罪状について有罪評決を下す。
翌2017年には罰金に加え、1万時間の社会奉仕活動が命じられた。
さらに異例だったのは、自社の違法行為を広く公表する義務まで課されたことだった。
企業としては極めて厳しい処分だった。
しかし、それだけ事故の社会的影響が大きかったとも言える。
サンブルーノが残した教訓

この事故から得られた教訓は数多い。
まず第一に、「見えないインフラの危険性」である。
私たちは毎日、ガスや電気、水道といったインフラに支えられて生活している。
しかし、その設備の多くは地下や建物の内部に存在し、普段目にすることはない。
だからこそ老朽化や欠陥に気付きにくい。
サンブルーノの住民たちも、自宅の真下に半世紀以上前の高圧ガス管が埋まっていることを意識して暮らしていたわけではなかった。
危険は常に見えない場所に潜んでいたのである。
第二に、「記録と点検の重要性」だ。
どれほど頑丈な設備でも、管理されなければ意味がない。
設備の状態を把握し、定期的に検査し、必要に応じて更新する。
当たり前に聞こえるその作業こそが、大事故を防ぐ最後の防波堤になる。
そして第三に、「安全より優先される利益はない」ということだ。
コスト削減。
利益向上。
株主への配慮。
企業経営において重要な要素は数多く存在する。
しかし、その土台となる安全が崩れれば、すべては失われる。
PG&Eが支払った賠償金や罰金は数千億円規模に達した。
だが本当に失われたのは金ではない。
住民の命であり、地域社会からの信頼だった。
2012年、事故現場近くの公園には慰霊碑が建立された。
そこには8人の犠牲者の名前が刻まれている。
あの日、普通の夕食を楽しんでいた人々。
家族との時間を過ごしていた人々。
未来を夢見ていた若者たち。
彼らの命は、決して自然災害によって奪われたのではなかった。
老朽化した設備。
ずさんな管理。
安全軽視の企業文化。
それらが積み重なった結果として起きた人災だったのである。
サンブルーノ・パイプライン爆発事故は、インフラ事故の恐ろしさを世界に示した事件として今も語り継がれている。
そして私たちに問い続けている。
「便利さを支える仕組みは、本当に安全なのか」と。
