ザシキワラシ日記008
私が想起する記憶の中のワラシは、どれも微笑んでいる。年齢や状況が違っても、私にとってのワラシの表象とは微笑み顔の少女だ。タイトル写真は服装から推定すると小学生でスクールバス停に向かう前の一コマである。なんとも愛らしいこの微笑みだが、スマホカメラを構えている私に向けられたものではないことがお分かりいただけると思う。自閉症の子どもはよく笑うと言われワラシもご多分に漏れずであるが、コミュニケーションとして他者に向かって微笑みかけることは、100回に1回あるかないかぐらい稀である。
生後すぐのヒトの赤ちゃんには、眠っている時やまどろんでいる時に微笑んでいるように見える「新生児微笑」という現象がある。これは反射または心地よさからくる本能と言われている。そして生後2か月を過ぎる頃からは母親の顔を見つけると、嬉しい気持ちからじっと母親の目を見つめてにっこり微笑むようになる。これは「社会的微笑」といわれ、ヒトの自発的なコミュニケーションの始まりである。ワラシの場合、社会的微笑はいまだ微妙で、今に至るまで、ほとんどの微笑みも笑いも本人の内側からわき起こるなにがしかの感覚の表れである。
自閉症の子どもがよく笑うと言われるのには理由がある。言葉を用いることが困難な場合が多いため、感情の吐露として笑いが表出することが多く、つまり笑いにも色んな意味合いがあり、健常な子よりバリエーションが多い。例えば、不安や緊張を処理するための手段であったり、光や音や触感などの感覚刺激への反応が笑いになったり、何か伝えたいが言語表現できない場合などに笑いが出る。ワラシは特に言語をまったく扱えないほどの重度の知的障害があるため、よけいに笑いの表現が多いのだろうと推測している。不安や緊張の処理で思い出すのは、式典やお葬式など皆がしーんとしている場面で急に大笑いを始めたりしたものだ(笑)。
乳幼児期は私も母さん行の素人であったため、単純にこの子はいつも楽しそうだな、可愛いな、ぐらいの認識だった。しかし結果として、この素人的受け止めと私の楽観性は、大いに功を奏した。小僧もワラシも生きててくれりゃそれでいいレベルに忙しかった私としては、訳がわからない謎の人物であっても、とにもかくにもよく笑ってくれていることは、単純に可愛い・嬉しい・愛おしい母さんマインドの肥やしになった。目を合わさないとか、どことなくヘンな感じとか、具体的なやらかし行動などの難しい側面が限りなくあった中で、ワラシが概ね笑っている人であったこと、楽しそうに見えたことは、何であれ良い方向に作用した。
もっともうまく作用したのは、育児方針だったように思う。0歳から保育園に入れたこともあり、母親の私だけでなく先生やママ友はじめ周囲の大人などかかわる人が皆、ワラシの微笑みと笑い声に触れることになった。珍妙で困った側面があれども、誰の前でもよく微笑み、勢いよく笑い、また顔の造形がちょっと可愛らしかったことも手伝って、ワラシは奇跡的なまでにあるがまま、一人で、愛されキャラ園児としての地位を確立していったのである。
ありがたいことに、先生やお友だちの中で「可愛い」が代名詞のようになっていった。いつまで経っても幼いままでいることも、言葉を用いることができない知的障害の症状も、誰からも可愛いがられる相互作用に資する要素となっていた。私はどこかの段階で、ワラシの生きる道はこれだ!と確信を持った。ワラシの今後の人生において、助けてくれる人、関わってくれる人すべてに「可愛い」と思ってもらえる人物でいることが、私が死んだ後もワラシが安心して幸せに生きていける人生の土台になるだろうと確信したのだった。
最初は単にわが子可愛さから、ワラシに向かって「◯◯ちゃん、可愛いね。」と言っていたのだが、そう考えるようになってからは意識的に1日に何度も言うようになった。言葉の意味はわからなくとも、ワラシにとって「安心する心地よい言葉(音)」になればいい、と。他にも「◯◯はいい子、いい子は◯◯」「◯◯はママの〜宝物〜!ママは◯◯がだ~い好き」と抱きしめたりくすぐったりしながら言い続けた。卒園して特別支援学校に入り中学生、高校生になっても同じ言葉をかけ続け、今もなお続けている。今ではすっかり世間で聞く「可愛い」という言葉も音も、自分のことだと思っている。しめしめ(笑)。
話を少し戻し、自閉症児ワラシの笑いの意味について私が理解したことについて。長年の観察と暮しから、嬉しい楽しい時の笑い、不安や緊張緩和のための笑い、ストレスを感じている時の笑いなどの差異およびその時々のワラシのニーズが分かるまでになった。場の状況や文脈や、笑い方、声の大きさ、声の振動の仕方、身体の力の入り具合、目と表情筋などから読み取るうちに、今ではかなり高い精度で、瞬時に推定できるようになっている。不安や緊張による笑いは特によく分かる。かなり作為的に笑い声を出しているので目と表情に緊張感があり、声は大きい。ストレス時も似ているが声の大小はさまざまで、そんな時手を握ってやると冷たくなっている。それら以外はだいたい楽しいか、嬉しいか、美味しいか、気持ちいい時だ。

お腹いっぱいニコニコご満悦。

ワラシの毛布。未だ匂っては安心して笑う。


アルカイックスマイル。
ワラシは一生、周囲の人に助けてもらいながらいきていく存在であり、私はどう頑張っても先に死ぬ。保育園から、とにかくたくさんの先生、大人、支援者さんに委ね、手を借りてきたのは、その準備のつもりである。今後の人生でずっと、支援者の方々の誠実で暖かい気持ちを感知でき、安心して支援される人であって欲しい。基本的信頼(basic trust)を持つ永遠の保育園児として、かかわってくださる人たちと明るく暖かい相互作用を紡ぎ続けて欲しい。そのための今だと思いながら18年が過ぎた。過去現在、ワラシを助けてくださっている皆さんのお声を聞くだに、本当に良かったと思うばかりである。なんとありがたいことか。
今日は最後に、つい先日の18歳ワラシの笑い声(音声)を皆さんにシェアしようと思う。よかったら聞いてみて。ほっこりできることうけあい。喃語というか謎語というか(笑)。
※音声中のワラシの「てーよ!てーよ!」」とは、本人的には「せーの!せーの!」である。発音できないまま18歳になっている。風呂やプールで潜るときにも「てーよ!」でぶくぶくぶく~(笑)と。「ガブッ!」というのは、幼い頃から私が手でワラシの身体のあちこちを手でワニのようにガブっと行く体の遊びから、甘えたい時や遊んでほしい時に言う命令形のワラシ語である。可愛いったらないな。写真は小学生のワラシ。
